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令和元年、新しい気持ちで五月人形を飾りました。

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   梅、桜の花の季節が移り風薫る五月、元号が平成から令和に代わってはじめての端午の節句を迎えました。例年のように年代物の五月人形を年号の変わり目に新しい気持ちで飾りつけました。   昭和15年、私の初節句の五月人形、歳月を重ねると共にその数は減ってきました。なぜなら、飾るべき床の間が今や無いからです。置く場所は窓際の片隅です。それでも何とか格好を付けました。    思えば、この飾りは昭和ー平成ー令和と三つの時代に毎年の五月には目を楽しませてくれています。私は幼い頃から母に教わりながら飾りつけを手伝いました。 しかし年かなあ~手順を忘れてしまっています。  ここかな、待てよ?こちらが先だ・・・ようやく出来上がったのはこれ。                  私に長男が生まれ、親としてすくすく育ってほしい。そういう思いで次男にも新しく冑を購入しました。(昭和50年頃)                   その願いが叶って平成には親となった長男に子供が生まれ、私はじい様に昇格。この飾りを代々受け継いでほしい。そういう思いがわき起こってきました。(平成18年)   昭和ー平成ー令和 と受け継がれている五月人形は次の世代をどのような目で見て行くのでしょうか。

平成最後のお花見―目黒川

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   4月7日(日)桜の花が満開とあって平成時代最後のお花見に出かけました。場所は目黒川、東京都内有数のお花見の場所です。数年前、ここを訪れた時は人込みに揉まれ、しかも花見客はそれぞれの宴会でごった返していました。この日驚いたのは、これだけの人の波が滞らないこと、まるで川の流れのようにでした。 宴会禁止となっていたからです。   5年前ここを訪れた時は川沿いの狭い道端は家族はもとより、若者たちも酒や料理の箱を広げ、盛り上がっていました。中にはギターを抱えてコーラスを楽しんでいるグループもいて大混雑でした。よくもまあ狭い道の人込みの中で飲み食いできるのか吃驚したものです。宴会が禁止と今、歩くのはもとより場所ごとの写真も撮りやすく、満足な花見の散歩コースでした。   散り行く桜の花吹雪をかいくぐって、やがて中目黒まできました。  昼食は混雑するレストランを避け、近くの公園で近くのレストランでテイクアウトした弁当を賞味しました。    公園には花が満開です。花壇も色とりどりの草花が咲き誇っています。   さて、我が家でもささやかな花壇の春の手入れをはじめなければなりませんえね。

箱根の名水ー大平台の姫の水

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   大平台は箱根の有数の温泉地の一つである。戦国時代からの古い村落で、温泉地になる前は箱根細工の名産地であった。温泉を掘り当て今日では箱根十七湯の一つとして知られている。今回、大平台に宿をとったので、この機会にこの「姫の水」まで足をのばしてみた。この湧き水は一説によると北条氏の姫君たちが化粧水に、また豊臣秀吉が小田原城を攻略する際に茶の湯を点てたといわれている箱根の名水である。   箱根登山鉄道の大平台駅から近道を通って(我々の足で約15分)石原公園の脇の遍路を渡って更に5分坂を下ると左に姫の水の石碑が建っている。  石碑には明治天皇もお出でになったとの事、この湧き水は昔からずっと名水として知られてきたのであろう。  その碑の後ろにこんこんと湧き出ている泉があった。民家の中なので入るのに躊躇したが、泉の脇に柄杓が置いてあるのを見て観光客の為であろうと遠慮せず水を汲むこととした。  一口、美味い!、早速持ち合わせのペットボトルの水を捨てて姫の水に入れ替えた。   先ほどの踏切に戻った。ちょうど、箱根登山鉄道の電車が差し掛かってきた。カメラのシャッターを切る。乗ってみたいな・・・ よし、大平台駅から強羅に行くかな・・・。

箱根大涌谷の景観

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   2016年3月に箱根を訪れた時には、火山活動の影響で箱根ロープウエイは運休となり、大涌谷には行けなかった。活動が収まった現在ロープウエイも全線が開通し見損なっていたその大自然の景観を見ようと、今年にまた妻と箱根を訪れた。今回はちょっと下の大平台に宿泊した。ここも有数の箱根の温泉地である。3月5日、良い天気にめぐまれ大平台から箱根登山鉄道で強羅に着いた。あいにくとロープウエイは肝心の早雲山~大涌谷間が点検のため運休、こりゃダメかな、と諦めてそば屋で昼食をとる。   前に来たお店だ。前回はこの店で評判の海鮮揚げが売り切れだった。海鮮揚げのそばを注文する。お店のおばさんは「こんな良い天候で大涌谷に行かないのはもったいない。早雲山からそこまでバスで行けますよ」   こんな良い天候を無駄にしたくない。おばさんの一言ですぐさまロープウエイで終点の早雲山まで登る。  駅は観光客でいっぱい。平日なのに若いカップルも多い。外国人観光客の声が響く。  大涌谷は想像通りの大自然の荒々しさ、それは谷に近づくとバスのなかまで硫黄の匂いが立ち込める。谷から吹き上げる水蒸気は、これも荒々しい山肌を隠している。その煙が風でとばされたチャンスをねらって、カメラのシャッターを切る。約3000年前の箱根火山最後の爆発によってできた神山火口の爆裂跡だが火山がまだ生きている証拠をまざまざと見せつける。  かつてはここは「大地獄」と呼ばれていたが、1873年(明治6年)明治天皇・皇后のご訪問を前に現在の「大涌谷」に改称された。 火山活動の活性化で谷底の立ち入りが禁止となったのは2015年5月のこと。いつになったら安全になって傍に行けるのだろう。   その思いを残しケーブルカーで湖尻にむかった。ここからは大平台に帰って温泉だ! 暇人のつぶやき:  箱根にはいままで車で訪れるていたが、とにかくローカルバス網が充実していて便利この上もない。しかもICカードで事足りるから乗降車も楽々である。 東京から2時間だからいつでもまた来れるという気持ちになる。  週末でもないのに観光客でいっぱい。外国人観光客も多いが、日本の若い人たちも・・・平和だなあ、日本は。  バス停で日本の旅に不慣れなフランス人がスマホと案内書で行き先を探している。英語で話しかけてきたので、助力しようと I Padでその場所を検索...

砂漠のシーフード・バーベキューは楽し

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    アラビア半島、長い酷暑の夏が終わり秋が駆け抜け、短い冬が来ました。2月になってこの砂漠にも春がやってきました。普段人けがないこの砂漠のあちこちにはテントが立ちならび、人々は大自然のなかでリフレッシュしています。都市部のアラブの人々には又とない娯楽なのでしょう。ここ、サウジアラビアのカフジに駐在する日本人従業員たちもまたピクニックをかねた砂漠のバーべキューを楽しんだものです。  よし、今回は日本の味ならではのシーフード・バーベキューをしようじゃないか。この日のために前の日に釣りをしてアジやタイ、私も張り切ってこの時期に岸におしよせるモンゴウイカを、翌日の朝には家族と海岸のアサリを掘りに行きました。  砂漠に点々と設営されているアラブのテントをさけて、わがニッポン族の一行は、彼らから大分離れた場所に登山テントを張り、その脇には子供を含む約30名の胃袋を満たす炉を築きました。  肉、野菜、それに今日の主役の魚介類、砂漠にはアジの塩焼きや焼きイカの煙がたなびきます。    砂漠のなかで、ロックの演奏もはじまりました。  しばらくして地平線のかなたに車の砂塵があがりました。ベドウィン(遊牧民)が目ざとく小さな黄色いテントを見つけたようです。テントを訪れる人を歓待するのはこの国の礼儀です。  サウジアラビアはイスラム教国の中でも一番厳格なワッハーブ派の国で、女性は黒いアバーヤですっぽり身を包み、ベールで顔を隠しています。 今ここにいる日本人たちは男女の別なく談笑し、女性たちは春の陽気にノースリーブ、ヒップの線もあらわなジーンズ姿です。宗教心篤いアラブの人たちから見れば、不道徳極まりない輩といわれても弁解の余地はありません。こういう事態を避けるためにわざわざ地元の人のテントから遠くはなれた場所に設営したのに。  女性たちをテントの脇に寄せて男性陣は歓迎されない来訪者を待ちました。   車には二人の男が乘っていました。私たちは精一杯笑顔を見せ歓迎の意を表しました。が、男たちはそのまま立ち去っていきました。  我々はほっとしながらも口々に言い合いました。  「宗教警察に訴えにいったのだ」 「いや、女性をみて遠慮したのさ」  私は砂漠に漂う魚と醤油の匂いに羊しか知らない彼らがびっくりしたのだと推測しました。当時、魚を食べるアラブ人はほとんどいませんでした。まし...

アラビアの伝統的漁法

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   アラビア湾(ペルシャ湾)では今でこそ近代的な漁船や漁具が使用されていますが、沿岸ではまだ伝統的な籠や日本のすだてに似た定置網による漁法が行われてます。海岸沿いの道をドライブしていると、浅瀬に仕掛けられた木杭の柵があちこちに設置されています。沖合にポツンと見える白いウレタンフォームのブイは籠漁の一例を示すものです。  日本のすだて漁、私が少年のころ千葉の木更津や富津あたりには多くの竹の柵がみられました。その当時の漁師の漁船の主流であった和船に父たちと乗り込み、焼玉エンジンのポンポンいう音を聞きながらその柵に近づいて引き潮時を待ったものです。クロダイ、大きなスズキなど、少年の私は目を輝かせて獲ったものです。  なつかしさもあり、アラブのすだてを引き潮時に訪れてみました。アラブの漁民の家族たちなのでしょうか中には少年も混じっています。 挨拶をかわし見学させてもらう事にしました。  ここ、サウジアラビアのアラビア湾に面した東部州、アル・カフジの海は浅瀬が続いており、200メートル先でも水深は3~5メートルくらいです。 満潮になると、魚の群れは浮遊物の多い波打ち際に回遊してくるのです。引き潮時には海岸線はすっかり水は引いてしまいますから、柵の中取り残された獲物は簡単に獲れるというわけです。   この日はタイに似たソベイティ、やクロダイの収穫がありました。しかし、彼らのお目当ては当地でハムールとよばれている1メートルもの「 ハタ 」ですが残念ながら一匹もいませんでした。   体の黒いもんがある小さなタイ、エイ、コチなど沢山いましたが、これは食べないからという理由で捨て置かれています。商品価値のない魚は滿潮になれば他の魚の餌になるそうです。  一方、かご漁は沖合に設置されています。海に潜ってみると、陸上の砂漠の延長が海底にも延々と続いているまったく殺風景な海底が続きます。 そこには魚の姿はまったくなく、砂地をイモ貝は這いずり回っているだけです。 しかし、サンゴ礁、沈没船、海上の石油の構造施設やパイプライン沿いなど、障害物のある所には魚は群れています。そういう所に漁民は餌を入れたかごを沈めて置くのです。    一方、石油採掘事業者にとってはかご漁は頭痛の種です。海底ケーブルの切断や、縄が作業船のスクリューに絡まってしまう事故はあとを絶ちません。  漁業権は存在しないも...