終戦の時―私の切れぎれの記憶
昭和20年8月15日― 大人はなぜ泣いているのだろう、母も伯母さんも、近所の人々やあの怖い隣の酒屋のおじさんまでが・・・・・皆が集まった一室のラジオがガーガー音を立てています。その中から甲高い声が混じって聞こえてきます。 「子供はあっちにいってらっしゃい!」と怒られました。 なんの事だかさっぱりわかりませんでした。 戦争が終ったんだ、という声。 疎開していた石川県の田舎町、ここは空襲もなかったから夜でも煌々と電灯がついていました。東京では空襲警報のサイレンが鳴るたびに母が居間の電球を防空燈にかえて電灯に黒い布をかけていたのを憶えています。 1945年(昭和20年)8月15日付け 朝日新聞の戦争終結記事。 あれから66年、保存してあった新聞の紙面は大分傷んではいますが当時の状況が生々しく伝えられています。あの時大人たちがなぜ泣いていたのか、私がこれを理解したのは終戦から大分後になってからの事です。 同日の朝日新聞に見られる大本営発表の戦果の記事(左) 戦争が終ったのに何かちぐはぐな気がしてなりません。 思うにまだ敗戦を認めない軍部や戦争遂行を掲げる人々をおもんばかっていたのでしょうか。 終戦直後のごたごたがよくわかる気がします。 家の押入れにある戦争の遺物: 防空電球、父の出征の際の奉公袋、うしろは戦前からの日の丸の旗 いまでも残る近くの防空壕跡。 戦後になって数人の男達が闇物資だろうか、何度も運び入れているのが見られました。 :::::::::::::::::::::::::: 話は終戦時に戻ります。 その2年前?の事だったでしょうか、東京は危ないと神奈川県の辻堂の祖母の家に移りました。 真夜中に空襲警報、Kさんの手に引かれて近くの防空壕へ急ぎます。 B29が近くの海軍の厚木基地を爆撃しているのです。夜空に幾条もの光の束が交差しています。これは後で機影を探す探照灯とわかりました。 きれいだな、と見上げているとKさんがそんなもの見ていないで早くとせきたてます。「やった!」火の玉がくるくると落ちてきます。「撃墜した」と周りから声、(実は体当たりした日本の飛行機だったようです) 防空壕では眼と耳を押さえ膝をお腹につけ前かがみに座ります。こうすれば爆弾が落ちても爆風で鼓膜が破れたり、眼が飛び出たり、お腹が破裂しない...