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海王丸〔初代)が誕生した写真を見つけた!

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  海王丸 〔初代〕の試験航海の写真は昭和の初期から永らく我が家の書斎に飾られてきました。家を建て直したあとも、この古びたモノクロの写真は私の部屋でその優美な姿を見せています。海王丸は1930年(昭和5年)に建造された4本マストバーク型帆船です。大型練習船として多くの若者を「海の男」に育て上げました。その姿は海の貴婦人と呼ばれ、姉妹船の日本丸とともに戦後も人々に親しまれてきました。1989年〔平成元年〕に退役し 現在富山県射水市の海王丸パークで一般公開されています。 なお、現在は二代目海王丸が活躍中です。           昭和5年 公式試験航海中の海王丸  この初代海王丸について2008年9月1日に当ブログでご紹介した際、当時逓信省(今の国土省)技官であった父がこの船の試験航海の検査に立ち会ったのか聞いていないと書きました。 今年になって家の中の整理を始めた時、父の残したアルバムに海王丸の船体検査中であろう写真が見つかりました。その中には船上における若き日の父の肖像もあるので、なぜ、海王丸の写真が書斎に飾られていたのか納得出来ました。  その有様の一部をご紹介したいと思います。当時の世界で一流の造船技術を誇った日本、軍艦や客船の写真も出てきましたので、ご参考までに添えてみました。                                    付記: アルバムには他の船の姿もありましたので、ご紹介します。        進徳丸                                 文部省神戸高等商船学校練習船   補助機関付帆船29796号       SPMH  バーケンタイン  GT 2518頓 L 280.00   B 44.00  D 26.50    霧島丸                                                  船名不詳  スクリュー部分                        1万頓級巡洋艦 麻耶 の進水   艦名 不祥           ...

アラビア湾の海底散歩道

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   サウジアラビアの東部、アラビア湾(ペルシャ湾)に面したカフジ。単調な沙漠の生活の中で、アラビアンブルーの海は心のよりどころです。 会社が引けたあと、また、休日には、ダイビング(シュノーケリング)を楽しむことが出来ます。  カフジは沙漠特有の乾燥地帯ですから、最高気温も1月は17℃、3月には20℃を越え、真夏の8月には42℃となります。   一方、水温は1月、17℃ 3月、23℃と気温よりむしろ高く、8月には33℃になり水中でも日本の真夏日の気温とおなじ位になります。だから温泉プールに入っているようで、泳いでいて汗をかくほどです。 12月も水中は20℃ですから、その気になればダイビング(シュノーケリング)は一年中できるわけです。   しかし、冬場は海が荒れますから、海中の視界が悪くダイビングは面白くありません。 3月末には海中のところどころに海藻が繁茂して、いわば、海の春が訪れるのです。 さあ、これからが本番です!  注: 最高気温、水温は30年間(1971~2000)の平均  カフジの海は遠浅で岸から200メートル先でも水深は3~5メートル位、シュノーケリングにはもってこいの水深です。 しかし、海底は陸上の沙漠そのままの姿でカーキ色の砂地が延々と続き、そこには魚の姿はありません。 イモ貝がはいずりまわっているくらいです。  水中の沙漠の旅は岩や投棄物を目印にして泳ぎ続け、目的のサンゴ礁にむかいます。  突然、目の前にあらわれた小さなサンゴ礁。そこは魚たちが住む憩いのオアシスでしょうか。   海の舞姫、チョウチョウオが乱舞しています。 不意の闖入者は歓迎されないのか、彼女達は逃げ散ってしまいました。 しばらく、海底で息を詰めて待ちます。   ようやく、撮影許可がおりました。ふう!  アラビアのダウ船が落としていったのか、海底に横たわる古びた錨のチェーン。これも海底の散歩道の絶好の道しるべです。  前を横切る10センチほどの可愛いモンツキダイ。多分、ここは彼らの通学路なのでしょう。   ここにも名も知れぬ魚の群れ、メジナの仲間でしょうか。  ヒオウギ貝もこのサンゴのあいだに住居を構えています。美味な貝なので獲り過ぎて、数が減って、しまいました。  ウニは日本でもお馴染みのムラサキウニのほか、とげが20センチもある大型のウニが生息しています。 (中)  とげ...

もしかして、エチゼンクラゲは古代火星人の末裔なのか?

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   一体、どうなっているのでしょうか、地球の生態系は? 日本海は体長2メートルものエチゼンクラゲで埋め尽くされそうです。 定置網の操業も見合わせになったとか、漁師さんの生活も脅かされています。 クラゲの産卵地域は黄海から韓国南岸、それに九州の有明海まで拡大している、ということです。 これを止める対策はあるのでしょうか? 獲っても獲っても、増え続けるクラゲ、人類とクラゲの戦争が始まったようです。 その将来をSF的シミュレーション・エッセイでまとめて見ました。もしかして、エチゼンクラゲは火星人だった??? プロローグ:      太古の時代、水も空気も少なくなってきた火星から知的生物が地球に移住してきた。だが、火星人にとって地球の環境はあまりにも厳しかった。彼らは地球の重力から逃れるために、海の中で生活することを選んだ。  何万年もの時間が経過するうちに、元々ぐにゃぐにゃだった彼らの身体はしだいに透明になり、高度な知能も退化してしまった。 これが後に「クラゲ」と呼ばれるようになった海洋生物である。 地球暦21世紀:  陸上では人類といういささか凶暴な性格をもった生物が地球を支配していた。 彼らは海で魚類を拉致し野蛮にもそれを食いあさっていた。しかし、火星人の末裔であるクラゲは不味いのでほとんど食べる事をせず、そのおかげで彼らは増加していった。  増殖するクラゲを人類は厄介者ときめつけた。人類と無抵抗主義のクラゲ族との戦いが、いよいよ始まったのである。  人類のめちゃくちゃな地球の自然破壊は進み、海水温度も上昇し海の富栄養化が進んだ。クラゲ族にとっては、故郷の火星がそうであってように絶好の環境に変化してきたのだ。人類との戦いで虐殺され続けた彼らはその重圧をはねかえし、世界中の海に広がっていった。 地球暦50世紀:  ある時期、クラゲ族の一部に進化が起こった。恐らく太古の火星の知的DNAが呼び覚まされたのであろう。彼らの一年しかない短い一生で、その知能進化サイクルは爆発的に繰り返された。なにしろ、 単体生殖で親から子へ、そのまた子へと知識と技能は次から次へと累積していったからだ。 そのうち、彼らは先祖の火星人よりも進化してしまった。 クラゲ人の誕生である。  人類とクラゲ人の戦いは、海中から、陸上へと移った。 核兵器をもった彼らは地球上の陸地にクラゲ型の原子雲を撒...

砂浜が消える?海岸線の危機 - 神奈川県秋谷海岸の思い出

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  岡本太郎画伯と秋谷の海  7月13日 NHKの番組 「クローズアップ現代」で 日本中の砂浜が消えてゆくという番組がありました。その中で、神奈川県横須賀市の秋谷でも海岸が波で浸食されて無くなっている映像が出てきました。海岸のそばの住民は、もう、かつての広い砂浜がなくなって家族で泳いだり、バーベキューを楽しむことができなくなったと、インタビューの中で嘆いていました。   海水浴シーズンがやってきたせいでしょうか、7月15日の日経夕刊にも 「湘南の砂浜、浸食深刻」 と大々的に報道がありました。この問題を抱える各県は、砂の流失を食い止めるため、沖合いに人工礁を作ったり、礫(粗い砂)を入れたりする対策を取っていますが、浸食を食い止めるのが精一杯で、海岸を元の状態に戻すにはこれといった名案はなさそうです。   浸食の原因は河川ダムや川砂利採取で海に流れ込む土砂が減った、また、港やヨットハーバーの建設でこれらの土砂の移動が遮られ、海岸に集まらなくなった。それが原因で海岸の砂は波の力で流され減ってしまうというのです。  何だ、人間による自然破壊じゃないですか!  ダムや港の建設は私たちの生活には欠かせないものとは思いますが、もっと先の自然への影響を読むことが出来なかったのでしょうか。   秋谷海岸には懐かしい思い出があります。かれこれ43年も前でしたか、この秋谷には私の親戚の家があり、海の好きな私は一年を通じて、たびたびお邪魔していました。  或る時、友人たちとこの海岸でバーベキューを楽しもうと、車を連ねてこの親戚の家に出かけました。  このグループの中に、万年青年であった、画家の岡本太郎氏(1996年没)もご一緒でした。 先生と呼んではいましたが、当時、50代の彼はわれわれ20代の若者たちとは、いたって気安い友達同士のようでした。  スキーやスキューバ・ダイビング、テニスなどに声をかければ、すっとんでくる太郎画伯でした。  砂浜でわいわい騒いでいると、太郎画伯は、 「俺を年寄り扱いするな、よし、相撲をとろうじゃないか」 ということになり広い海岸で、腕自慢の若者相手に次々と取り組みを始めました。  初めは適当にあしらっていましたが、なんの何の、太郎山の低い姿勢からの一気寄りには、皆、土俵を割ってしまいます。延べ20人近くと対戦し、ハアハア言いながらも、「どうだ...