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宝塚歌劇100周年ー わが家にも(昔の)ヅカ・ファンがいた

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  宝塚歌劇団が100周年を迎えます。思えば私の母も叔母も大のヅカ・ファンだったと記憶しています。まてよ、かつて妻もそうだったらしい。何か資料が残っているだろう、棚の中を探してみます。あったあった、多量のブロマイド。それに雑誌も・・・。  おやっ? 知っている顔もありました。 あっ!浜 木綿子、これは香川照之のお母さん、寿美花代、こちらも高嶋政宏のお母さんだ。私の母のご贔屓だった春日野八千代・・・これは妻に教えてもらいました。  「私は明石照子のファンだったのよ」と妻。やはり、皆は男役に憧れていたようですね。  雑誌(毎日新聞社編)ををパラパラめくって見ます。残念ながら誰も知りません。「華麗な舞台とスターをそだてた70年」とあるから、かれこれ30年前(1981年)のものです。妻がかつて熱烈なヅカ・ファンだったとは知らなかったな。 こちらは、私の父が昭和の初期に集めたマッチのラベルです。スクラップブックには約1500種類が貼られています。その中には宝塚の公演のラベルがありました。母と叔母が大のヅカ・ファンだったので、連れ立って何度も公演を見に行ったのだと想像されます。   ヴェルサイユのばら、私は原作者の池田理代子の漫画しか読んだ事しかありませんが、宝塚の初演は1974年の事。東京宝塚劇場には多くのヅカ・ファンがつめかけたと記憶しています。その後、再演が繰り返され2013年には通算観客数は450万人を記録したと言われています。 100周年を記念してまた今年も再演されます。  遊園地のアトラクションから始まった宝塚歌劇は創立者の小林一三の「大衆に安い料金で健全な娯楽を提供する」という言葉どおり、営々と積み重ねた努力の結果が今日の宝塚歌劇の存在だと思います。 ヅカファンでない私が言うのはなんですが重要な日本の文化としてこれからも観客に夢とロマンを届けてください。

片手を貸してくれた人には、両手を与えよー実際に見たアラブの格言

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  中東で勤務していたときのこと、私の部下が交通事故で怪我をして入院しました。これは大変なことになってしまった。そこで早速お見舞いに駆けつけました。幸いにして彼は2週間で退院することができました。しばらくして、見知らぬ男が私のオフィスにやってきました。 堂々たる風貌の紳士です。  握手をしてお茶をすすめ用件を尋ねますと、その男は怪我をした私の部下のお兄さんでした。彼は弟が怪我をしたときに見舞いに来てくれたそのお礼のために私を訪ねてきたことがわかりました。  部下が病気になったりに事故で怪我をした場合、日本では病院に見舞いに行くのは普通のことですが、どうも当地では上司が部下を見舞うことなどありえないらしいのです。    これが縁でその後は彼の家に招かれたり、その席で色々な人(町の有力者など)を紹介してくれたりして気を使ってくれます。弟の事を引き立ててくれと頼むだけではなさそうです。こういう人脈は思わぬところで私の仕事の上で役立つことがありました。私が帰任する時も彼はわざわざ挨拶に見えました。  アラブの格言では 片手を貸してくれた人には、両手を与えよ  あるいは、 片目で見てくれた人には、両目を用いて答えよ  彼はそれを実践していたのですね。 当たり前のことをしただけなのに、こちらが感謝しなければならないくらいのことをしてくれました。 今、思い出しても嬉しい出来事でした。

浅草雷門の大提灯が新しくなった。

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  浅草寺を訪れるたびに かならずくぐる雷門の大提灯、11月18日に10年ぶりに新調されました。 物見高い江戸っ子(東京モン)の常、早速駆けつけました。 雷門は何度も火災を起していますが、慶応元年に焼失したあと、昭和35年になって松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助氏によって寄進されたものです。 新しくなった名物の大提灯の寄進名はパナソニックに変ったかと思いましたが、松下電器産業株式会社 松下幸之助のままです。 私たち世代ではこの方が親しみやすいですね。 浅草寺への提灯の奉納は寛政7年に焼失した雷門の再建から始まり、江戸っ子の見栄で次第に大きなものへとエスカレート、お寺の釣鐘よりも大きくなりました。 口の悪い江戸っ子たちに川柳でからかわれています。 「提灯に 釣鐘負けたか 浅草寺」 今回はもっと大きくなったかなと思いましたが。 長さ3.9メートル、直径3.3メートル、重さ700キログラムの新提灯は見たところ前と変りありません。 9月に取り外されていましたが、やっと浅草の顔が戻ってきたという感があります。 東京で製造されたものでなく、京都の老舗の提灯屋さん、原料の竹の骨組みは京都、手漉き和紙は福井産です。 昔だったら江戸のいなせな兄イたちは、てやんでぃ! べらぼーめ! と悔しがったでしょうね。 もっとも、今回東京で作っていたら見栄を張って提灯は地面すれすれまで大きくなってしまい雷門は通れなくなっていたかもしれませんね。 「大阪に(提灯)負けて 江戸っ子悔しがり」 ちょっと字余りですが大阪から新幹線で東京まで一つ飛びの時代、 そんなことで悔しがっても仕方ありません 、そばで見下ろしているスカイツリーに笑われますよ。 高笑いですねこれは。 伝統の浅草寺、いまやそびえるスカイツリー、今日の浅草も人の波でした。 おみやげに人形焼きを買い、昼食はむぎとろに舌鼓を打って帰途につきました。 何度訪れても飽きない浅草です。

砂漠の国で寿司食いねえー私が寿司ネタにしたアラビアの魚たち

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ええっ! こんな魚しかないの! こんなネタじゃあ寿司を握れねえよ~。 アラビアの魚市場で思わず叫んでしまいました。 アラブの人たちは生で魚を食べる習慣はありませんから、鮮度を保つ流通システムなんかありません。 ましてや、活き締めするなど聞いたこともないでしょう。 台に載せられた数々の魚の見栄えを良くするためか、魚屋の親父は時折バシャバシャ水をかけているだけです。 「これじゃあ、自分で釣りするしかないな」 1970年代のこと、寿司が大好物のこの私を勤め先の会社は寿司なんか食べられないサウジアラビアに転属を命じました。 カフジというアラビア湾(ペルシャ湾)に面したサウジアラビアの東部の町で勤務していた時のの話です。 その後も80年代、90年代の3回に亘り赴任しました。 その頃にはサウジの都会のレストランにはSUSHIのメニューが並ぶようになりました。 現地の魚屋の状況は改善されてはいますが鮮度は以前と変ることはありませんでした。 と、いうわけで延べ18年にわたるサウジの勤務を終え1998年に帰任するまでスシネタは自分の釣りで調達してきました。 アラビア湾の魚は日本では見たこともない種類もあり、これが食べられるかどうか魚屋に持ち込んで聞いたり、グルメな先輩にお伺いを立てました。 毒魚に当たって白木の棺に入れられ無言の帰国なんかはいやですからねえ。 生活に慣れてくると、仲間をあつめて寿司屋のまねごとをするようになりました。 道具一式は東京から取り寄せました。 名前も「らくだ鮨」、「寿司処あらじん」など、思いつくまま変えました。 アラビア湾内の魚の種類は豊富です。 駐在員の家族を集めた寿司パーティの当日には仲間と釣りに出かけ材料を集めます。 まずは定番の寿司ネタからご紹介しましょう。 たくさんあるよ~ アラビアの魚には和名はありません。 かと言ってアラビア語でネタを注文しても寿司を食べた気がしませんネ。 そこでスシ名として日本の近似種の名を入れました。 あれっ? これ食材虚偽表示ですかねえ。 勘弁してください。 せっかく図鑑で調べたので学名も併記しました。 大きさと重さは私が釣った平均的なものです。 当地は石油の産地なのですが、不思議なことにアラビアの魚たちはどれもあぶらが乗っていない淡白な味ですねえ。 タイの仲間 フエフキダイ 46cm 1.5kg ...

ヴァイオリンの音に聴きほれて東禅寺 緑のコンサート

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「パパ汗かいている」その声にドッと笑い声が起ります。 コンサートで熱演の一曲が終り盛大な拍手の後に飛んだヴァイオリニストの幼いお嬢さんの声援? です。 ハンカチで額の汗をぬぐう演奏者のパパもこれには苦笑い。 10月27日東禅寺で開催された田野倉雅秋ヴァイオリンリサイタル「緑のコンサート」の一こまでした。 田野倉雅秋氏は数おおくの国際コンクールで優勝している日本のヴァイオリニストの一人者です。 ピアノは須関祐子氏、数々の国際ピアノのコンクールで優勝や受賞している今や引っ張りだこのピアニストです。 昨日の台風27号の去った秋晴れの日、このリサイタルを聴こうとお寺の本堂に設えられた会場には約250人が詰めかけました。         コンサート会場の東禅寺 コンサート第一部は この二人のぴったり息が合った演奏、ベートーベンのロマンス第2番、難解な旋律を次々こなして行く姿は正に聴く芸術品です。 気合の入ったその姿にお嬢さんのパパへのいたわりが思わず声に出たのも当然でしょう。 続くラヴェルのヴァイオリン・ソナタ(遺作)、ストラヴィンスキーのディヴェルティメント、けれども私にはいささか理解しにくい難曲でした。 第二部はシンドラーのリストのテーマ、クライスラーの愛の三部作)美しきロスマリン。 愛の悲しみ・愛の喜び。 これらは普段から聴きなれた曲で肩の荷が降りたようにリラックスして聞きほれました。 CDで聞くような平面的なデジタル修正音とちがって、生演奏は立体的な深みがある音色、最後のチゴネルワイゼン作品20、耳から入る音色は体を駆け巡ります。 時間が経つのを忘れてしまいました。 東禅寺は名前こそ知っていましたが訪れるのは始めてです。 コンサート終了後お寺の中を見学しました。 ここは初代英国公使館でした。 奥の広間のさらに奥にオールコックや公使館員が居住していたと聞きましたが残念ながら拝見できませんでした。   緑豊かな境内、秋になって境内に茂る樹からお寺のひさしに落ちるどんぐりの音は東禅寺の風物詩となっていると住職さんの説明がありました。 緑のコンサートは今回で9度目です。 前を見て明日にむかおうー 「緑の自然環境を大切にしましょう」 とはお寺の住職さんの言葉。 たゆまず育てれば100年後には大樹となるのです。 また、来年聴きにこよう。 周囲の木々の緑の幕を...