浅草雷門の大提灯が新しくなった。

 浅草寺を訪れるたびに かならずくぐる雷門の大提灯、11月18日に10年ぶりに新調されました。 物見高い江戸っ子(東京モン)の常、早速駆けつけました。 雷門は何度も火災を起していますが、慶応元年に焼失したあと、昭和35年になって松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助氏によって寄進されたものです。 新しくなった名物の大提灯の寄進名はパナソニックに変ったかと思いましたが、松下電器産業株式会社 松下幸之助のままです。 私たち世代ではこの方が親しみやすいですね。

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浅草寺への提灯の奉納は寛政7年に焼失した雷門の再建から始まり、江戸っ子の見栄で次第に大きなものへとエスカレート、お寺の釣鐘よりも大きくなりました。 口の悪い江戸っ子たちに川柳でからかわれています。

「提灯に 釣鐘負けたか 浅草寺」

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今回はもっと大きくなったかなと思いましたが。 長さ3.9メートル、直径3.3メートル、重さ700キログラムの新提灯は見たところ前と変りありません。 9月に取り外されていましたが、やっと浅草の顔が戻ってきたという感があります。 東京で製造されたものでなく、京都の老舗の提灯屋さん、原料の竹の骨組みは京都、手漉き和紙は福井産です。 昔だったら江戸のいなせな兄イたちは、てやんでぃ! べらぼーめ! と悔しがったでしょうね。

もっとも、今回東京で作っていたら見栄を張って提灯は地面すれすれまで大きくなってしまい雷門は通れなくなっていたかもしれませんね。

「大阪に(提灯)負けて 江戸っ子悔しがり」

ちょっと字余りですが大阪から新幹線で東京まで一つ飛びの時代、 そんなことで悔しがっても仕方ありません 、そばで見下ろしているスカイツリーに笑われますよ。 高笑いですねこれは。

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伝統の浅草寺、いまやそびえるスカイツリー、今日の浅草も人の波でした。 おみやげに人形焼きを買い、昼食はむぎとろに舌鼓を打って帰途につきました。 何度訪れても飽きない浅草です。








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