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横浜中華街、賑やかな春節

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  2月10日  この日は春節 (旧暦元旦)、JR石川台を降りて中華街延平門に向かいます。日曜日とあって、凄い人出です。あたりのお店の店頭には中華饅頭、しゅうまいが湯気を立てています。後で飲茶だ!ぐう~となるお腹をこらえてまずは関帝廟へ。 お店の人にどこにあるかを聞きました。地図を片手に探すより地元の人に聞くほうがいいと思いましたが、皆商売に忙しい中、まっすぐ行って左!そっけない返事でした。(当たり前ですね〕 人混みを掻き分けて、もうもうと線香の煙が立ち込める関帝廟に到着。  横浜の関帝廟は明治期に建造、1990年に再建された4代目です。関帝とは三国志の英雄の関羽です。西暦160年前後の後漢、三国時代にかけて活躍した実在の武将です。姓は關、名は羽、字(あざな)を雲長といいます。三国志では劉備を長兄、關羽を次兄、張飛を末弟とした義兄弟の契りを結んだ桃園の誓いでお馴染みですね。              常に弱い立場の民衆の味方の関羽は、戦死した後も人々から支持され、死後九年たった西暦228年に祭祀され關帝として祀られ現在に至るまで崇拝され続けています。  清朝では満州で挙兵以来、常に關帝の神助が多大にあったということで建国後は王朝の守護神として手厚く祀られ、数千の廟が建てられました。武神のほか、理財にも精通していたため、商人は財神として商売繁昌の神として信仰されています。  中国の人でしょうか像の前に跪いて熱心に祈っています。周りは中国語が飛び交っています。  関帝廟を後にして横浜中華街南門シルクロード通りに向かいます    そこには2006年に建立された「横浜媽祖廟」があります。媽祖とは航海と漁業の安全をつかさどる海の女神です。中国沿岸や台湾で強い信仰を集め、海の神様として祭られるだけではなく、災いや、人々の病を治療すると信仰を集め、世界各地の華僑の住む町に祭られています。 丁度、3時おやつの時間、待望の飲茶〔やむちゃ〕です。関帝廟近くの上海豫園という小籠包のお店、30分ほど並んでようやく座れました。 注文したのは、ふかひれ入りと上海蟹のミソ入り。まいう~    ほどなく4時、遠くからドンチャンとシンバルや銅鑼の音、はじける爆竹の音 中国獅子が各店舗の商売繁盛や五穀豊穣を祈願し練り歩いています。 そ...

お前が水を飲んだ井戸に石を投げてはならない―実際に見たアラブの格言

   このところ寒気が南下して日本列島に居付いてしまって寒い日が続いています。朝、顔を洗う時、温水器で水が温まるまで流しっぱなし。水は大切に使わねばならない・・・頭ではそう思いつつも身体の方が赦してくれません。つい蛇口を開けっ放しにしてしまいます。子供の頃は、寒い朝にぬるくなった湯たんぽのお湯を母が洗面器に入れてくれたっけ・・・。思い出が頭を過ぎります。  私が永らく仕事で暮らしたサウジアラビアのほとんどは砂漠です。当然水が必要ですからオアシスの水がない所では生活用水は海水を蒸留して作ります。そのコストはガソリンの3倍かと思われます。しばしば断水もありました。そのため、会社からは洗車や家庭菜園に水を撒くことを控えるよう節水を求められていました。アラブの格言の 水を節約するよういわれた途端、誰もが水を飲み始める といわれる通りそれを守っている人は僅かでしたが、 絶えず水の事を念頭に置かねばならない毎日でした。  私がはじめてサウジを訪れ東京に戻ったあと、アラビアのロレンスという映画が封切られました。冒頭で他人の井戸の水を無断で飲んだ男が持ち主に射殺される場面がありました。なんて残酷なんだとスクリーンの中のロレンスの表情、それを平然と見下ろす男。かの地では水は生きんがために欠かせぬものです。持ち主に黙って貴重な水を飲むことは泥棒と同じ、許されるものではないでしょう。 乾いた砂漠の数々のシーンが私の体験したサウジアラビアとだぶってしまいました。映画を見終わったあと、待ちかねたようにからからの喉を水で潤した事を憶えています。 お前が水を飲んだ井戸に石を投げてはならない  持ち主の好意で提供された水がたとえ濁ったものであっても乾いた喉を潤してくれた水に感謝しなければならないとアラブの格言で諌めています。 山水の多い風光明媚なわが国では水はただ同然の固定観念がありますが、水不足がしばしば起る現代の日本、節水に努めなくてはなりませんね。  東南アジア、アフリカ諸国では水不足が深刻化しています。そこに登場したのが上総(かずさ)掘りという井戸掘りの技法。これは明治時代の日本人が発明した技術です。 わが国ではとっくに姿を消していますが、これらの諸国では広がり始めているそうです。なにしろ、現地で手に入りやすい竹を使って人力だけの安いコストで数十メートルの井戸が掘れるといいます。 ...

ある雪の日に

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  1月14日 東京に初雪が降りました。朝のうちは雨でそう寒くはありませんでした。成人の日、TVでは晴れ姿の女性が放映されていました。そろいもそろって白いショールで雨の中会場にむかっている和服姿、10時過ぎに雪にかわり、帰りはどうするのか心配になってきます。 中にはブーツの人も。かっこ悪いが正解でしたね。 この雪は予報士さんによれば、発達した低気圧が本州に接近し南下している寒気とぶつかったいわゆる爆弾低気圧となったからだそうです。 降雪と強風が伴なって夜遅くまで続きました。東京の積雪量は8センチ、7年ぶりの大雪だそうです。  たった8センチの雪ですが首都圏は大混乱、東名高速道の渋滞50キロ、停電2万戸、空路の欠航500便、怪我をした人は350人を超えたとニュースで伝えています。 昔は30センチを超える積雪なんかあたりまえで、たいしたニュースはありませんでした。まあ、マスメディアの進歩で大量の情報がすぐ身近に伝わるようになったのですね。  雪国にくらべ、たいした降雪ではありませんが、久々に玄関先や家の前の道路の雪かきに汗を流しました。物置の中で見捨てられていたさびたシャベルが役に立ちました。雪国では毎日しなくてはならない。大変な労力なんですねえ。    ベランダにはすずめが一羽、ぬれた羽の毛繕いをしています。そっとしておいてあげましょう。気温は0.6度 植木鉢の乾いた土(〔左端)に居座ってなかなか去ろうとはしません。  暖かい部屋の中、子供の頃は雪が積もるとすぐ外に飛び出していったものですが。いまやぬくぬくと温まっています。  今は外なんか出たらママに怒られてしまいますね え 。でも、室内の過度の暖房は控えてエネルギー資源の節約に努めましょう。 1994年2月12日、この日も大雪でしたが我が家の飼い犬は大喜びで雪の中を駆け回わっていました。

3年目のシクラメン

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  毎年12月、知人からシクラメンの花が届けられます。ポインセティアとともにクリスマスの花として室内に飾ります。シクラメンは次々と花を咲かせ4月まで楽しむ事が出来ます。毎年咲くとの事ですがいつも手入れが悪く枯らしてしまうのが常でした。  3年前、花が終ってから屋外に出して夏の暑い時期には風通しのよい木陰に置きました。秋になって葉は茂るも冬には花は咲きませんでした。  シクラメンの育て方をインターネットで調べてみると、株は夏の暑さに弱く5月頃に葉が枯れて休眠にはいるとか葉はそのままの場合もあるとか植え替えするとか肥料の与え方も様々、どれもがごちゃごちゃしていて良く理解出来ませんでした。   そこで昨年は自己流にやってみようと1000倍に薄めたハイポネックスを一週間毎に小まめに与えたり、底面給水の受け皿に水を怠り無く供給したりその甲斐もあって、昨年11月には小さな花芽がでてきました。驚いたことに3年前の花が咲かなかった鉢も蕾がつきはじめたのです。   今年は我が家の階段に並べてみました。 上から位1年、2年、3年ものです。 やはりプロが育てたものより花の数は違いますが、今年の11月にはまた花を咲かせてくれるものと期待しています。  昔、シクラメンのかほりという歌がヒットしました。そこで、花に顔をよせてみました。青臭さだけで何の香りもしませんでした。 一寸がっかりですね。  学名:Cyclamen persicum  和名:カガリビバナ(篝火花)  別名:ブタノマンジュウ(豚の饅頭)  花期:冬  受け皿に水がなくなったら水を足します。肥料は9月~翌5月まで2ヶ月に1回土の表面に化成肥料を施します。化成肥料の代わりに1週間に1回1000倍に薄めた液体肥料を与えても良いでしょう。底面吸水鉢の場合、液体肥料は鉢の底の受け皿に薄めたものを入れます。夏のあいだは直射日光を避けて風通しのよい木陰においておきます。まあ、これが私が理解できたシクラメンの一般的な育て方でしょう。  追記:  12月から咲いていたこれらのシクラメンは毎日のように目を楽しませてくれています。 昨年の1年生の花(最上段)は終りかけていますが何と2年と3年ものはまだまだ花芽が出てきています。 2013年4月11日撮影  

もし冒した罪を神が赦さなかったら天国は空っぽになるー実際に見たアラブの格言

   世の中にまったく罪を犯したことのない人間はいるでしょうか。道に落ちていた硬貨をポケットに入れても、罪になりますね。アラブでは表に出ない罪は,七割がた許されるという格言があります。そのため、うやむやのうちに葬られる悪事が多いようです。たとえ犯した罪が発覚しても、滔々と自分を弁護します。中東で赴任中、私はこのような場面に出くわし、辟易したことも何度かありました。  湾岸戦争のあと、私の部下が1週間も無断欠勤したので、それなりの手続きをすませました。なんらの消息もないまま1ヶ月たった後、彼がひょっこり会社に出てきたので、規定にしたがって君は会社を首になった旨をつたえたところ、解雇は不等だと申し立てました。 実は、彼はイラク軍が残していったグレネード・ランチャー(携帯式ロケット砲)を記念品として持っていたため、警察に捕まったそうです。  「皆もやっていることだ、俺だけじゃない、捨てていったものを持っていたといって泥棒したわけではない」と会社に復帰することを主張しました。 そして一ヶ月間の拘留の判決を受け、禊はすんだという裁判所の書類を提出してきました。 会社は言い分を認め彼は復職しました。周りの人達も私も彼の罪について関心を払う事はありませんでした。  アラブでは、罪の清算がすんだ後、そんな事はもうなかったと、もうその身は潔白とされ人からは後ろ指は差されません。アラブの格言では もし冒した罪を神が赦さなかったら天国は空っぽになる。  神さまは誰でも天国に受け入れてくれます。寛容の心は神の意思です。   日本では1回でも罪をおかせば、世間から疎外されてしまいます。 「罪を憎んで人を憎まず」私たちにもそんな言葉があります。(再犯を繰り返す不逞の輩は差し置いて)、このアラブの格言にあるように人を赦すという心が必要かと思います。   もう一人、武器の密売を繰り返していた男がいました。 大掛かりな組織でイラク軍の残した武器をトラックに積み込んで輸送中摘発されたのです。5年の服役を済ませたあと私のデスクの前に現れました。 見憶えのないヤツだったので、握手をして名前を聞きますと、5年前にこの部にいたので、復帰したいとのことでした。   会社を辞めたのだろうとの問いに、刑務所に入っていたとの返事でした。 武器の密売については、皆もやっていた事だ、捕まったのは不運だったとの返事...

Hallow!東京スカイツリー634

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   いやあ~混んでるねえ。天望デッキに上がるまで4時間かかったよ。 知人がそういうので完成してからも東京スカイツリーに行くのを躊躇していました。ところが、11月8日(木)になってようやくその機会が訪れました。2009年の10月には関係者のご好意で、先んじてスカイツリーの工事現場を見学することができましたが、その時の高さはたった174メートルでした。その後はTVでそのスラリとした姿を度々報道されるのを見ていましたから、当日はわくわくする気分で妻と二人で押上駅B3出口を出ました。まるで誕生した赤ちゃんに会いに行くような気分でした。  周囲は全く変っています。そこに聳える634メートルの鉄塔は首を曲げてもてっぺんまで見えません。そっくり返ってようやく、全景を見ることが出来ました。   これが634メートルを支えるのだ!    スカイツリーの基礎部分(2009年10月工事中に撮影)  集合時間にまだ時間があるので、建設当時に訪れ、写真をとった場所に行って見る事にしました。まず十間川に向かいます。    北十間橋から見た建設中のスカイツリー(2009年10月)    完成したスカイツリーと  川面に映るウオーターツリー(2012年11月)  ここは、人影もまばらですが、写真スポットとして絶好の場所です。さかさ富士ならぬさかさスカイツリー、東京ウオーターツリーと名付けましょうか。     まだ歩こう  次に向かったのは、一番人気撮影スポットの東武橋、川の周囲はすっかり整備されています。   東武橋から見た建設中のスカイツリー 誕生して6ヶ月大きくなったね、 よしよし抱っこしてやろう・・・アレッ?重い・・・2012年11月)        どうカメラをかまえても、ツリーの先端が切れてしまいます。他の人たちも座ったり、首をそらしたり撮影に苦労しています。  ここに助っ人が現れました。地元のボランティアのお年よりの男性たち。最良の撮影場所を教えてくれたのみならずトリック写真を撮ってくれました。 まわりに集まった観光客の中高年のオバサンたちも「おネエさん」と呼ばれまんざらでもなさそう。 だから話がはずみます。 私たちはが集合の時間が迫ってきますから、これで失礼。。   急がなくっちゃ!  東京スカイツリータウンへの来訪者は9月末で2095万人に達したそうです。今日も人の波が押...