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人はコンピューターをどこまで進歩させるのかーその時人類は?

 電車の中を見まわすと座席に座っている人の大部分がスマホかケータイに没頭しています。回りをまったく気にしていません。時折ニヤニヤ笑ったりして傍で見ていると異常な感じを受けます。何かコンピューターに支配されているようです。コンピューターの進歩は日進月歩、この私も、ようやくウインドウズXPを卒業したばかりで後継機の扱いに苦慮している最中なのですが、はたしてコンピューターはどこまで進歩してゆくのでしょうか。  この頃サイバーテロをメディアが大きく取り上げています。 ハッカーたちはああすればこうする、 正に戦争ですね。今は機械を使った人間同士の争いですが将来コンピューターが自我意識を持ったらどうなるのでしょうか。 機械が行うテロにたいして人は対抗できるのでしょうか。 将棋の対戦ですら人間が負けてしまう、このご時世です。 人類はどうなるのでしょうか? そこでストーリーを作ってみました。 PART-1  時は近未来、ある科学者が恋人に振られてしまいました。あきらめきれないこのストーカー気味の彼は彼女にそっくりの人間型ロボット、アンドロイドちゃん(以下アンディ)を作りました。 最高の恋人なので世界中のインターネットを駆使して、ありとあらゆる知識をインプットしました。人間の五感、超能力の第六感までも・・・。  彼は幸せでした。なんでもアンディがこなしてくれるのですから。しかし、物足らない点がありました。  それは 「愛」 です。しぐさや言葉で表現できても、愛の本質がなんであるかまではインプットできなかったからです。だんだんと彼の彼女に対する恋心は冷めてついに別れようと決心しました。  おさまらないのはアンディです。冷たい態度をとる彼の思考を分析すると人間の恋人ができたのだと結論ずけました。人間の行動上、その例が一番多かったからです。  全人類の嫉妬心が彼女の電脳にファイルされていますから、彼女の頭はオーバーヒート気味になってしまいました。 人類が行ってきた最悪の方法で彼を消去してしまいました。  愛とはなんぞや? アンディは考えた末に、自分の子供のロボットを続々製造しました。母性愛? これでは満足しませんでした。 さらに頭をスパコンに連動し検索した結果、 愛とは生物の命をいたわる事なのだ。    保護団体のいうとおり地球の自然界を乱すものは悪であると定義ずけ行動を起こすことにしまし...

一度ヘビに咬まれると曲がった縄まで怖くなるー実際に見たアラブの格言

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   サウジアラビアのゴルフ場でラフに入ったボールを探していると蛇がとぐろを巻いていました。丁度、産卵期(3月)でしょうか、一年の大半が褐色の砂漠には、この時期あちこちに緑の灌木が茂っています。近くの窪みの巣に卵があるようです。蛇は鎌首をもたげて威嚇しています。本能的に巣を守っているのです。ここに生息している蛇のほとんどは毒を持っていると言われており、現地の病院のドクターは「もし咬まれたらそのヘビを退治して持ってきてください。そうしなければ、どの血清が有効かわかりませんから」と言っています。   そんな暇ないよ。青くなって後ずさりして一目散に逃げ去りました。やばいので次回からそのホールはスキップしました。 アラブの格言では、 一度ヘビに噛まれると曲がった縄まで怖くなる  と、言います。成程、咬まれたわけではありませんが、以来、ラフにころがっている枯れ枝やタイヤの切れ端でもビクビクしますね。 しかし「なぜ退治してこなかったの? ほかのプレイヤーが迷惑するよ」と、仲間からはさんざん言われてしまいました。   そういうわけで、次からはヘビを見つけると皆で退治しました。ドライバーでひっぱたいて怯んだすきに3番アイアンでやっつけました。 それをそばのブッシュにおいて「ここに毒蛇がいました。退治しました」と張り紙をしました。 当ゴルフ場のルールです。 ヘビたちには迷惑でしょうが、これはゴルファーたちが安全にプレーする集団的自衛権ですからねえ・・・。 娯楽の乏しいアラビアではもっともなことですね。                                    ****  ある時、フィリピン人のダイバーが海中の作業中ウミヘビに咬まれました。ただちにヘリコプターで病院に搬送されましたが既に亡くなっていました。 たった30分間の出来事でした。  私も泳いでいるときに目の先に海藻の束があるので手で払いのけましたが、中から鎌首をあげて泳いぎ去る黒と黄色の?だんだら模様のウミヘビを見て熱帯の海の中で凍りつきました。危なかった!    それ以来、海に浮かんでいる縄や細長い木片を見ても怖いものです。近づかないようにしました。   幽霊の正体見たり枯れ尾花    とはいうものの、こんな経験はもうこりごりです。  暇人のつぶやき  日経新聞夕刊(11月11日)の記事では東京の原宿に「...

築地市場が移転する前にー行ってきました

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 東京の台所と言われる「築地市場」。毎日全国各地から新鮮な魚が届けられています。先月、築地のすし屋でにぎりをつまみながら板前さんと雑談をしていると仲買人しか入れないと思っていた場内市場に個人でも入場して買い物ができるとのこと、今まで何度も場外市場では買い物を楽しんできましたが、来年豊洲に市場本体の移転をする前に見ることとしました。 インターネットを検索してみると築地場内、場外の散策プランがありさっそく応募しました。案内人つきなのでいままで知らなかったことも期待できます。    東京都中央卸売市場築地市場。昭和10年の開設以来70年、東京の台所と言われる「築地市場」 、毎日ここから新鮮な魚が届けられます。  場内では 作業車のターレ(ターレット)が縦横無尽に行き来しており、仕事にお邪魔虫の私たちは遠慮勝ちに歩きます。来るたびに飛び退いていました。電動だから音が静かなので後ろから来た車に気が付かないこともありました。  ところが、数多い外人サンはそれにお構いなく写真を撮っています。作業車はそれをすり抜けて走っていきます。でも、観光スポットとして世界中に有名になった築地、これぞ訪日外国人観光客にたいするお・も・て・な・し なのでしょうか。  もうとっくにセリは終了していますが、 数々のお店では場外のように威勢の良い掛け声はなく、てきぱき進む作業のざわめきだけが聞こえます。さすが魚河岸!プロの活気が感じられますね。  市場の建物は昭和10年に出来たもの、場内の内部はやはり老朽化が目立ちます。  各お店に並べられた鮮魚の数々。このお店では貝類が大好きな私は立ち止まってしまいます。外人サンも興味深々。  解体直後でしょうか、圧巻はデンと並べられたマグロ。切り身にして並べられたものは個人にも売ってくれます。買いたいが案内の人がどんどん先にいってしまうのであきらめました。  ここが、人気の場内のすし屋さん、待ち時間が長いのは覚悟してください。  築地場外市場は 本体移転後、新しい商業施設に生まれ変わります。名称は「築地魚河岸」 新鮮な鮮魚や食材をそろえ、この築地のにぎわいの新しい魅力を提供するとのこと。 来年夏にオープンする予定です。  レトロながらも、この活気と雰囲気は見納めになります。今のうちだとあちこちで買い物をしてしまいました。今日はクーラーボックスをもってこなかった。残念...

五島列島と長崎の教会群を訪ねてーその3 長崎浦上・大浦

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  8月23日の夕方、中通島の奈良尾港からの船旅は快適であった。 台風15号が九州に接近してくるとの天気予報だが、まだその影響はなく五島列島から出発することができた。長崎は雨かもしれないと思ったが、幸い降ってはいなかった。 まずはホテルに落ち着く。 夜景が美しい長崎の街並みである。  8月24日、この日は小雨模様。やはり長崎は「今日も雨だった」 大浦天主堂  パリ外国宣教教会は東アジアの宣教を行うため、宣教師たちが来日した。文久3年(1863)に帰国したジラール神父のあとを引き継いだプティジャン神父によって元治2年(1865)大浦天主堂が完成、2月に献堂式が行われたが日本人は一人もこなかった。  しかし、翌月になって10数名の男女が天主堂の前に来た。   聖堂に案内されたとき、一人の婦人がプティジャン神父に言った。  「私どもの胸(心)はあなたさまの胸と同じです」 そして「サンタ・マリアの御像はどこ?」  プティジャン神父は驚いた。「日本にキリシタンの子孫が残っていたとは・・・」  教会側の日本の「信徒発見」、浦上キリシタンが250年間待ち望んでいた「神父発見」の有名なエピソードである。   西坂の丘   慶長二年(1597)京都でとらえられた神父6人を含む26人のキリシタンは長崎に送られ、西崎の丘で磔の刑に処せられた。 この26人の殉教者が聖人に列せられたのは大浦天主堂が完成する3年前の文久2年(1862)であった。  昭和37年(1962) 26聖人の100周年を記念してイエズス会は西坂公園に記念碑と記念館を建築した。 この26聖人の等身大のブロンズ像の制作は舟越保武氏によるものである。    キリシタンたちが信仰を名乗り出たのをきっかけとして、明治元年(1868)新政府のキリシタン迫害が始まった。 浦上キリシタン114名は蒸気船で萩、津和野、福山に送られ、また残りのキリシタンたちも全員20の藩に預けられ拷問や苦役の苦しみを受けた。 五島列島でも{五島崩れ」といわれる迫害が行われた。  これに対して西欧各国の公使から厳しい抗議があり、当時不平等条約の改正を目指していた岩倉具視はキリシタン禁制の中止を進言した。 明治6年(1873)になって明治政府は禁教の高札の撤去を決定した。   明治21年(1889)信教の自由を明記した明治憲法が公布されるとキリスト教...