イブラヒムの釣り歌
私がアラブの釣り人と付き合い始めたのはかれこれ30数年前のことでした。イビラヒムもそうした釣り仲間の一人です。イブラヒムは海上の施設にある釣り場では横に置いたラジオから物憂げなアラブ音楽が流され一緒に唄っています。うるさいったらありゃしませんが、ラジオのスイッチを切っていてもだみ声が聞こえるので同じことです。この男、魚が釣れるとそれを振り上げ歌いながら踊りだす、こんな陽気な奴だから誰も文句は言いません。
だれかの竿に獲物がかかると鼻歌混じりに手をのばし、幹糸をつかんで引き上げる。余計なおせっかいですが、人が汗をかいている時に手伝うのがイスラムの精神だから善意でやってくれているのです。獲物はバレてしまいますが(アーア逃げてしまった)と自分事の様に残念がって両手を広げ肩をすくめて見せます。
当然、釣りの楽しみを奪われてしまい腹は立つことしばしばです。ある時に釣り人たちは口々にそんな事をするお前が大嫌いだといいました。さすがにしょんぼりしている彼をみて、私は釣り針が根がかりしたときだけ彼に手伝ってもらうことにしました。
彼の釣りの荷物は農作物の担ぎ屋のオバサンなみの重さです。これでもか、という数々の釣り具と釣り餌、ラジオ、それにアラビアパンや果物、お茶のポットなど数えればきりがありません。持ってきた釣りの竿をあちこちに仕掛けそれが済むとお茶を飲みラジオのスウィッチを入れて歌い始めます。音楽が止んで静かになった時には大きないびきをかいています。きっと夢の中で大きな魚を釣っているのでしょう。
昼時、小さな絨毯が敷かれ、平べったいアラビアパン、茹で卵や果物が並べられて釣り人全員が大声で呼ばれます。ポットのコーヒーがふるまわれて昼食会が始まります。
ある時からイブラヒムはイスラムの礼拝日にあたる金曜日にだけ釣りに顔を出すようになりました。この聖なる日にはモスクに礼拝に行くのがイスラム教徒の勤めですからアラブの釣り人は皆無です。われわれ日本人たちは混雑を避けこの日に行くのを常としています。ただ一人アラブ人の彼がくるのでなぜモスクに行かないのだと尋ねてみました。
事情を話す彼の顔はいささか深刻になっています。折しも湾岸戦争(1991年)が終わってまもない時期であり、イラク系サウジ人の彼はまだ疎外されているというのです。しかも、彼はここでは少数派のシーア派ですからスンニー派とはお祈りの時間異なるので、その時間が来れば一人でメッカに向かって祈るのだ、決してあなた方には迷惑をかけないと答えが返ってきました。釣り仲間ですから彼を阻害するわけではありません。喜んで一緒に釣りを楽しむ事を告げました。心のつかえが取れたのか、彼はすぐにいつもの陽気な顔に戻りました。
今はもう日本人の釣り人たちは日本に帰国してしまいましたが、いまでも彼は歌いながら釣りをしているのでしょうか。
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