アラブの釣り人、サイード爺さんの海

  沙漠の国には娯楽が少ない。私が長年暮らしたサウディアラビア東部のカフジの町でもその例にもれません。しかし、この町に面した青いアラビアの海は退屈な毎日を救ってくれます。釣りは私のもっとも楽しい憩いだからです。サイード爺さんは、地元でも屈指の釣りキチです。彼には孫がいるくらいだから、年はもう70歳を越しているでしょう。でも、ほかのアラビア人と同様、容貌から年は判断することは難しいのです。

 この爺さん、週末に私が釣り場に行く通船でかならず出会う男です。船が海上の釣り施設に到着するやいなや、爺さんは大量の釣り具をかかえ人を押しのけ船から駆け上がります。良い釣り場所をいち早く占領するためです。もっとも、爺さんは潮をよむことを知りません。彼が良いポイントと思っているのは先週、誰かが大物を釣り上げたところです。

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  サイード爺さんは、古びたリールと、先端が折れた竿を何本も持ってきます。彼の作った仕掛けは、太い糸にぐるぐる巻きにされた大きな釣針が道糸に4本も付けられ、おもり代わりに自動車の古プラグが2つぶら下がっているもので爺さんはその何本もの釣り針にエビを惜しげなく突き刺し、えいやと海に投げ入れます。しかし、空中にエビが舞っても一向に気にしないのが常です。

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 サイード爺さんのターゲットはフエフキダイです。他のアラブの釣り人はいつも良く釣っていますが、爺さんが釣りあげたのを見た事もありません。

 さて、誰かの竿がぐぐっとしなるとサイード爺さんの眼が輝き出します。釣人が魚とファイトしている脇に割り込んでは仕掛けを投げ入れ釣り人が「邪魔だ!」といくら抗議しようとも爺さんの頭の中には「アラーの神と魚と俺」の意識しかありません。当然、おまつり騒ぎ。だから爺さんのそばで釣りをする者はいなくなる道理です。

 やがて、迎えの船が来ます。だが、サイード爺さんはそれでも釣りをやめません。皆が乗り込んだ後、催促の汽笛が鳴ると爺さんは非難の目をよそに大量の荷物引きずって、ゆっくりと乗りこんでくるのです。

 帰路、私は彼のクーラーの中を覗いてみました。そこには、釣り仕掛けを巻いた空のミネラルウオーターのボトルが数本、転がっているだけでした。

 船上で釣り人たちは釣果の自慢話に花が咲かせています。だが、サイード爺さんは彼らに決して釣った魚の分け前を強要することはありません。この時、私は彼が誇り高いアラビアの釣り人である事を悟りました。

 私が本社に転任となり、このアラビアの地を離れることになりました。空港に向かう道すがら青い海が見えてきました。私は彼に置きみやげとして私の余った釣り仕掛けを残さなかったことを悔みました。だが、私はそれをすぐ脳裏から打ち消しました。自分が工夫をこらした仕掛けで釣りに行き、そして、空のクーラーを抱いて帰るサイード爺さんの釣りの美学を損なわすにすんだ、と考えたからです。



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