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星の王子様に会いたいな・・・箱根の「星の王子様ミュージアム」を訪ねて

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  星の王子さま、言わずと知れたフランスの作家サン=テグジュペリの代表作だ。いつこれを読んだろう・・・多分、小学生のころ買ってもらった本だったと思う。その時の感想は童話にしてはむずかしいなと、ただ挿絵を何回もパラパラとめくって見るだけだった。本格的に内容を読み始めたのは中学生になったころと記憶している。英語の授業でもとりあげられた。  このほど箱根を訪れた折、「星の王子様ミュージアム」をパンフレットで見つけ,早速バスで仙石原に向かった。  桃源台行きの路線バスで「川向・星の王子さまミュージアム」を下車。眼の前にはヨーロッパを旅行中よく見かけたような建物が目に入る。  館内の庭には星をめぐる王子様が会った王さまやうぬぼれ男などのキャラがならんでいる。物語の進行にあわせて展示物を振り返って見るのも楽しいものだ。 ミュージアムの展示ホールにはサン=テグジュペリの自家用機(1934年)の模型があった。コードローン630型だ。彼はその愛機にシムーン(砂漠の熱風)と名付け2機も保有していた。当時の複葉機主流の時代にあって時速300Km/h 全長9.1m の単葉最新鋭機は かつて飛行機少年であった私にとって大変気に入り、その場に立ち尽くし暫く見入った。館内に展示されている数々の彼のプロフィールは私の頭のなかでは常に飛行士のイメージとしてとらえ、到底作家とは思えないものになってしまった。  彼の乗った飛行機がリビア砂漠に不時着し独りぼっちの彼の前にあらわれた少年、星の王子様だ。幻想だったのだろうか。もう、ひと雫しか残っていない貯えの水を飲みながら彼は王子様と共に泉を探し歩いて行く。 「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからだよ・・・・・」と、王子様が言う。実際に私が目にした砂漠(サウジアラビアに勤務中の時)の井戸は瓦礫を積み上げナツメやしの枯れ葉が被さった粗末なものであった。だが、水を求めてさまよう描写は、砂漠の中で仕事中の自分の姿とだぶって喉の渇きを覚えたほどだ。実際、飛行機が不時着したリビアの砂漠ではサン=テグジュペリはフランスの片田舎の水を豊富にたたえた井戸を思い出しているのだ。  展示ホールの中にはサン=テグジュペリの飛行士の生涯を巡る写真やパネルが飾られている。  一輪のバラが展示されている。星の王子様が覆いガラスをかけて大切にしているたった一つの花である。物語の中

チョイ・ケバだけどチャーミングなアラビアふた筋ダイ

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   アラビア湾(ペルシャ湾)にはカラフルな魚たちが生息しています。私がこの海で初めてアラビアふた筋ダイを釣った時、あまりにも綺麗なのでこれは食べられないとリリースしようとしました。するとアラブの釣り仲間が捨てるならくれよというので、気前よく差し出しましました。あとで聞いた話ではアラブ人の間ではたいそう美味と評判の魚で「しまった」と思いましたが後の祭りでした。  アラビアふた筋ダイとは日本の魚類学者が付けてくれた名前です。アラビアではフォスケル 学名はAcanthopagrus bifasciatus (Forskel) 英語名は Two Banded Seabeam といいます。別名はキャプテンズ・ドーター(船長の娘さん)と言い見るからにチャーミングなおさかなチャンです。  ファッション・ショウ風にいえば「お顔のメイクは強調し黄色のファンデーション。眼とうなじにかけて二本の黒い縞のラインが魅力をアッピールします。銀色のボヂィにうまく組み合わさった黄色のヒレと背びれが青い海に映えスリムな感じを醸し出します」・・・と、言うのかな。  50センチのこの魚はまさにチャーミングなお嬢さんと言うにふさわしく、日本に持ってくれば水族館で人気アイドルになるでしょう。だが、持ち帰るすべはありませんね。  このお嬢さん、釣りをしていてもなかなかかかってくれません。たまに釣れるのは余程お腹をすかしているか、カレ氏に振られてヤケになっている時だけかもしれませんね。家に戻ってさばいていると、このお嬢さんのお腹には細かい貝殻がいっぱい詰まっていました。なんだ、彼女は有名料亭の貝料理しか食べないセレブちゃんだったのですねえ。イカゲソの餌では釣れない道理だ。/div>  さて、このおさかなちゃんは甚だ美味です。三枚におろし皮を剥ぐと白い身の中央の鮮やかな紅色が刺身の大皿に豪華な感じとなるのです。 当地の魚類と同じく油は乗っていませんがプリプリした舌ざわりは美味の一言に尽きましょう。薄く削ぎ切し押しずしも作ってみました。  アラビアでは魚を生で食べる習慣がなく魚市場に並べてある魚は鮮度が悪く、刺身を食べたければ自分で釣り自分でさばいて作るよりしかたありません。アラブの地で生活している間、このキャプテンズ・ドーターは本当に貴重な食材でした。

高齢者みな集まれ、ハワイアンバンドやろうぜ!

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   定年になったある日、友達から電話がかかってきました。「暇になったろ、久しぶりにハワイアンをやろうじゃないか。そうすれば、80歳になっても手のなかでクルミを転がさずにすむよ」成る程、ぼけ防止には一番かもしれない。そう思って押し入れのウクレレをひっぱりだしました。アララ・・・割れちゃっている。早速修理にだしました。    むかしは夏の音楽だったハワイアン、今やフラはオバサンどころか若い子まで踊っています。だから一年中OKです。  さて、曲を思いださねばならないな。CDを買いました。ところが、昔やった曲は一つもありません。今風のハワイアンはエイトビートの賑やかなものばかりです。数十年保管していたカセットテープは伸びきってしまったので、再生してもリズムが一定せず役に立ちません。    懐かしのハワイアンは 青、竹、サンゴ が御三家でした。ブルーハワイ、小さな竹の橋,珊瑚礁の彼方、の三曲です。それに月の夜はとかカイマナヒラ、幸いにして歌詞もコードも全部覚えていました。まだ捨てたものでないぞ!自信がつきましたが・・・。 「ブルーハワイっ< /span>てどんな曲ですか?」「昔、プレスリーが映画の中で歌っていたろう」「プレスリー?誰ですかそのひとは?」 今時の若い子とは会話が成り立ちません。やれやれ・・・マッ、しょうがないか・・・。  1960年代の私の大学時代はハワイアン最盛期でしたから学内にはたくさんのバンドがありました。すっかりご無沙汰していましたが電話をかけまくって連絡がつく人をあつめ、過去の三つのバンドをまとめて新しくバンドを結成しました。 バンドの名前はかつての銀行が統合した時のように長ったらしくなりましたが。練習日にはギターとウクレレをかかえて、いそいそと出掛けて行きます。電車の中でエレキギターを抱えた若者に「ヘッ、あんな年をとってもやってんだ・・・」と見られたようですが気にしません。 将来そうなるよ、今の君の音楽を大切にしなさい。  今時のフラの新曲はなかなか覚えられないのですが、これも努力のかいあってマスターできました。さて、次はライブだな。   今日は知人をあつめてハワイアン・コンサートです。上手くやれるかな・・・フラを踊るオバさん達もあつめました。派手なアロハシャツを着込んでレイをかけハワイに行った気分ですが、ここは東京です。  まずは乾杯