またホルムズ海峡(ペルシャ湾入り口)でタンカー攻撃ー歴史は繰り返す
6月、ペルシャ湾出入り口のホルムズ海峡でタンカーへの攻撃がまた始まりました。なぜ「またか」というと1987年のイラン・イラク戦争の際にも日本をふくめ多くのタンカーが攻撃されたのです。その時はイラン革命防衛隊のガンボートによるものでしたが、今回は誰が何の目的で起こしたのかはっきりとした報道はありません。先のイラン・イラク戦争の際、私はアラビア湾(ペルシャ湾)のアル・カフジにある石油会社で勤務していましたので、「またか}と思ったのです。日本の八割の石油が輸送される大動脈で起こったこの事件、30年余たった今もその時の教訓は生かされていないようです。
カフジに流れ着いたイランのミサイルおとり装置、反射板の大きさは3メートル近くあったと思う。さびているが銀色に塗られていたようだ。ミサイルは目標をそれて海上に浮かべたこれに命中するという。(イラストは当時の日記より)
私の日記で見るがぎり、200km以上離れたアル・カフジでも1987年には連日のようにイラクのバスラ付近でおこった戦闘の大きな爆発音が響いていました。
そのうちに海上ではイランのガンボートのタンカーの攻撃がはじまり、更に機雷の敷設で、アメリカをはじめ欧米諸国は自国のタンカーに巡洋艦の護衛を付けるようになりました。
一方日本は夜間航行、なるべくサウジ沿岸附近を航行するなどの対策をとりました。 1988年1月久々にカフジに入港した日本タンカーのブリッジには物々しく幅2メートル高さ1メートルの土嚢がこの字に組まれ、ヘルメット、防弾チョッキも用意されていました。
このころ、日本の政治家でしょうか、「日本船は甲板に日の丸が書かれているから攻撃は受けないのだ」とのんきなことを言っていました。
にもかかわらず、7月には日本船がガンボートの攻撃を受けエンジン付近から出火、けが人もでました。同船はタグボートに引かれバーレンに向かいました(この時わが社にも救援の要請があり、タグボートを派遣しました)。これを受けたか議員さんが三人もカフジを訪問されましたが、一体何をしにいらしたのでしょうか?
このころ、浮遊機雷の被害がタンカーだけでなく他の船舶にも頻発していました。海上油田を持つわが社の従業員への被害を恐れた私は本社に対策を申しでましたが「小型船舶は船首が起こす波で、機雷はそれてしまうから大丈夫」とつれない意見でした。 ところが、ドバイではタグボートが触雷して木っ端みじんのニュースがありました。本社では、日本人従業員に海上危険手当として海上作業に出た場合一日2400円が支給されることとなりましたが、現場では「俺たちの命はてんぷら定食並みかあ・・・」とあきらめ顔でした。
過去の愚痴はともかくも、機雷の恐怖はおさまりませんでした。1991年の湾岸戦争のあと、ペルシャ湾にはイラク軍が設置した機雷で湾内の広範囲に危険海域が設定され、各国海軍が掃海作業をしました。が、その作業は80%すめば完了、これでは船舶の航行が安全であるといえません。我が国でも海上自衛隊の掃海艇が30数発を処理しました。たったこれだけ?というつれない評価でしたが、これは各国が掃海をやり残した20%の部分の難しい作業だったからで、わが国の高度の掃海技術を示めしたものと思っています。青い海を航行する4隻の掃海艇をヘリコプターで空から眺めた時、思わず目頭が熱くなったのを覚えています。
今後、ペルシャ湾の安全はどうなるのでしょうか? タンカーへの攻撃は誰がやったのか不明のまま、メディアは「ホルムズ海峡タンカー攻撃、中東依存日本に警告」と30年前の同じ危機を忘れて大変だ大変だと報じています。幸いにして、この事件がおさまったら、何らの対策も取られずにまた将来も繰り返される事となるのでしょうか。
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