世界遺産になった潜伏キリシタンの里ー黒島と平戸を訪ねて

 「サンタ・マリア様はどこ?」聖堂に案内された時、一人の婦人がプティジャン神父に言った。「私どもの胸(心)はあなたさまの胸と同じです」 神父は驚いた。「日本にキリシタンの子孫が残っていたとは・・・」1865年完成したばかりの長崎大浦天主堂の日本のキリスト教信徒発見の有名なエピソードである。ザビエルの来日以来、布教を続けたキリスト教は弾圧され多くの信徒が拷問の末殉教したその歴史は私たちの知る所である。今回、国連教育科学文化機関(ユネスコ)によって2018年6月30日、長崎と天草地方の12の潜伏キリシタンの歴史を伝える宗教文化として世界遺産に登録された。



 
 禁教下で日本の伝統的宗教の中に身をひそめ自分の信仰を守り続けたキリシタン達、「その信仰の始まり」「伝統の形成」「その維持」そして「新たな局面の到来で潜伏の終わりを迎えた」ーこの宗教文化が世界遺産として評価されたのである。
 
 名をひそめていた日本のキリスト教の信徒達は潜伏キリシタン、隠れキリシタンと呼び名があるが、前者は明治になってカトリックに復帰した者、後者は先祖から受け継いだ独自のキリストの教えをまだ守り抜いている人々である。

 今回、新たに登録された長崎と天草の12の潜伏キリシタン世界遺産の構成資産のうち、黒島の集落、平戸の聖地と集落をこれに先立つ5月に訪れた。

 黒島のキリシタン

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 佐世保からフェリーで50分、黒島に着いた。 島は西海国立公園の中にある周囲14キロメートルの小島で昔は平戸松浦藩に属していた。現在、島の約8割の住民がキリスト教解禁後カトリックに復帰した、いわゆる潜伏キリシタンの子孫である。島の平地は仏教徒、険しい山地にはキリシタンの集落がある。彼らは島の仏教寺院から黙認されその信仰を続けたと言われる。

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 キリスト教の解禁後、この島に1878年に最初の木造天主堂ができた。その後、1897年にジョセフ・F・マルマン神父が主任司祭となり1902年になってフランスからの募金や信者の拠出金で現在のレンガ造りの天主堂が完成した。土地柄、祭壇の前の床は一面に有田焼のタイルが敷き詰められている。

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 マルマン神父は天主堂の近くのカトリック墓地に葬られている。周りには信徒たちの十字架の墓碑が立ち並び、まるでヨーロッパの墓地にいるようである。

平戸島の聖地と集落

 春日集落の段々畑はちょうど麦の刈入れが終わり田植えの時期であった。窪地にあるこの集落の人々は農耕を営みながら、かなたに見える安満岳を聖地として崇め、その心の内のキリシタンの教えを守り続けたのである。キリシタン達は表面上、仏式の葬式を出さねばならなかった。しかし、彼らの本来行く所は天国(パライソ)であり極楽ではない。そのため、葬式が終わると「教消し」のオラショをとなえたという。また、彼らの祈りの場所は神社などが使われた。

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資料出典:平戸切支丹資料館

 弾圧下のキリシタン達の家には納戸神がある。表は普通の仏壇であるが裏には十字架やマリア像などキリスト教関係の品々がが隠されていた。 また、マリア観音と呼ばれる像や絵画はいかにも東洋的な風貌をしており、中にはかんざしが十字架型であったりするものもある。

中江の島―殉教地

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 中江の島は生月島と平戸島の中間にある無人島である。1622年生月の武士ジョアン坂本左衛門、ダミアン出口は神父をかくまっていたという理由で斬首された。 その後、豪商のジョアン次郎右衛門とその家族が処刑された島でキリシタン達の聖地となったところである。「参ろうやなあ、参ろうやなあ パライソの寺に・・・」は次郎右衛門がこの島に向かう船で「天国はそう遠くない」と言ったその故事を偲んで「サンジョワン様のお歌」と呼ばれている。

 キリシタンの洗礼、また仏壇(納戸神)や石塔のお魂入れやお魂抜き、無病息災の祈願にはこの島の水はキリシタンの儀式に必要な聖水として使われ「サンジョワン様の水」と呼ばれ今でも使われている。

 この島に渡ることはできないが、対岸の生月島で殉教したガスパル様とよばれるガスパル西玄可の墓のそばの中江の島展望所から眺望できる。

外海の人々に尽くしたド・ロ神父

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外海地方の産業・社会福祉・土木建築・医療など多くの人々のために奉仕したフランス人のカルク・マリー・ド・ロ神父。1868年に来日し74歳に亡くなるまでこの地の貧しい人々の為に尽くした。建築家でもあった彼は1882年出津教会堂を建設、また、医学にも精通している彼は救助院、授産、保育所などを創設、さらにはマカロニ工場などの産業の育成に努めた。その偉業はいまでも「ド・ロさま」とよばれ、多くの人々に敬愛されている。彼は出津共同墓地に葬られている。住民の心のよりどころの出津教会堂は外海の世界遺産の構成資産の一部となっている。
 
遠藤周作記念館

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 沈黙、遠藤周作のこの作品は2度にわたり映画化された。棄教したロドリゴの苦悩、また禁教当時の日本のキリシタン迫害が如実に描かれている。海のそばのこじんまりとしたこの資料館には彼のカトリックの信仰への思いが詰め込まれている。


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 今回登録された長崎と天草のキリシタン関連遺産は次の通りである。

1.原城跡
2.平戸の聖地と集落(春日集落、安満岳)
3. 同上(中江の島)
4.天草の崎津集落
5.外海の出津集落
6 外海の大野集落
7.黒島の集落
8.野崎島の集落跡
9.頭が島の集落
10.久我島の集落
11.奈留島の江上集落と天主堂
12. 大浦天主堂

註)太字は今回訪れた所
 

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