近江路の城を歩くーその3 井伊家の彦根城

 織田信長の安土城跡、豊臣秀次の八幡山城址をみたあとJR近江八幡から彦根に移った。駅前のホテルにチェックインのあと、彦根の美味いものを求めて町を歩く。あった!まずは彦根丼を賞味。明日は彦根城の見学だ。彦根藩は幕府から預かった蔵米五万俵を加えて35万石の徳川幕府有数の譜代大名として明治まで続いた。桜田門外で暗殺された井伊直弼は13代にあたる。今回の旅では城跡ばかりだったが、現存の古城を見るのが楽しみだ。


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JR彦根駅前の井伊直政の銅像、昔の武将はすごい兜をかぶっていたものだ。自分の雄姿を敵方にアッピールすると共に指揮を執る際に味方の兵たちには一目瞭然だったのだろう。なるほど、これが井伊氏か・・・。井伊の赤備えは家康に命ぜられ旧武田家から受け継いだもの。そういえば、真田勢も同じ赤だった。

 会社勤めのころ井伊さんという方と名刺交換をした。彼は「いやあ、この名前で海外に出るときには苦労が絶えません。裏をみてください」と言う。名刺の裏側には例にもれずローマ字が。I i ? 入国の際、パスポートの名前が完全に記載されていない、と係官がいうのだ。その都度説明しなくてはならないのだ。大笑いとなったので彼が井伊家のご子孫であるかどうか聞きそびれてしまった。  
 閑話休題・・・。

彦根城

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 彦根駅前からは彦根ご城下巡回のボンネットバスが出ているが、歩いて彦根城内に向かう。

 まずは内堀にかかる表門橋を渡り彦根城博物館、内部の見学を終えた時、人気のひこにゃん午後1時30分の登場時間。大勢の見物客が集まっていた。ひこにゃんは今ではお殿様より人気者のようだ。観光客はそろって写真撮影に余念がない。子供からも「ヒコニャ~ン」 の声援が飛ぶ。

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 表門山道から天秤櫓、太鼓門, 長浜城から移築されたという。これを抜けると本丸。 

 いよいよ国宝の天守だ。牛蒡積の石垣の上に三階三重の天守がそびえている。

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 壁には無数の矢狭間、鉄砲狭間が作られている。当時の鉄砲の射程距離は100メートル、高い天守から届くわけがない。無意味じゃないかと案内人に聞いたところ発砲の音で驚かすためだとと言う。考えてみると、彦根城築城から後は明治まで戦いはなかった。いまでは三角、四角の窓が観光客の目を楽しませている。これも良しとするか。

 彦根城は井伊家が近江にやってきた時築城され、1603年から1607年のあいだに主な工事を終え大阪の陣が終了した後に表御殿や三重の堀、また、城下町が完成した。なお、築城にあたり三成の居城であった左和山城や秀吉ゆかりの高浜城の石垣や櫓がことごとく使われたという。 これは豊臣時代の遺産を消し去るというよりは使える資材はなんでも活用する、といった経済的な理由があったのではないかと思われる。現に内堀の石垣には墓石までが使用されている。

 西の丸の三重櫓をみて黒門橋に出る。そばには玄宮園がある。中国の蕭湘八景にちなんで近江八景を模して1677年に造営された大名庭園である。 

 丁度午後三時、そばの屋形船でお堀の遊覧コースがある。最終便だ。

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 桜の季節は過ぎているが、新緑の木々の佇まいが美しい。白鳥、黒鳥がのどかに泳いでいる。その風景も愛らしく楽しい。  

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 次にむかったのはさきほどの玄宮園を見学。華麗な大名庭園の規模に驚く。

 陽気な日に恵まれ、今日の日程は終わった。うっかり見損なった馬小屋などは明日見学しよう。見どころの多い彦根の町だ。夕食はうなぎ、浜名湖産だそうだ。関東の背開きではなく、腹開き。調理は関東風に蒸していないが、いつもと違った風味で美味い。ちなみに関東でうなぎ背開きされるのは武士たちに切腹をイメージさせる腹開きが嫌われたからだ、と言われている。

 翌日も徒歩で彦根の町を歩く。表門の外側に建っている馬小屋は21頭が収容できる。ちょうど、馬の腹の部分の下に穴があり排泄物が流されるように出来ているのも理にかなっている。柱の中央の位置に馬の腹帯を締める金具もついているのも合理的だ。小屋のそとには専用の井戸がある。なるほど、昔は馬は大切だったのだ。戦のない時代にあっても彦根藩では武術の鍛錬を怠らなかった。

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 外堀を歩いて遠くから彦根城を眺める。今回の旅では城址しかみていないので、現存する城の佇まいの美しさに感激する。そろそろ昼、駅前のシーズクラブというパン屋で焼き立てのパンを賞味する。13時、ホテルにタクシーを呼んでいる。急がなければ…。次の小谷城跡へ向かう。

 PS. 

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 東京の桜田門の近くの旧彦根藩上屋敷の西門脇には江戸の名水「櫻の井」がある。加藤清正が掘ったといわれてる。 安政7年(1860年)大老井伊直弼がこの井戸脇から出て登城中、水戸浪士たちに暗殺されたところである。現在はそばに高速道路があり、往来する車の音がやかましい場所だけに残念な気がする。。



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