3.11.14.46ー記憶を思い起こしてみると・・・

  五年前の2011年3月11日14時46分、その時何が起こったのか・・・被害地から離れた東京でも震度5弱の揺れを感じました。19000人の犠牲者を出した東日本大震災、それにくらべれば東京の地震被害は軽微でしたが我が家でもパニックを感じた出来事でした。 電話中突然の揺れ、あわてて通話を切ったものの、棚におかれた電話機や置物を必死に抑えていました。床には、お皿など破片が散乱しています。 


 ガスは緊急停止、ボタンを押してロックを解除するまで着火しません。水道は出ているのでバスタブを一杯にしポリタンクやヤカンなど、できるかぎりの容器にためました、

 懐中電灯の電池、まったく消耗しているか弱々しい光だけ。妻が急いで、スーパーに向かいます。ついでに食糧も・・・。しかし、彼女は手ぶらで帰ってきました。「もう、パンもなにもかもなくなっている・・・どうしよう」 たった3時間後の出来事でした。

 私もそのあいだ、手持ちの食糧を調べていましたが、2人で3日分程度、幸い行きつけのお米屋さんで5Kgを確保しました。ガスボンベも4本残っていました。 防災用品の袋にはカンパンなどの非常用食品がありましたがとっくに賞味期限が切れていました。仕方がない、これも活用することにしました。

 流通が回復し物品が出回ったとき、今後起こるかもしれない災害に備え10日分の備蓄食料のまとめ買いをしました。

 ところが年月が経つうちに戸棚のじゃまもの扱い、もったいないので賞味期限が切れる前に順次食べ始めましたがその後の補充はまったくなし。 あれだけ買い込んだミネラルウオーターの段ボール箱の山もとっくに消えていました。あれから五年、当時の事はのど元を過ぎてしまったようです。

 今後の災害にそなえ、TVなどでは災害のシミュレーション画像や解説、また各地では防災訓練がたびたび実施されています。それが実際に起こった時のの恐ろしさの実感がわいてきます。 

 3月11日 これではいけない! 反省しきりです。「都会では災害にそなえ少なくとも7~10日分の食料と水を備えておいてください」 その声に重い腰を上げスーパーに向かいました。  

 この大震災で家族を失った方の中には、この忌まわしい記憶を早く忘れたい、そのため残された震災の遺物を撤去してもらいたいという人もいます。 その気持ちは十分わかります。いざ、という時にこの3月11日の出来事、3.11.14.46を頭に刻み込んでおき災害に備えておかねば、また同じ規模の犠牲者がでるかもしれません。

 天災は忘れた頃にやってきます。

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