五島列島と長崎の教会群を訪ねてーその2 上五島のキリスト教会

  8月22日 久賀島からチャーター船で若松島の土井ノ浦港へ 天気に恵まれ穏やかな海を渡る。今回の旅では時間の制約から奈留島の江上教会は訪問できなかった。この教会は長崎の教会群とキリスト教関連遺産に申請中なので、ぜひ行って見たかったのだが次の機会にしよう。


上五島の教会ー若松島・中通島


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8.キリシタン洞窟

















若松島南西の断崖にある奥行50メートルの洞窟に迫害を逃れたキリシタンたちが隠れ住んだ。だが、朝食の煙を見つけられ捕えられ拷問をうけた。洞窟の入り口にはキリスト像が建てられている。

土井の浦の信徒たちは、毎年11月にはこの洞窟で彼らのために祈りを捧げている。


9.土井ノ浦教会

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この地には慶応年間(1596~1614)160戸のキリシタンが住んでいたが島原の乱に参加し全員帰らなかった。現在の信徒は大村藩からの移住者の子孫といわれている。

 明治28年(1892)に仮の教会堂が建てられ、その後、明治12年(1879)に建てられた木造の旧大曾教会を買い受け大正6~7年(1917~)に当地に移築された。 現在の教会の姿は昭和と平成9年の2回の大改修されたものである。しかし内部は木造教会建築の初期の様式を留めている。

  

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 島内の教会群の多くは険しい山や船でしか行けない交通の不便な場所に建立されている。これは迫害をのがれた隠れキリシタンたちが唯一生き延びる場所だったのだ。彼らは信仰の自由を取り戻したあとこの場所に自分たちの教会を建てキリストへの深い信仰と愛を誓った。

10.桐教会


















 明治30年(1897)中五島最初の小教区の教会として建立された。昭和33年(1958)に改築された。ここは、桐教会復興期の下村善七、ガスパル与作親子と清川沢次郎を顕彰する教会である。


11.福見教会





 











寛政11年(1799)5人の男女が迫害から逃れるため当地に移住してきた。キリシタンの地として大正13年(1924)パリのヒュウゼ神父によって聖堂が建てられた。

 レンガ造りの天主堂としては日本的な格組折天井で、西欧様式からの脱却を目指したものである。この地の98%がキリスト教徒である。今回の巡礼の旅2回目のミサを地元の信者たちとともに捧げた。


12.浜串教会

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徳川幕府のキリシタン迫害が厳しかった文化12年(1815)の頃、キリシタンたちは安住の地を求め、ここに移り住んだ。パリのマルマン神父と隠れキリシタンから復帰した移住者の子孫ペトロ竹内平吉氏によって、明治32年(1899)この教会を建立された。 老朽化のため、昭和42年(1969)海岸近くに新教会を建立した。

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 祭壇の鳩の大きなはとのモチーフが面白い。大目玉と思った二つの突起は頬の羽毛らしい。小さな目が二つその上についている。 島内の教会のステンドグラスやレリーフにはかならず4枚の椿の花びらがデザインされている。 これは十字架をあらわし島内のキリスト教信者の心の支えでもある。

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浜串港の入り口には「希望の聖母」像が出入船の」航海の安全を見まもっている。



中通島へバスで。前は船でしか渡れなかったが新しい橋のおかげで若松島と中通島の交通が便利になり人々の行き来が増えたーと、バスガイドさん。


13.大曾教会







 










当地の最初の教会は明治12年(1879)五島に逃れて信仰を守り続けた信徒が信仰の証として建てた木造教会であった。

 この建物は大正4年(1915)に土井ノ浦に移築され、代わりに翌年現在の教会が建立した。

 五島出身で長崎県下に多くの教会を建築した鉄川与助氏の設計によるもので、コーモリ天井、正面中央部は八角形のドーム鐘楼がある典型的な教会造りである。


14.冷水教会












 





海に面したこの教会は明治40年(1907)に建立された。設計は鉄川与助氏で、彼が27歳の時に初めて設計、施工した木造教会である。

 ベール神父の指導で教会建築を手掛ける大工の野原棟梁のもと、20歳で修業を積みベール神父からはコーモリ天井や幾何学を学んだという。
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15.青砂ケ浦天主堂














 




青砂ケ浦天主堂は教会建築家鉄川与助氏の設計によるもので、明治43年(1910)に建立した。本格的な教会堂建築のレンガ造りの重層屋根構造にもとずく外観や内部空間としては初めてという。この後の長崎県内の離島を中心に多数建築されたレンガ造り教会の起点となった。


16.鯛ノ浦教会

















 最初の教会は明治14年(1881)に建立され、その後明治36年(1903)に建て替えられた。この地の激しい潮風によって破損がひどく、昭和54年(1979)に建て替えられた。この教会の敷地にはフランスの聖地ルルドを模したマリア像が安置されており、信徒たちの深い信仰を集めている。


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 聖堂の鐘楼には建て替えに際し、原爆で崩壊した長崎の浦上天主堂の被爆レンガが埋め込まれている。


17.頭ケ島天主堂

















 頭ケ島は江戸時代末期まで無人島であったが、鯛ノ浦のキリシタンたちが安政6年(1859)に迫害を逃れて住み着いた。

 この天主堂が明治20年(1887)の木造教会が建てられたが、新しい天主堂が大正6年(1917)に竣工した。鉄川与助氏による日本では数少ない石造りで屋根は単層の瓦葺きである。内部は五島のキリスト教のシンボルの四弁の椿の花柄で彩られ、「花の御殿」の愛称で呼ばれている。 旅の3日目、 ここで3回目のミサを地元の信者たちと捧げた。

18.中ノ浦教会

















 リアス式の穏やかな海の小さな入り江にたたずむ中ノ浦教会、水面に映えるその姿はまるで絵画のようだといわれている。この木造教会は大正14年(1925)に建立、昭和41年(1965)の増築とともに鐘楼が建てられた。 


 この地の先祖は安政年間の外海地方から移住してきたキリシタンたちだが、明治初めの「五島崩れ」とよばれる過酷な迫害があった所の一つである。

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聖堂には五島特有のキリスト教の象徴の四枚の椿の花の装飾が施されている。

奈良尾港からジェットフォイルで長崎へ

五島列島と長崎の教会群を訪ねてー大浦・西坂の丘・浦上に続く・・・
(10月1日予定)

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