アラビア湾の潮風に吹かれてーセーリングの想い出

 ぎらつく頭上の太陽、その合間の潮風。目に映えるアラビアンブルーの海。ここはサウディ・アラビアの東部地区のアル・カフジ、アラビア湾(ペルシャ湾)に面した町です。かつてここにはカフジ・ヨットクラブがありました。赴任中はここでヨットを楽しんだものです。 

  アル・カフジでは日本の石油会社が石油利権の終了する2000年まで原油を採掘していました。会社のエリアでは家族とともに約130人の日本人従業員が暮らしていました。娯楽の乏しい砂漠の国の中で駐在員たちは、ゴルフ場の建設、マージャン、ルーレット大会、音楽会など知恵を絞って生活を楽しんできました。 この中で家族共々人気を集めていたのはヨットでした。毎年行われるレースのあとにはかならず、会社のゲストハウスでパーティが開かれていました。バンド演奏あり、ダンスあり、各家庭から持ち寄った料理ありでその夜は遅くまで盛り上がったものです。













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 私も1070年代の後半からこの地に勤務して3回の赴任を重ねました。述べ18年間になったでしょうか。海務に従事していた私は休日に行われるレースにはなかなか出ることが出来ませんでしたが、最後の1990年代の赴任では当ヨットクラブのコモドールに就任しました。

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 ようやく優勝カップを手にしたのもこの頃です。

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 470、Y-15,レーザー、それにウィンドサーフイン、週末や休日には色とりどりのセールがアラビアの海を賑わせていました。 また、毎年持ち回りで近隣の欧米会社とのレガッタを開催しヨットマン達との親交を深めてきました。中でも1993年にダハランのハーフムーンベイで行われたダハランセーリングクラブ主催のレース (この時はレーザー級) は心に残るレースでした。もっともその時私は監督でしたが・・・。欧米のオリンピック級の強豪選手がいる中で日本代表選手は奮闘しましたが最高で8位と勝ち目はありませんでした。でも国際レースに出場したんだーという自負だけは残りました。

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 カフジでは冬場の11月~3月には風速20メートルの荒れる日が多いので、風の強い日は絶対チン(転覆)するな、サメにやられるぞという声がありましたが何回かやってしまいました。その都度あわてて艇を起こしたものです。

 逆に夏は微風でセーリングには物足りないくらいでシングルハンドで時おりの風のブローを逃がさないようにのんびり舵をにぎっているのも楽しいものでした。

 夏休み、TVでは海のレジャーで各地がにぎわいが報道されています。海に浮かぶ白い帆の群、私が若いころ出場した佐島、江の島のレースの想い出が脳裏をよぎります。 もう一度海風に吹かれる時は訪れるのでしょうか。

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