碓氷峠廃線ウオーキング
何年前の事だったろう。 廃線になった旧信越本線の碓氷線が整備されてハイキングコースとなったと聞いたのは・・・。 しかし(横川~熊ノ平)を歩くとすれば基点地から往復しなけれならない、それでは距離がありすぎだ。 そこで考えたのはマイカー2台で行くことだ。 1台は横川、もう1台は熊ノ平の駐車場に置いて別々のパーティが下と上から歩けばよい。 1本道だから途中で車のキイを交換すれば片道で済む。 だが、このプランに乗ってくれる者は誰もいなかった。 今回チャンスがおとずれた。 阪急交通社トラピックスの碓氷峠・めがね橋の~んびり廃線ウオーキングと銘打った日帰りバスツアーだ。 早速、妻と二人分を申し込んだ。
約20分/1.2km
めがね橋
約18分/1.1km
碓氷湖 (食事)
約16分/1.0km
峠の湯駅
約15分/1.0km
div>旧丸山変電所
div>旧丸山変電所
約18分/1.3km
碓氷関所跡
約8分/0.2km
たいした渋滞もなく午後6時、バスは新宿駅にもどった。 程よい足の疲れを感じる旅だった。 運転手さん、添乗員さん、それに旅行社の関係者の皆さん、有難うございました!
碓氷峠鉄道文化村
約2分/0.7km
昔は線路はどこまでも続いていたのだが、 もう夢の後・・・
横川 峠の釜飯おぎのや前(ゴール)
資料出典:左)阪急交通社トラピックスのパンフレットより抜粋 (右)安中市産業部 商工観光課パンフレット
トンネルの両脇には撤去された線路に敷く砕石が残されている。また、保線工事の際の壁に設けられた避難場所の窪みも、そこかしこに見られる。学生時代は汽車でここを何度も通過して行ったんだなあ。思い出が頭を過ぎる。
トンネルやこの橋のレンガは東京駅のレンガと同じく深谷で製造されたものという。歴史を感じさせる風景だ。
資料出典:左)阪急交通社トラピックスのパンフレットより抜粋 (右)安中市産業部 商工観光課パンフレット
このウオーキングの魅力は旧線路の数多くの
トンネルをのんびりと下り道で歩いてゆくことだ。かつては列車、今は人の列が往く。時間は十分ある。まず10号トンネルからめがね橋の手前の6号トンネルまで1.2kmの道のりを歩く。
トンネルを抜けるとそこはまたトンネルの入り口だった。
6号トンネルを通過すると今回のウオーキングの目玉、めがね橋(碓氷第3橋梁)だ。ここからはちょっとコースを外れ急な階段を下るとその景観が楽しめる。昇り降りがきついが仕方がない。 まずは階段の途中でカメラのシャッターを押す。さらに国道18号線に降りて、その雄大な橋の全景を (といってもカメラには4っの橋梁のうち3っしかおさまらないが・・・)あれこれアングルを吟味してカメラに収める。 赤レンガの色が周囲の緑に映えて美しい。 紅葉の時期になったらもっと艶やかだろう。
トンネルやこの橋のレンガは東京駅のレンガと同じく深谷で製造されたものという。歴史を感じさせる風景だ。
更に5号、4号と3号のトンネルを通り過ぎると碓氷湖、湖畔の広場には大勢の人が・・・きょうはイベントがあるという。なんと48台のバスで2千人以上の人々がこの峠路に詰めかけているのだ。だからトイレには長蛇の列、切羽詰った人は可哀相だ。早くしてくれえ~人ごとじゃないよ。
ここで、バスの中で手渡された弁当を林の中で食べる。おにぎり、土地柄の料理がうまい。 設えたテントではこのツアーの参加者にきのこの振る舞い鍋と地元の力餅、磯部煎餅、ブルーベリー飴、お茶のサービス。
帰りのバスの出発まで、あと1時間半ほどある。 さて、出発だ。
ここで、バスの中で手渡された弁当を林の中で食べる。おにぎり、土地柄の料理がうまい。 設えたテントではこのツアーの参加者にきのこの振る舞い鍋と地元の力餅、磯部煎餅、ブルーベリー飴、お茶のサービス。
帰りのバスの出発まで、あと1時間半ほどある。 さて、出発だ。
2号、1号トンネルを通り過ぎると「峠の湯駅」 ここに可愛らしいトロッコ列車 ゆっくりと出発進行!
昔は線路はどこまでも続いていたのだが、 もう夢の後・・・
こちらの線路は続くよどこまでも・・・ ひたすら歩くこの人たちは列車が故障したからではないのだ。
旧丸山変電所は碓氷峠をゆききする列車に電力を供給するため1912年(明治45年)に建てられた。現在、国の重要文化財となっている。写真はその内部。
さあ、ゴールの横川駅に着いた。 2時50分 駅前ではイベントの獅子舞、、ユルキャラの着ぐるみも笛や太鼓の音に合わせて踊っている。 、屋台が出て賑わっているが、あいにくとバスの出発時間がせまっている。 おぎのや前の駐車場へと急ぐ。 午後3時出発、帰路につく。
たいした渋滞もなく午後6時、バスは新宿駅にもどった。 程よい足の疲れを感じる旅だった。 運転手さん、添乗員さん、それに旅行社の関係者の皆さん、有難うございました!
アプト式線路とは:
1893年(明治26年) 国鉄の最急勾配区間である横川ー軽井沢間の碓氷峠に採用された歯軌条鉄道の一方式である。 アプトとは考案者のドイツ系スイス人の Roman Abtの名をとったものである。 レールの中間にラックレールを敷き、互いに歯をかみ合わせて引張力やブレーキ作動を出す。 初めは蒸気機関車だったが、これによって表日本と裏日本が直接つながった交通が開けた。
1912年(大正元年)に電化され、以来アプト式軌道は1963年(昭和38年)まで70年6ヶ月間にわたり使用された。
アプト式の廃止で1966年(昭和38年)には新路線が開通、旧線も改造されて複線となった。 横川からの上がり路線は新線、下りは旧線の列車の走路となった。
1997年(平成9年)長野新幹線の開通によって、横川ー軽井沢間のこの路線は廃止となった。
アプトの道:
アプトの道はこの廃線路を利用して2001年(平成13年)に横川ーめがね橋が完成、更に2008年(平成20年)にはめがね橋から上の熊ノ平まで整備された。 今回のウオーキングは熊ノ平から横川まで約6.5km 標高差約300mの下り勾配のコースであった。
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