ポケットのなかの一枚の銅貨はポケットの外の十枚の銅貨よりましであるー実際に見たアラブの格言

  アラブの人たちと永年付き合っていると彼らが非常に慎重に物事を考える性格であることに気が付きます。海外の現場にいる日本人は何か事が起ると早急に結論を求められますから、ややもすれば「それ行けドンドン」と進んで行かざるを得ないのですが逆にアラブのスタッフたちはこれが本当に正しいのかじっくりと考えてから結論を出すようです。 

 アラブでは新しい提案があった場合、それが自分たちの昔からのやりかたにあっているか、また、イスラムの掟にあっているか、また、自分に対する利益がどれくらいあるのかをあれこれ考慮の末に決定するようです。だが、一旦考えがまとまると、その主張は猛烈です。

 日本では個人はともかくも組織に入ると結論は中々出ません。「○○クンの意見はわかった。 今日の会議はこれまで、また明日」 翌日は始めからの蒸し返し。結論を求めると 「キミい、それは拙速だよ」 

 「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」 すなわち、戦いを長引かせて勝ったためしはない、だらだら会議をしていて何になるでしょうか、なにか孫子の兵法を誤解していませんか?実際本社ではそんな風潮でした。
 
 だから現場の日本人たち(特にせっかちな私)は、アラブの考え方と本社の指示が遅いので仕事が滞りイライラしっ放しになるのではないでしょうか。 まあ、泣き言はこれまでにして話をもどしましょう。

  

ポケットのなかの一枚の銅貨はポケットの外の十枚の銅貨よりましである

 このアラブの格言に見られるとおりこの社会で物事を進めて行くには確実性が求められます。いかにうまい話でもなかなか信用してもらえないのです。だから物事を頼む場合、あれやこれやの手を使って根回しの上納得して貰えるよう話さなければなりません。その時間の長いこと・・・。

 100年ほど前、あるアラブの国にはじめて電話が敷かれました。しかし、それがイスラムの教えに違反していないか、遠く離れても聞こえる電話の声は悪魔の声にちがいないと騒ぎたてられ侃々諤々の議論、電話網の整備は頓挫しかかりました。 

 ところが知恵者がいて、悪魔の声だったら聖なるコーランは聞こえないはずだ、と保守的なイスラムの聖職者に電話でコーランを流しました。

 うまいことをしましたね。これで聖職者も皆も納得、こんな便利なものはないとイスラム諸国ではいまやケータイどころかスマホまで普及しているのです。いわば、外にあった10枚の銅貨がそっくりそのまま彼らのポケットに入ったのみならず、知らないうちにそれは増えていったのですね。

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一度ポケットに入った硬貨は買い物の時に余り使いませんから、溜まってしまいます。
(右:クウェイト、左:サウジアラビアのコイン)


    

それにつけても現地では間違い電話の多いことよ、夜半にたたき起こされる事もしばしばでした。どこに繋がるかわからない、だから電話の相手には初めに「ミ~ン?(そちらは誰)」と言って確かめます。「もしもし」という意味ではないのです。

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