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5月, 2013の投稿を表示しています
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  毎年楽しみにしているブルーベリーの実が一粒づつ紫色になってきました。 昨年は色づいてから甘くなるのを待っていましたが2~3日してから見にゆくと、 やられた! 私が食べた分はほんのわずかでした。 今年は盗られてたまるか。 我が家の屋上にはささやかながら庭園を作っています。 バラ、アジサイ、ペラルゴニュームなどの宿根性の植物から、一年草のアサガオなどの花々が毎年目を楽しませてくれます。 庭の無い家では毎朝ここに出て新鮮な空気を吸いながら植物を見るのも日課となっています。 さらに実益をかねてブルーベリー ブドウ、レモン、オリーブなどの木がありますが、このうちブルーベリーは毎年たわわな実を提供してくれます。 ところが、2年ほど前から、鳥、それも毎日居間のベランダにやってくるすずめのピー子やスパ郎たちでしょうか、熟れた実だけを啄ばんでしまいます。 昨年、人間さまの口に入ったのはたった8粒。 この頃の若いすずめの奴等ときたら・・・・タク モ~。 全国的にすずめの個体数が減少しています。 現在、日本にいるすずめの総数は千八百万羽と推定されています。 しかし、環境省、農水省のデータではこの数字は1990年の二分の一、1960年ごろの十分の一に減っているそうです。 可哀相に思って、ベランダには毎朝の食事の残りのパンをまいてピー子たちが突付く姿を楽しんでいましたが、いたずらにも程があります。 かといってお仕置きは出来ませんから・・・、困りますねエ。 だから今年からはちょっと酸っぱそうでも早めに収穫することにしました。 もうブルーベリーはすずめの涙ほども分けてやらないぞ!

猫を高い値で買ってくれれば駱駝を安く売るー実際に見たアラブの格言

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  私がかつて住んでいたサウディアラビアでは砂漠に駱駝が群れをなしています。 現代では駱駝はもう砂漠を渡る舟としては引退組、今ではベドウィンと呼ばれる遊牧民たちはトラックで移動しています。 何のために飼っているのでしょうか? わかりません。 また町では野良猫がウジャウジャたむろしています。 猫どもは我が物顔で家庭のゴミ箱をあさっていますから、鼠をとることも忘れているでしょう。 今では人の生活に役たたずとも、これらの動物たちは話の種にされています。 アラビアの酷暑が去った11月から3月末まで、町の人々は付近の砂漠にテントを張り、週末や休日は勿論、夕方からもそこに集まってお茶飲み話に明け暮れています。 私もしばしばその席に招かれていました。 猫を高い値で買ってくれれば駱駝を安く売る これはアラブでしばしば言われる格言だそうです。 お~い猫はどこにいる? 早くこないとオレ安く売れないよ~ その席で、ある男があこぎな(うまい)商売をしていると話題になって、 そんな格言が飛び出した時に私には何の事かさっぱり判りませんでした。 そこで、その意味を訊ねてみました。 カティーブさんが笑ってその格言のいわれを説明してくれました。 昔、ある男が飼っていた駱駝がいなくなったので、その男は神様に「もし駱駝が見つかったら1ディナールで売ってもよい」と誓いをたてた。 しばらくして駱駝が見つかったので、男はこんなバカな事を言ってしまったと後悔したが天罰が下るのが恐ろしい。 そこで、彼は 猫 に駱駝をつけて売る事とした。 「猫は1000ディナール、駱駝は1ディナール、一緒でなければ売らない!」 というものでした。 抱き合わせの品(猫)は高いが、欲しい本体(駱駝)の安値に曳かれてつい買ってしまうー インチキ商売ですね・・・これは。 「一寸、待ってくれ」私は口をはさみました。 日本では値の張るものは品質の良い製品だ、おまけの品はそれを売るための宣伝だから安いものに決まっている。 げんに猫なんかそこらにいくらでもいるから子猫を拾ってくればよいし、駱駝がそんなに安いのなら病気持ちか年取ってよぼよぼになってると疑うよ。 それにそんな商売は詐欺だと警察にしょっ引かれると反論しました。 まわりの人たちは何でそれが犯罪になるのだ? 怪訝そうな顔をしています。 この猫と駱駝の格言はアラブの人は皆

今年も五月人形を飾りました

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   4月中旬から5月10日まで今年も五月人形を飾り付けました。毎年からりと晴れた日を選んで、また押入れに仕舞います。 飾り具足を分解しながら、これは次世代に受け継いでもらおう、とそう願いました。しかし、教えていないこの具足の飾りつけが出来るのか?一寸心配になってきました。  思えば、この五月人形は私が生まれた時、お祝いとして両親があつらえたものです。物心ついてから母を手伝って、毎年飾りつけるのが楽しみでした。実は飾りの太刀でチャンバラの真似事をするほうが面白かったのですが・・・。   そういう腕白な息子を見て母も笑っていました。健やかに育って欲しい。 父母の願いが叶えられたかどうか今更反省しても遅いのですが、私はわが子にもそう願ってきました。  桃太郎、金太郎、鯉のぼりなど、五月人形は数々ありましたが現在の我が家の狭い押入れにはとうてい収納は無理というもの、海外への赴任時や家を新築した時に処分しました。最低限、飾り具足と大好きだった鐘鬼人形だけを残しました。 それ以来、毎年の端午の節句には床の間ならぬ、居間のテーブルの上に飾るのが習慣となりました。  これらは大分痛んできてはいますが、来年も5月には再会しようと、そういう思いで丁寧に和紙に包んで仕舞いこみました。