ぶらり道行ーゼームス坂から品川宿
JR大井町駅西口(品川寄り)あるいは隣接した東急大井町駅の改札口を出て左、青物横丁方面に100メートルほど歩いてゆくとゼームス坂上に出ます。この交差点を左折、新馬場方面に向かってゆるやかな坂道を下って行きます。坂の終わりに近い南品川六丁目7の標識を左に曲がると、道に面して三越ゼームス坂マンションがありその入り口にゼームス邸跡地の碑が建っています。明治時代にゼームス坂なんて、こんなバタくさい名がなぜ付けられたのでしょうか,
その名の由来をさぐってみました。
J.M.ジェームス(ゼームス)は慶応2年にジャーディン・マジソンの社員として来日した英国人で明治5年に我が国の海軍省航海術教授になった人です。坂本竜馬と知り合いだったとも伝えられています。彼は明治41年、日本で70歳の生涯をとじました。
彼が居を構えた頃のこの坂は浅間坂と言われていました。かなり急勾配だったので彼は私財を投じて緩やかな坂に改修しました。 以来この坂はゼームス坂と呼ばれるようになりました。太平洋戦争中の英語排斥の世相にあってもこの名は変えられることなく現在に至っています。 なるほど、散歩に最適なのは彼が改修してくれたお陰なのですね。
ふたたびゼームス坂に戻ります。坂下の曲がり角の手前に馬頭観音がありました。地元の人でしょうか熱心にお参りをしています。
馬頭観音は畜生界を済度する神様で昔から馬の守護神として信仰されてきました。昔、近くに北馬場町があり、仕事に従事する馬小屋や馬場があったことから祭られたものと思われます。
馬が草を食べつくすように人間の煩悩をも食べつくすというので、人間にもご利益があると言われています。
しばらく行くと国道15号線に出ます。品川方面へ歩を進めます。目黒川の両岸は毎年4月になるとまばゆいばかりの桜が鑑賞できます。 この桜並木は川沿いに五反田まで続きます。 4月6日、東京の桜は満開になりました。
橋を渡ると15号線の右に京浜急行の新馬場駅が見えてきます。
古いとはお思いだろうが、わしゃこの通り元気じゃよ、といっているようです。
橋を渡ると15号線の右に京浜急行の新馬場駅が見えてきます。
古いとはお思いだろうが、わしゃこの通り元気じゃよ、といっているようです。
さらに国道15号をゆくと品川神社、急階段の中途の左側にミニチュア富士の登山口があり、3分で富士登山が楽しめます。
疲れた人はここで新馬場駅から乗車しても良いのですが・・・
勿体ない。今日は続けて旧東海道の品川宿を散歩することにしました。
左手の上に一寸顔をだしているのが、ミニチュア富士です。しかし、頂上の絶景は期待しないほうが良いでしょう。
ここで硬貨を洗うとご利益があるそうで私も数枚の硬貨を洗ってみました。千円札を洗っている人もいましたが・・・。
ここで硬貨を洗うとご利益があるそうで私も数枚の硬貨を洗ってみました。千円札を洗っている人もいましたが・・・。
疲れた人はここで新馬場駅から乗車しても良いのですが・・・
勿体ない。今日は続けて旧東海道の品川宿を散歩することにしました。
品川神社を出て 国道15号の信号を渡り、旧東海道に行くとここはかつての北馬場町です。この町は品川神社に近い旧東海道の道路にあり、当時、幕府公用の旅人に供される百人の人足や百匹の馬のための施設や馬場があったことから付けられたといいます。
ちなみに品川宿には2つの馬場があり それぞれ、北、南馬場町と呼ばれていました。
以前の京浜急行は北馬場と南馬場の2駅がありましたが、現在は新馬場駅1つとなっています。
現在の旧東海道の品川宿の通り 商店街の中には文化三年創業の老舗もあり、七福神めぐりのお寺や陣屋跡などがあります。 平日の今日は一寸寂しい感じですが、江戸時代には旅に出る人帰ってきた人で毎日賑わっていたでしょう。 ちなみに、ここから近い御殿山は桜の名所でした。江戸の庶民たちは花見を終えた後、品川宿の遊郭に繰り込んでお大尽遊びをしたそうです。
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沢庵和尚と徳川家光の河岸問答の碑があります。江戸時代ここは海辺でした。将軍家光が東海寺を訪れた時、この河岸に出迎えた沢庵和尚にむかって、「海近くしていかが、これ遠海(東海)寺」と、問うと 彼は 「大軍を率いても小(将)軍なり」 と答えたそうです。禅問答というよりオヤジギャグですね。
ちなみに品川宿には2つの馬場があり それぞれ、北、南馬場町と呼ばれていました。
以前の京浜急行は北馬場と南馬場の2駅がありましたが、現在は新馬場駅1つとなっています。
現在の旧東海道の品川宿の通り 商店街の中には文化三年創業の老舗もあり、七福神めぐりのお寺や陣屋跡などがあります。 平日の今日は一寸寂しい感じですが、江戸時代には旅に出る人帰ってきた人で毎日賑わっていたでしょう。 ちなみに、ここから近い御殿山は桜の名所でした。江戸の庶民たちは花見を終えた後、品川宿の遊郭に繰り込んでお大尽遊びをしたそうです。
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沢庵和尚と徳川家光の河岸問答の碑があります。江戸時代ここは海辺でした。将軍家光が東海寺を訪れた時、この河岸に出迎えた沢庵和尚にむかって、「海近くしていかが、これ遠海(東海)寺」と、問うと 彼は 「大軍を率いても小(将)軍なり」 と答えたそうです。禅問答というよりオヤジギャグですね。
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