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アラビアのなまこ -でっかいなあ

  うわあ~でっかいなあ。アラビア湾の海で潜っているとなまこに出会います。それも海底にごろごろと・・・。ハムール(はた)やヒオウギ貝などの獲物とともにスカリに入れて数匹を持ち帰りました。家に帰ってまな板にのせてみると35cmもある巨大なまこ そばで見ている子供達も気味悪がっています。やはり食べるのをやめよう。表のゴミ箱に捨てようとすると、通りかかった同じ社宅の日本人の奥さんが言いました。  「あら!なまこ、珍しい。これ捨てちゃうの、もったいない」  「ええ、食べられないでしょ、こんなもの」  「とんでもない、美味しいのよ、料理してあげるからあとで取りに来て」    半信半疑の面持ちで夕方受け取りに行きました。皿に盛りつけられたそれは日本で食べるのと同じ酢の物です。ただし、柚子のかわりにレモン。仕方ないですね、アラビアでは柚子は売っていません。   夕食で箸をつけます。 コリコリとした感触、美味い!  それからは 海に出かけるとかならず、なまこを獲ってくるようになりました。勿論、妻は気味悪がっていますから自分で料理しなければなりません。  はじめは失敗の連続でした。ごわごわしたなまこの表面を塩でこすり続けると、なまこは次第に柔らかになってそのうちにくずれて溶けてしまいました。料理上手のくだんの奥さんに教えを請い、ようやくアラビアのなまこの酢の物は我が家の一品として登場しました。 (残念! 写真は一枚も撮りませんでした)  サウジアラビア東部の石油会社に勤務していた1977年頃のことでした。  1986年、再度の赴任の際は単身でしたから独身寮で自炊をします。この頃から海であれだけ多かったなまこは、1~2匹がやっと取れるくらいです。貴重品となってきました。 温暖化とそれに伴って現地の降雨量が増えてきたことで、なまこの生態系に影響してきたのが原因でしょうか。この前の赴任の教訓から休暇の折、柚子はかならず2~3個持って帰りましたが、ほとんどが他の和食に使われていました。  湾岸戦争の後の2000年代にはこの貴重なるなまこはまったく姿を消していました。イラクのサダムフセイン大統領(元)がアラビア湾に放出した大量の原油による環境破壊も重なったのかもしれません。   美味しかったアラビアのなまこの酢の物、今日スーパーに買い物にでかけ、売られている小さななまこを見て当時を思い出しまし

ぶらり道行ーゼームス坂から品川宿

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  JR大井町駅西口(品川寄り)あるいは隣接した東急大井町駅の改札口を出て左、青物横丁方面に100メートルほど歩いてゆくとゼームス坂上に出ます。この交差点を左折、新馬場方面に向かってゆるやかな坂道を下って行きます。坂の終わりに近い南品川六丁目7の標識を左に曲がると、道に面して三越ゼームス坂マンションがありその入り口にゼームス邸跡地の碑が建っています。明治時代に ゼームス坂 なんて、こんなバタくさい名がなぜ付けられたのでしょうか, その名の由来をさぐってみました。  J.M.ジェームス(ゼームス)は慶応2年にジャーディン・マジソンの社員として来日した英国人で明治5年に我が国の海軍省航海術教授になった人です。坂本竜馬と知り合いだったとも伝えられています。彼は明治41年、日本で70歳の生涯をとじました。  彼が居を構えた頃のこの坂は浅間坂と言われていました。かなり急勾配だったので彼は私財を投じて緩やかな坂に改修しました。 以来この坂はゼームス坂と呼ばれるようになりました。太平洋戦争中の英語排斥の世相にあってもこの名は変えられることなく現在に至っています。 なるほど、散歩に最適なのは彼が改修してくれたお陰なのですね。  ふたたびゼームス坂に戻ります。坂下の曲がり角の手前に馬頭観音がありました。地元の人でしょうか熱心にお参りをしています。  馬頭観音は畜生界を済度する神様で昔から馬の守護神として信仰されてきました。昔、近くに北馬場町があり、仕事に従事する馬小屋や馬場があったことから祭られたものと思われます。  馬が草を食べつくすように人間の煩悩をも食べつくすというので、人間にもご利益があると言われています。  しばらく行くと国道15号線に出ます。品川方面へ歩を進めます。目黒川の両岸は毎年4月になるとまばゆいばかりの桜が鑑賞できます。 この桜並木は川沿いに五反田まで続きます。 4月6日、東京の桜は満開になりました。            橋を渡ると15号線の右に京浜急行の新馬場駅が見えてきます。  なおも歩を進め山手通りを過ぎると、そこにあるお寺が大光寺です。山門をくぐると鐘楼があり正面の本堂の裏手には古びた五重塔がそびえています。かなたの高層マンションと張り合っているような面白い構図です。  古いとはお思いだろうが、わしゃこの通り元気じゃよ、といっているようです。  さらに国

ローカル線に揺られてー銚子電鉄

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  三月の春うららかな日 ・・・と言いたいが、この日は大陸からの寒気が押し寄せ北風の吹く寒い昼下がり。海を見たい。その願望もあって、今日は銚子を訪れました。外房の海、今日も大波が岩礁を洗っているでしょう。そうした、荒々しさを堪能する前に、のどかな風景の中を走るローカル線の旅を楽しみました。  明治の初期に創業というお寿司屋さんの地元ならではの新鮮な魚介類の握りを堪能したあと、JR銚子駅に向かいます。   あれっ?その銚子電鉄は何処にあるのだろう。 JRのプラットフォームから階段を上がると、ようやく隅にその案内板を見つけました。  その階段を下ったプラットフォームの先を更に行くと、ようやく 「銚子電鉄」 の看板、面白い入り口を抜けると2両編成の時代物の車輌が見えました。 3代も前のものでしょうか懐かしさがこみ上げてきます。  今日はお客がぞろぞろ長蛇の列、土曜日だからでしょう、ほとんどが観光の目的で乗車するようです。  のんびりするのかと思ったら定刻に発車、時間にうるさいのはさすが日本ですねえ。 先頭車両に乗り込みました。車内は込み合っています。ローカルな景色を楽しもうと思っていましたが、 そうはいきません。人の頭しか見えません。      たった、6.4kmの距離のローカル線ですが、銚子駅を含め10箇所の駅に止まります。その間1分から2分です。  途中乗車の地元の人は「あっれえ、こんな混んでるよ」とビックリ顔。ごめんなさ~い、お邪魔しています。  各駅には見所が沢山ありますが、今日は犬吠で下車します。    駅はモダンな作りです。私はそれよりも脇に展示されている古めかしい廃車のほうに興味がありましたが。  俺んとこが地球の中心と自負する地図、愉快ですねえ、ただ、そんなに自慢したいなら、剥げた箇所を補修しておきなさいよ!  犬吠埼、いままでこの名前を何回言ったり聞いたりしたでしょうか。 しかし、訪れるのは初めてです。  外房の海は期待通り白波が磯に打ち付けています。しばし、その景観に見惚れます。キタカゼがその景色をさらに脚色します。 おお、寒!       灯台に上がってみます。 99段の階段は82段目で息切れ、上りきった後、さらに細い鉄階段をよじ登って外に出ると、また、冷たい北風の洗礼を受けます。 眼下に広がった広大な海、海。 これが見たかった。 凍える手をなだめな