石の五百羅漢さんー目黒の大円寺
3年前には目黒の天恩山五百羅漢寺を訪れましたが、その後、同じ目黒の大円寺に石作りの羅漢群があると知って、ウオーキングの際に立ち寄ってみました。JR目黒駅西口を出て徒歩5分、急な行人坂を下ると目黒雅叙園の手前に大円寺があります。
山門をくぐると左手の崖にに520体の石仏の羅漢さんがずらりと並んでいます。素朴な彫りですが、それぞれ違った表情をしています。目黒不動の近くの天恩山五百羅漢寺のそれは松雲禅師が彫った寄木作りで、慈悲に満ちた表情の中に荘厳な感じを受けますが、大円寺の石の羅漢さんたちはいかにも人間くさい親しみやすい柔和な顔をしています。自然の中に溶け込んでいるような印象を受けました。
そばにおかれた小さな鐘を打つと、その余韻は長く響き、羅漢さんたちのざわめきのようにも聞こえます。
お寺を去る時にも、「また来いよ!」と声を掛けられたような気がしました。
一方、同じ目黒の五百羅漢寺では荘厳な羅漢さん達を見た後、外に出ると何となく博物館の展示物を見ただけのような気分になってしまうのはちょっと残念です。 近代的な建物の雰囲気がそうするのでしょうか。
大円寺の石の羅漢群は昭和45年に都有形文化財に指定されています。
大円寺は江戸初期の元和年間(1615~1624年)に大海法印が建立したお寺です。明和9年(1772年)の行人坂火事はこのお寺が出火元とされています
この羅漢群は大火の4500人の犠牲者の供養のために50年を費やして作られたとのことです。中には赤ん坊を抱いた羅漢さんなど女性であろう像が何体もあります。
行人坂の大火は老若男女を巻き込んだ阿鼻叫喚の大火災であったと推測されます。
ちなみにこの行人坂火事は、振袖火事、車町火事とならんで江戸の三大火事といわれています。
振袖火事
明暦3年(1657年)江戸城天守閣が焼失するほどの大火、諸説ありますが本郷丸山本妙寺の和尚が読経の際供養する振袖を火に投じたところ、つむじ風に舞い上がって本堂に燃え広がり江戸を焼き尽くしたと言います。
行人坂火事
明和9年(1772年)大円寺から出た火は白金から浅草まで江戸の町の三分の一を焼き尽くす大火となりました。このため火元のこの寺は76年間も幕府から再建の許可が下りなかったそうです。
車町火事
文化3年(1806年) 出火元は芝車町、薩摩藩上屋敷(現芝公園)増上寺の五重塔を全焼し火は京橋、日本橋、神田、浅草まで燃え広がりました。
火事と喧嘩は江戸の華と言われていますが、この三大火事のほか江戸では度々の大火に見舞われました。 何か良い防火対策はなかったのでしょうかね。大都会東京でも、関東大震災や東京大空襲などで多くの犠牲者が出ました。今後大地震が起る恐れもあります。当然火災も発生しますから、これに備え退避訓練も心がけていかねばならないでしょう。
羅漢さんたちを見てそんな思いをはせて大円寺を後にしました。
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