立川談志の高座がサウジアラビアであった

  1978~9年ごろでしたか、中東で働く日本企業の赴任者たちの無聊を慰めるために日本航空が立川談志師匠を始めとする「中東寄席」を企画し日航の中東各地の寄港地の都市を巡回することになりました。当時、私はサウジアラビアにある石油会社に赴任していました。娯楽に乏しい砂漠の生活でしたから日本人従業員とその家族はそれを聞いて大喜びでした。

 立川談志はそのころ絶頂期にあった噺家でしたが、日頃の奔放な毒舌で物議をかもし、毛嫌いする人も多かったようです。うわさを聞いていた私もその一人だったかもしれません。それでも、こんな良い機会に恵まれましたから家族をつれて会場のゲストハウスに行きました。

 会場はびっしりと人に埋まっています。「時蕎麦」(談の輔さんだったでしょうか)が終わり、皆の顔がゆるんだところで談志師匠が高座に上がりました。演目は「芝濱」態度が悪いうわさとは打って変わった彼の真剣なその演技に引き込まれました。 ああ、これが真の芸なんだ、たちまちファンの一人となってしまいました。

 翌日は会社が彼のためのパーティを開きました。私も関係者の一人として出席しました。勿論、アラビア名物のカルーフ(子羊の丸焼き)がテーブルの上にドンと置かれています。 談志師匠は目を丸くして見ていました。



 カルーフの珍味は目玉と舌と脳みその三品といわれています。悪戯好きの日本人がこれを師匠の皿に盛り付けました。これはお客さんが食べる最高の料理ですと能書きを並べすすめました。

 さすがの師匠も目を白黒させていましたが、全部平らげてしまったのはさすがです。

  世の中にはクチの悪いヤツぁどこにでもいます。

 「師匠、よく食べましたねえ、こんなゲテモノはアラブ人でもあまり食べる人はいませんよ」 
と誰かが言うと

 「コラ! 噺家をからかうな!・・・でも、羊はウメ~エエエ」
と、すぐ切り返されました。 皆がドッときたのは当然です。

 図に乗った我々も、

 「ここの羊は虫歯になると売れないから、毎日ライオン歯磨きで磨いてます。ここでは(アフリカと違って)羊がライオンを食べちゃう」
などヨタ話(まったくのウソ)が弾みます。 師匠も笑っていましたよ。

 食後の歓談ではやはり彼の破天荒な行動が話題になり笑いを誘いました。この時期のアラビアの気温は15度くらいです。今日の朝、師匠たちはせっかくアラビアに来たんだから泳がなくっちゃと海に飛び込みました。師匠が言うには「こりゃ、寒いや」とすぐ上がってきて、打ち上げられている流木で盛大な焚き火をはじめたそうです。

 ビックリしたのは会社の警備員、すっとんできました。海岸では焚き火は禁止されている。こんな季節はずれに泳いでいるうさんくさいヤツ、お前たちはいったい何者だ、とアラビア語でまくしたようですが「オレにはなんのこっちゃかわからんよ」と談志師匠。一方、宿舎では師匠が消えたと大騒ぎ、ようやく居場所がわかって連れ戻しました。ようやくオチがつきました。

 数か月後、日本からTVのビデオが届きました。その番組の中、談志師匠の落語がありました。日本の高座の師匠はアラブ風の髯を貯えています。 羊の目ん玉を食べた話など彼がアラビアで経験した事を「まくら」のネタにしていました。我々がそれを視て、さもありなんとまた大笑いしたのは言うまでもありません。

 あれから30数年、2011年11月24日に彼は75歳で世を去りました。 あの世でも亡者たちを笑わせているのでしょうか。                                                             合掌

コメント

このブログの人気の投稿

都内の秋を散策しました

園芸で育ったハーブ類、 料理に役立っています

残っていた戦時中の防空電球