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中東で祝ったクリスマス

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   アラブ世界はほとんどの人がイスラム教徒です。そんな中で暮らす少数のキリスト教徒はクリスマスをどう過ごしているのでしょうか。 クウェイトもイスラム社会ですが、ミナ・アル・アハマディの町やクウェイトシティにはキリスト教会があります。 そこで働いている欧米人やインド、フィリッピン人の信者のためのものです。  1970年代、私と家族はサウジアラビアの東部州のクウェイトに近いアル・カフジという町で働いていました。サウジアラビアは特に厳格なワッハーブ派のイスラム社会です。そこではキリスト教会は見当たりません。  12月となり、国境を越えてクウェイトの町にクリスマス用品を買いに行きした。ここもイスラームの国ですがキリスト教会もあり、町のお店の中は日本と替わらないクリスマスのデコレーションで飾られています。 プラスティックのもみの木、サンタクロース、金モールなど飾りを一杯買い込みました。再び国境を越えて社宅にもどり、居間に飾りつけました。 クリスマスの当日、同じ社宅の日本人職員や子供達を招きパーティを開きました。 幼い頃を思い出しながら妻と二人で作った画用紙のカンムリに金色の折り紙を切り抜いた星をはりつけ子供達にかぶせ、ピアノの演奏でジングル・ベルの合唱をしました。  その週末(イスラムでは木曜日、金曜日が休日です) クウェイトのカトリック教会に行ってミサに与ることにしました。 シェラトンホテル(当時)の裏手にあるこの教会はイスラームに遠慮しているのか屋根に十字架がなく目立たないごく一般的な建物です。 周りはインド人やフィリピン人の信者で一杯です。 教会の扉の前には、ここでもイエス・キリストの降誕を祝って、馬小屋が飾り付けられています。  よくよく見ると幼子イエスの人形の横には大きな黒い牛の置物があります。 馬小屋でなく牛小屋でした。インドでは牛は聖獣ですから、ここに多く働いているインドの人々が作ったのでしょう。私たちから見ると違和感を感じますが、皆ひざまずいて熱心に祈っている姿は微笑ましい風景でした。  教会の聖堂に飾られている壁画のイエス・キリストの顔はごく一般のアラブ人の容貌をしています。私たちが普段見慣れているイエスはヨーロッパ人の顔ですが、考えてみるとアラブと同じセム族のユダヤ人のイエスの顔は実際にはこうでなければならないのでしょう。  アラブではイエス・キリストは

舌を滑らすより足を滑らすほうが痛みは少ないー実際に見たアラブの格言

  言はアラブのものというより、いまは日本の政治家に献上したいものと言ったほうがよさそうです。 不用意な失言は一生付きまといますが、滑って転んで怪我をしてもすぐ直りますから。だが、転ぶのが嫌だと思っている昨今の永田町や霞ヶ関の御仁たちには残念ながらこの格言は「馬の耳に念仏」かもしれません。  アラブ人は議論好きです。こうした論争の中ではたびたび人の悪口が言われますがその理由をとうとうと述べて相手を納得させるまで続きます。根拠がない人を貶めるような発言は徹底して非難されてしまうので、発言にはかならずその理由を(屁理屈でさえも)示します。  その中にはかならずと言ってよいほど、比喩(たとえ)が登場します。 先の沖縄における某お役人のようなひどい喩えではなく、昔から世間一般に言われているものやコーランの言葉を引用して自分の言い分を飾り立てています。 だから、失言はほとんど表に出ないのでしょう。  私が当地で聞いた格言は 舌を滑らすより足を滑らすほうが痛みは少ない  なるほど、わたしにも身に覚えがありますよ。不用意な発言で人を傷つけてしまって、後から反省しても、もう修復のすべはなく今でも思い出しては悔やんでいます。逆に転んで怪我をしたことなどは全部忘れ去っています。私はこの喩えが気に入って、アラビアで在任中に部下が仲間の悪口を言い過ぎると、これを使って諌めたこともありました。  一方、アラビアでは誰が言ったか判らないうわさ話が横行します。そのため、誤解が誤解をまねき人違いの殺人事件まで起ったことがありました。うわさを広めた張本人はきっと後悔しているにちがいありません。それを諌めるこんな格言もあります。 舌を野放しにしておく者はあとで後悔する                               この喩えはわが国の白亜の殿堂の中ではまったく通用しないようです。TVや新聞で見る限り舌禍の張本人は後悔するどころか舌を野放しにし放題、反省の色もみせず椅子にしがみついています。そのため重要な法案の審議は後回し、これでわが国の政治は成り立っていくのでしょうか?

立川談志の高座がサウジアラビアであった

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   1978~9年ごろでしたか、中東で働く日本企業の赴任者たちの無聊を慰めるために日本航空が立川談志師匠を始めとする「中東寄席」を企画し日航の中東各地の寄港地の都市を巡回することになりました。当時、私はサウジアラビアにある石油会社に赴任していました。娯楽に乏しい砂漠の生活でしたから日本人従業員とその家族はそれを聞いて大喜びでした。  立川談志はそのころ絶頂期にあった噺家でしたが、日頃の奔放な毒舌で物議をかもし、毛嫌いする人も多かったようです。うわさを聞いていた私もその一人だったかもしれません。それでも、こんな良い機会に恵まれましたから家族をつれて会場のゲストハウスに行きました。  会場はびっしりと人に埋まっています。「時蕎麦」(談の輔さんだったでしょうか)が終わり、皆の顔がゆるんだところで談志師匠が高座に上がりました。演目は「芝濱」態度が悪いうわさとは打って変わった彼の真剣なその演技に引き込まれました。 ああ、これが真の芸なんだ、たちまちファンの一人となってしまいました。  翌日は会社が彼のためのパーティを開きました。私も関係者の一人として出席しました。勿論、アラビア名物のカルーフ(子羊の丸焼き)がテーブルの上にドンと置かれています。 談志師匠は目を丸くして見ていました。  カルーフの珍味は 目玉と舌と脳みそ の三品といわれています。悪戯好きの日本人がこれを師匠の皿に盛り付けました。これはお客さんが食べる最高の料理ですと能書きを並べすすめました。  さすがの師匠も目を白黒させていましたが、全部平らげてしまったのはさすがです。   世の中にはクチの悪いヤツぁどこにでもいます。  「師匠、よく食べましたねえ、こんなゲテモノはアラブ人でもあまり食べる人はいませんよ」  と誰かが言うと  「コラ! 噺家をからかうな!・・・でも、羊はウメ~エエエ」 と、すぐ切り返されました。 皆がドッときたのは当然です。  図に乗った我々も、  「ここの羊は虫歯になると売れないから、毎日ライオン歯磨きで磨いてます。ここでは(アフリカと違って)羊がライオンを食べちゃう」 などヨタ話(まったくのウソ)が弾みます。 師匠も笑っていましたよ。  食後の歓談ではやはり彼の破天荒な行動が話題になり笑いを誘いました。この時期のアラビアの気温は15度くらいです。今日の朝、師匠たちはせっかくアラビアに来たん