言葉だけで満足するヤツは馬鹿だー実際に見たアラブの格言
中東で勤務していた頃の私の仕事は現場なので、残念なことに大小さまざまな事故が起こります。いろいろと防止策を練ってはいますが、なかなかうまくいきません。そういう事故が起こるたびに、言い訳がましい報告書を政府に提出しなければなりません。アラブのスタッフを現場に送り事故の調査させるのですが、うっかりしているとそれがとんだ作り事で後からきついお目玉をちょうだいすることになります。
アラブ社会では些細な出来事でも口コミで伝わっていき、他の悪い出来事と重なってとんでもない話に発展してしまうことがしばしばあります。だから都合の悪いことが起ると隠してしまう風潮があります。スタッフたちはこちらに有利なように事故を過小に評価し報告するのを義務と考えていますから、
[
[言葉だけで満足するヤツは馬鹿だ」あるいは
[信じているところにも疑いの目をむけよ」
と言うアラブの格言にしたがって、まずはそれを疑って考えなくてはなりません。
そのため、私自身が毎回現場に行って事故の規模を自分の目で確かめ真実は何かを把握しておく必要があります。
レポートの作成にはスタッフとの間で意見の相違がしばしば見られます。スタッフたちは口々に「何も正直に答える必要はないじゃないか、会社や貴方のためにやっているのに」と不満そうです。自分の不利益になることを黙っていることはアラブでは許されることだ、すなわち、
「表にでない罪は7割がた許される」
というのです。
アラブ人には「ウソ」は悪でなくウソを言われた人に不利な結果をもたらす時のみ悪となる、という理屈があります。したがって、アラブ人は自己の目的が達成されるならば、ウソをつくことに何らのためらいも見せない(アラブ人気質と性格―サニア・アハマディ教授著、サイマル出版社)と言われています。
しかし、報告にいつわりがあればその整合性について、また別のいつわりを言わねばなりません。それにしても、正直すぎれば関係者に迷惑をおよぼすのは必至、やむなく妥協して玉虫色の結論を出さざるを得ない場面もありました。
いつもながら日本では大企業の隠し事が発覚し幹部が冷や汗をかいて謝罪している姿がTVで報じられていますね。事がばれてしまったら、深々と頭を下げて謝まればそれで禊はすむと考えているのでしょうか。
アラブにはこんな格言もあります。
「恥ずべき行為をしたものはその行為を隠しておけ、不名誉がひとつ知れればもうひとつの不名誉を生む」
アラブ人たちは隠し事がばれた時も謝らないでしゃあしゃあと言い訳しています。 ウソの言い訳が通らなくなった場合、当地で容認されているものは「知らなかった」という言葉です。 在任中私はたびたびそんな場面に出くわしました。
[想定外でした」という言葉は言い訳するには都合がよい言葉ですね。これで納得する人が多いようです。しかし、要するに「知らなかった」と同じ意味でしょう。 実は裏に何か隠しているのと違いますか? ストレステストの前に ステルステスト(隠し事がないか)をする必要がありそうです。
この言葉が昨今の永田町や霞ヶ関付近でもしばしば使われているのは窮地にたたされた場合のアラブの言い訳と偶然の一致でしょうか。
「言葉だけで満足するヤツは馬鹿だ」 「信じているところにも疑いの目をむけよ」 私たちはこのアラブの格言をもう一度噛み締めて見る必要がありそうです。
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