子供には何も教えなくともよい、人生が教えてくれるからー実際に見たアラブの格言 

 アラブの友人に招かれてその自宅へ行くと、その大邸宅(日本人の目から見て)の部屋数の多さには驚かされます。まず、塀の門を開けると玄関は2つ、男性用と女性用、客間はこれもまた男女に分かれていますが、私の案内されたのは勿論、男性用です。イスラームの大家族の家は当然この広さがあるわけです。


 この客間も、2つないし3部屋の続き部屋になっていて、一つの部屋にはそれぞれ100ワットの電球8個がついた豪華なシャンデリアが4っずつ天井にぶらさがっています。

 お客たちはこういう客間の一つに案内され、そこで、ナツメヤシや炒ったかぼちゃのたねなどを食べながらお茶(シャイ)や、カルダモンをいれた一寸煎じ薬のようなアラビックコーヒー(ガホワ)が振舞われます。

 歓談中、部屋の片隅にはアラビアのコーヒーポットとお猪口のような小さなコップを何枚も重ねて手に持った少年が控えています。お客が飲み終えるとすかさず注いでくれます。ちなみにもういらない場合は、右手のその「お猪口」を左右にふればもうお終いです。たえず、少年はお客に気をくばっていて、最大のサービスを心がけています。

 この少年は当家の長男です。彼は将来のこの家のあるじとなるので、小さいときから大人にまじって訓練されます。長男が不在の時は次男です。彼らはこの席で大人の話を耳にし、社会勉強をするのでしょう。その毅然とした態度は親父に強制されてやっているものではありません。アラブの格言には

子供に何も教えなくてもよい、人生が教えるから

とあります。正にこれを実践しているのでしょう。また、別の格言では

息子を立派に育てたかったらその身体を7年鍛え、その心を7年鍛え、7年友達付き合いさせたあと、社会にだせ と…。

 このような反面、どこの国でもそうでしょうが、ハイティーンのマナーの悪さはこの国でも見受けられます。仕事に忙しい父親は家にいることが少なく子供を教育する暇はなくなってきているのでしょうか。アラブ人とのお茶のみ話の席でも、「この頃の若いやつは…」と愚痴る人もいます。

 もっとも4000年前のエジプトのファラオの墓から見つかった石碑にも、同じ愚痴が書かれていたようですから古今東西これは世界中同じですね。

 多くのアラブの家庭には、東南アジアからのメイドさんが雇われています。奥さんは子沢山だから到底手がまわらずメイドさんにまかせっぱなし、とのこと。だから、子供たちはアラビア語のかわりにフィリピンのタガログ語を覚えてしまって、大きな社会問題となっていると聞きました。

 社会のグローバル化、ボーダーレス化に伴い、固有の文化の破壊はすすんでいるようです。「子供には何も教えなくても…』という格言は、もはや考え直す時期になってきているのかもしれません。

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