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江戸の玄関口―大木戸あたりをぶらり・・・

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  国道15号の泉岳寺付近に石垣が一寸残っている気になる場所があります。何とそれは江戸時代の玄関であった大木戸跡です。 ここからは江戸の郊外、東海道を旅する人はここを出て品川宿が一番目の宿場です。いつもこの場所は車で素通りしてしまいますが、今日はじっくりと探訪してみることにしました。  とはいうものの、この付近は泉岳寺のほかには歴史的な建造物はありません。そこで、この付近の面白スポットを捜して、散歩コースを作ってみました。  JR田町駅を降りて国道15号に沿って札の辻に向かいます。歩道橋を上がると、 東京タワー が見えます。日本一の高さをスカイツリーに座を明け渡すことになりましたが、「記録は破られるためにあるんじゃ、気にせんよ!」と堂々たる風格です。まずはこれにご挨拶をしてから歩道橋を左に降りて見ましょう。    すぐ側の住友不動産三田ツインビル西館の奥まった場所に東京都の旧跡に指定された 元和キリシタン殉教跡 があります。徳川三代将軍家光によって元和9年(1623年)に、家康直臣であったキリシタンの原 主水と宣教師、信徒たち50人が処刑されたところです。 キリシタンといえばすぐ長崎が頭に浮かびますが、当時の江戸にも多くの信者が居たようです。  次に向かった先は 御田八幡神社 です、都会の喧騒を離れた閑静な境内では丁度昼時、参拝の人に混じってベンチでお弁当を食べたり休んでいるサラリーマンも多いですね。つかの間の森林浴ならぬ木陰浴を楽しんでいるようです。この神社は和銅2年(709年)に東国鎮護の神として祭られ、寛弘7年(1011年)に遷座され、嵯峨源氏 渡邊一党 の氏神とされました。 昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失し、29年に再建されました。  ここを出て右、このまま国道15号を真っ直ぐ行くと泉岳寺ですが、またの機会にしましょう。  歩道のすぐの信号を反対側に渡りましょう。品川方面にむかって、しばらく行くとお目当ての 江戸の高輪大木戸跡 です。 宝永7年(1710年)江戸の南の入り口として作られ、旧東海道の京のぼり、東くだり、伊勢参りの旅人達の送迎が行われたと伝えられています。当時は品川宿と同じ海岸沿いで風光明媚な場所として賑わったそうです。   道の両側に石垣を築き、夜は門を閉めました。 ここを出ると東海道を行く旅人が一夜を明かす品川宿です。東海道膝栗毛

物事はいつもナイフで刻んで置かないと役にたたなくなるー実際に見たアラブの格言  

  ある日、私のオフィスに部下のハルビー〔仮名)がやってきました。ちょうど、毎年の勤務評定の時期でもあったので、私には彼の用件が何であるかピンときました。これは長話になるぞと、まずオフィスのボーイにシャイ〔お茶〕を入れさせ彼にすすめながら要求なるものを聞くことにしました。  日本の会社では部下が上司に昇給や昇進を面と向かって要求することはまずありません。アラブでは当然の権利として行われています。ハルビーにかかわらず、毎日何人かの部下が面談を求めてきます。(これは西欧社会でも同じだと、商社やメーカーの駐在員が言っていました)  当時は私の部下は82人、 9カ国の国籍の人々ですからそれぞれの宗教・文化それに物の考え方が違うので、それを尊重しつつ仕事を進めていかねばならないので大変です。 ややもすれば日本的な仕事ぶりを押し付けたくなるのは山々ですが「郷に入らば郷に従え」の格言を心がけてきました。  アラブ社会ではどんな用件にしろ、まず相手の言い分を聞くことが大切です。アラブでは「聞く耳をもたぬ奴と話すくらいなら、ロバと話すほうがましだ」との格言があります。また、言い分にたいして相手が納得できる回答をしなくてはなりません。日本のように「前向きの姿勢で…」とか「考えときまっさ」など玉虫色の返答、相槌を打つような仕草は避けなくてはなりません。  まずはアラブ風の雑談が終ったあとで、案の定ハルビーはこの一年間自分がいかに働いたか、自分の家族の窮乏を訴えるなど、あの手この手で昇給を要求します。私も負けじと、お前がいかに仕事をさぼっているかを反論します。説き伏せられて彼はしぶしぶ帰っていきました。 これには日記のメモが重要な役割を果たして来ました。  (ちなみにこのブログを書くに当たっても役立っています)  しかし、翌日も翌々日もこの愛すべき髯づらのハルビー氏は決まった時間に私のオフィスに訪れてきます。いささか腹をたてた私は彼にこう言いました。  「一体、君は何で俺の仕事の邪魔をしに来るのか、いいかげんにしたまえ、私の返事は変わらない」  すると彼は両手を広げていかにもがっかりとした表情を作り、  「自分のやった仕事ぶりを上司のあなたに報告しにくるのは自分の義務であり、また、これを聞くのはあなたの義務じゃないですか。アラブには ものごとはいつもナイフで刻んでおかないと役に立たなくなる

知り合いがいない所に行ったら何をしても構わないー実際に見たアラブの格言

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   私たちは旅行の際には何かウキウキした気分になって、つい羽目をはずすことがしばしばあります。すなわち、 旅の恥はかき捨て というわけです。アラブ社会でも、国外に出た場合にこういうことをする旅人が多いようです。自国では禁止されている厳しいイスラムの戒律をロンドンやパリの街角では守らない人を見受け、本当にいいのかなと思ってしまいます。  アラブでは 「知り会いが誰もいない所に行ったら何をしても構わない」 という格言があります。  イスラムの戒律の厳しい国では女性たちは外出する時には黒いアバーヤとよばれる衣装を身にまとい、ボシ-ヤ(ベール)をかぶらなくてはなりません。夫や親兄弟以外には顔を見せません。たまにスーパーマーケットや装飾店でベールをあげて品定めをしているご婦人もいますが、 その際、私たち男性は顔をそむけて見ないようにするのが礼儀です。シリア、イラクなどでは彼女たちの多くはベールはかぶっていませんが、かならずスカーフを着用し耳とうなじを隠しています。   私が仕事で暮らしていたサウジアラビアでは会社側から在留邦人の女性の服装について家の外に出る際の厳重なお達しが出ていました。  ・ ノースリーブ、半袖のブラウスはやめて長袖とすること  ・ 体の線が露わになるパンタロンやショートパンツ、ミニスカートなど青少年を刺激するものの着用は避けること  ・ 会社のエリアを離れて外出する時は、少なくとも膝下10センチのスカートを着用し、スカーフまたは幅広の帽子をかぶること  おしゃれな日本のご婦人がたには大変辛い思いであったろうと思いましたが、1991年の湾岸戦の後、多国籍軍の女性兵士の立ち振る舞いや露出度の高い服装が一般のひんしゅくを買い、イスラムの戒律は一層厳しくなり外国人女性に対しても、外出の際には黒ずくめのアバーヤとスカーフの着用が義務付けられました。         私たちに比べ毎日の生活で戒律を守らなくてはならないアラブのご婦人たちがヨーロッパなど外国に行く時には、やはりワクワクした気分はおさえられないと思います。  外国旅行の際、国内の空港では彼女たちの服装は普段と変わらない黒づくめの姿ですが、飛行機が飛び立ってから1時間してイスラム圏を通過するとアバーヤ姿の彼女たちは我先にトイレに行きます。そこから出てくる人はどれもこれも、最新流行のパリやイタリアモードに身