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10月, 2010の投稿を表示しています

わが愛犬ロミィの記

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  愛犬ロミィが家に来たのは1982年のことでした。 きっかけは知人のシェトランド・シープドッグがあまりにも可愛かったので、私たち夫婦も飼ってみたくなったからです。早速、近所のペットショップに行ってみました。 当時、この種はブームだったので、雌1匹しかいません。毛並みもあまり良いとは思いませんでした。 それでもつぶらな目を見ていると可愛くなって育てる事にしました。       私の家で犬を飼うのはこれで2度目、 最初はゴローという雑種でしたから次ということでロミィ、次の犬の名前も勝手にナナ、ハッティ、クーときめてしまいました。  部屋で飼うためにロミィは基本的なしつけを何とか覚えましたが、この犬、散歩が大嫌いなのです。一緒に歩こうとしないで早く帰ろうと先に先にといってしまいます。それに首輪が大嫌い。気が向かないとクビをふってスルリと抜けて一目散に家に帰ってしまうのです。 そして、門の前で座って待っています。  じつは、子犬の時に歩かせ過ぎたことが原因かもしれません。当時私がメタボになりかけで、ウォーキングは少なくても6~8キロをこなしていましたから、これに比べ、小型犬ロミィはせいぜい4キロ、それを過ぎると座り込んでテコでも動きません。 仕方なく肩にかついで帰りますが、通りすがりの若い娘さんが、ハアハアいっているロミィを指さして「かわいそー!」 それでも私はめげずにウォーキングに連れ出します。 それだから、彼女は散歩が大嫌いになってある時に首輪を外して逃げ出すことを憶えたようです。  私が酔っ払って帰宅すると真っ先に出迎えてくれるのがロミィ、当然のことながら妻とは口げんかが始まります。するとロミィは吠えながらクルクル回ったり、脚にしがみ付いたりしてなだめ役です。これは牧羊犬であるシェトランド・シープドッグの習性なのだそうです。  ロミィの特技は英語をしゃべることです。お客がくると私は、   「ロミィ!英語で  1  は?」    「 One! 」  教え込むまで苦労しましたが来客は大笑いです。考えて見るとロミィの故郷はイギリスですね。英語の発音が良いのは当たり前かも知れません。  次のステップの「Can!」は失敗しました。       それから12年、私が海外勤務の時に東京の妻から電話がかかってきました。ロミィが死んだという知らせでした。休暇の折には真っ先に玄関に出迎

我が家にあった謎の幕末写真

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  お彼岸が過ぎ、仏壇の掃除をかねて祖父たちの写真の整理をしていると思いがけない写真が出てきました。 和紙に包まれたそれは幕末の武士達の写真のコピーです。 私が小さい頃、父から「これは俺の母の父親だから、お前のひい爺さんだ」 と聞かされていたことを思い出しました。しかし、どの人物が曾祖父なのか憶えていません。親戚から貰ったというだけですから果たして本物の曾祖父なのか定かではありませんが・・・。  仏壇に入っていたから父は大事にしていたにちがいありません。そこで、曾祖父の写真であることを鵜呑みにして、幕末のこの写真の謎を探ってみる事にしました。  この写真の背景を見ると、ガラス窓にはカーテン、壁の洋風の飾り模様、また、武士達が座っているのはじゅうたんです。当時は珍しかった洋館ですから長崎かも知れません。    もしかして、この武士達は藩命で長崎に武器を買いつけに来たのでしょうか?すると中央の外人サンは武器商人なのでしょう。有名なグラバー氏かと思って彼の若き頃の写真を見比べて見ましたがちょっと違うようです。   わが曾祖父が禄を食んでいた藩は保守的でいわゆる勤皇の志士を輩出していません。しかし、遅ればせながら戊辰戦争には官軍に味方して曾祖父たちは幕軍を攻めていますから、長崎まで武器調達に出向き、その際に撮った写真だったという理屈は通ります。藩の手持ちの火縄銃では戦争は出来ませんからね。 左の人物の持っている書類はその時の契約書なのでしょうか。  長い露出時間をかけても、ぶれずに鮮明に写っているところを見ると、撮影者は当時の写真家の一人者である上野彦馬氏かもしれません。  上野竜馬氏は坂本龍馬や高杉晋作ら幕末の志士たちや明治の高官の肖像写真を数多く残したわが国の写真家の先駆者です。 天保9年(1838年)に生まれ、安政5年(1858年)オランダ軍医のポンペ博士の医学伝習所の舎密試験所で化学を学び、写真技術を会得しました。  文久2年(1862年)に長崎で写真館を開設しました。有名なものの一つにフルベッキ写真があります。 そこにはフルベッキ教授を真ん中にして幕末の志士やのちの明治の高官の若きころの肖像が写っています。                       フルベッキ写真の概要: Guido Verbeck (グイド・フルベッキ)    撮影年   1868年    出

彼女の悪口を言う男がいたら、その男がその娘を愛していると思えー実際に見たアラブの格言

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  私たちはよく人前で言いますね。彼女はまったく気が利かない・・・私の愚妻は・・・あいつは天然ボケだよ・・・とか。しかし、彼女を見下したり悪口を言っているわけではありません。本当は愛し合っている恋人や小まめに家事をこなしてくれている愛妻をあえてそう表現するのです。 謙遜という言葉に乗っかった男の見栄と照れ隠しなのですよ。      えへへ  アメリカ人などは「私の愛する美しい人」を平気で表現していますねえ、人前ではけして彼女をおとしめるような発言はしないようです。もっとも、一日に何回も I love you を言わないと即, 離婚されるお国柄かもしれません。  「彼女の悪口を言う男がいたら、その男がその娘を愛していると思え」  これはエジプトの格言だそうです。東は東、西は西と習慣が違うなかで、そのはざまの中東でなんと日本人男性をほっとさせるような言い回しがあったとは・・・  私の知人のエジプト人たちのの奥さんは、どの人もしっかりとした性格だと思います。格言どおりを鵜呑みにして大丈夫なのでしょうか?  ある日、エジプトのお医者さんのお宅に招かれました。私はこういう席の話題にするために、日頃、会話や文献で拾ったアラブの格言を忘れないうちにノートに書きとめています。 だから、この格言について裏づけをとるために聞いて見ました。 彼はその格言がエジプトにあることをを認めたうえで、  「そんな悪口を言って彼女に知れたら破局だよ!」 と両手をひろげて弁解していました。 他のお客の男たちも同意見でした。   日本では? という質問には、世間一般では謙虚な気持ちをあらわすために彼女を悪く言うこともあるが、私はお前さんたちと同じ考えだ、と答えておきました。  (注:この会話が交わされていた場所は彼らや私が勤務していたサウジアラビアです。イスラムの厳しい戒律を守っているここの一般社会では女性はベールで顔を隠して人前に出ません。 ごく親しい間柄でも、身内の女性の話題はしません。サウジ人のお宅に招かれても、小さい女の子はともかくも、成人女性は人前に姿を現しません)   愛している人をあえて悪く言う男の照れ隠しがエジプトでも日本でも同じようだとわかって、話はさらに盛り上がりました。   昔、日本では招いたお客に対する主人の口上では、愛妻が一生懸命作った料理ですら、  「この あばら家 には 何