良い出来事は神のおかげ、悪い事はすべてお前らのせいだー実際に見たアラブの格言
私たち日本人は良い事が起これば、それをしてくれた人に感謝をし悪い事が起これば何か祟りでもあるのか、と気にします。イスラムを信仰する人々は良い事が起これば、人より先にまずアッラーに感謝を捧げますが、それは彼の深い信仰心を表わしているといってもよいでしょう。すなわち、神がその人をして良い行いをなさしめた、ということです。これはキリスト教でも同じようです。
そのため、アラブ人は良い事があっても喜びをあまり顔に出さないので日本人は自分の好意が伝わっていないのではないかと誤解してしまうことがしばしばあります。アラブ人には喜びを表面にだすことが誉められるべき事でなく、むしろ喜びを押さえる人ほど尊敬されるという感受性があるからです。私たち日本人もまた、喜怒哀楽を押さえる民族ですが、人の親切については、過度なほどお礼を言わずにはいられません。また、私たちは悪い事が起った場合や失敗をした時には、あまり自己弁護はせずにウヤムヤの内に葬ってしまうか、くよくよ悩むのが常です。これに対しアラブ人は失敗、汚名にたいして攻撃的な特性があり一切の責めを個人に押し付けようとする傾向にあるようです。アラブの格言に曰く、
「良い事が起ったらそれはアッラーのおかげ、悪い事が起ったらそれはすべてお前らのせいだ」
アラビアの生活の中で、私はしばしばこのような出来事に出くわしました。私の好意が全然相手に通じないので、怒ったり悩やんだりした事もあります。これは、日本人の感受性がアラブの考え方と逆ですからそうなるので、彼らはけして人の親切を無視したり忘れたりしていません。思いがけないときに親切が帰ってくるので、その時までいやな野郎だなと敬遠していた自分が情けなくなりました。 こうした出来事は、中東に赴任した日本人ビジネスマンの多くが経験したのではないかと推測されます。
また、彼らの失敗の言い訳についても謙虚とは言い難い態度がこの格言に如実に表れています。
ある時、アラブ人のスタッフが仕事でミスをしたため、呼びつけて注意しました。 すると彼は 「貴方の指示が悪かったからこうなった」 と臆面もなく言い訳し、反省の色もありません。
こんな場合に多くの日本人はカチンと来て、怒鳴りつけるのは当たり前かと思います。私もそうでした。 しかし、彼はなんで怒鳴られなければならないのかといった表情で肩をすくめていました。格言では、
「聞く耳を持たぬ奴と話すくらいなら、ロバ(ラクダ)と話す方がましだ」
どんな嘘っぱちの言い訳でも相手の目を見ながら耳を傾けねばなりません。 ただし、日本人が良くやるように相槌を打ってはなりません。 言い分を認めることになるからです。
現地ではバカ、のろまの代名詞のロバより下に見られたくありませんから、それ以後じっくりと相手の言い分を聞いてから反論することにしました。 だが、自分の失敗を棚にあげやがって・・・という腹立たしい気持ちは残念ながら帰国するまで残りました。
長年のアラビアの生活が染み付いてしまったのか、日本に帰任してから、自分の失策を知らず知らずのうちに他人に押し付けて、それを人から注意されるまで気がつかなかった、ということがありました。
ところで、最近、テレビのニュースを見ていると日本人はアラブ人に似てきましたねえ、碌なエクスキューズもしないで平気で責任を他人に押し付けています。これも、社会のグローバル化、ボーダーレス化なのでしょうか。
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