寺と坂と下町と・・・谷中(東京・日暮里)を歩く

 古い下町の面影が眼に残る町、谷中。その地名は江戸時代以前からあり、上野台と本郷台に挟まれた谷間を意味します。 お花見をかねてこの町を散策してみました。散歩マップを見ると方々に観光スポットがあります。これを全部見るには3日間はかかりそう、そこでJR西日暮里からJR日暮里に至る「これぞ見るべき」という場所だけを順番にめぐる事にしました。


 ここはお寺が多いですねぇ。各宗派のお寺がところ狭しと並んでいます。地元の人に聞くと、なんと八十一のお寺があるそうです。ここは江戸城の鬼門の方向にあたり、築城に際して鬼を封じるため全国からお寺の分院を集めたと言い伝えられています。

1-道灌山 
 JR西日暮里駅のそばの歩道橋を上がると大田道灌の出城跡の道灌山に出ます。江戸の庶民は日が暮れるのを忘れ風光明媚の絶景を楽しんだことから、「ひぐらしの里」とも呼ばれるようになり、現在の地名の日暮里に繋がったと言われています。 

桃さくら鯛より酒のさかなには
     みところ多き日くらしの里 十返舎一九
  
山も無き武蔵野の原をながめけり
       車立てたる 道灌山の上  正岡子規


 今は西日暮里公園となっている道灌山の解説板にはこのような短歌が書き記されてありました。昔の歌人達もこの地の風景を愛でてやまなかったと、その想いをはせてみました。

画像

画像 道灌山を出てすぐ右、第一日暮里小学校のわきに彫刻家の高村光太郎「正直親切」の記念碑がありました。彼はこの小学校の卒業生です。



2-諏方神社
 元久2年(1205年)に造営されたこの神社は日暮里・谷中の総鎮守です。拝殿の下の建物には神輿とともに山車に乗せられ巡幸した源為朝の人形が展示されています。 
画像

3-富士見坂 
 富士見坂は東京に何ヶ所もありますが、都内で富士山が見える数少ない坂です。 写真を撮りに来る人も多いのですが、はっきりと富士山が見える日が少ないそうです。 しかも今では高層マンションが建ち、せっかくの富士の裾野が隠れてしまいます。 富士山の姿?今日は見えませんでした。
画像

4-浄光寺 
 通称雪見寺とも呼ばれ眺望が良い場所だったようですが・・・昔の人がタイムスリップして今の景色を見たら、どう評価するでしょうか? 境内には江戸六地蔵や八代将軍吉宗の座った「腰掛の石」があります。
     
5-経王寺 
 慶応4年(1868年)の上野の戦いで敗走した彰義隊士を匿い、新政府軍の攻撃を受けました。山門には弾丸の跡が残っています。

画像
 ここで右に折れて行けば「夕やけだんだん」に行きますが、直進して、次のスポットに向かいます。 朝倉彫塑館は大改修中、平成25年まで休館です。 しばらく行くと観音寺、当寺の和尚は赤穂義士の近松勘六と奥田貞右衛門と兄弟だったので、ここで義士達がしばしば会合を開いていたと言われています。 境内には四十七士の慰霊塔があります。 

6-築地塀  
 観音寺を過ぎ横の通りを右に入ると昔ながらの築地塀が残っています。 写真の被写体として最適なのでカメラを抱えた人が多いのですが、どうやっても隣の住宅が入ってしまうので・・・(こんな事を言うとその家の人に失礼ですよね、すみません)

画像

 今来た道をもどり、交差点に出て夕やけだんだんに向かいます。

7-夕やけだんだん
 ユニークなネーミングです。美しい夕焼けが見られることからそう名付けられました。階段の下は谷中銀座です。

画像

8-谷中銀座
 全国に数え切れないほど存在する銀座、その中の一つ。 小規模ながら魅力的な下町の風情が感ぜられます。 お店の人々は誰も愛想が良い。 そしてどれも安い! これが魅力のひとつだから財布の中の野口サン、樋口サン、それに福沢サンまでが珍しがって顔を覗かせます。 あ~あ、ついに福沢サンがさよならと出て行ってしまいました。

画像

        夕焼けだんだんの上から見た谷中銀座

画像

画像











懐かしいベーゴマ、だるま落としやけんだまも売っている 。             竹細工のお店、まさに日本の文化の粋。

9-岡倉天心記念公園
 買い物のあと、ちょいと戻った横道に入り岡倉天心記念公園に向かいます。彼は東京美術専門学校(現在の芸大)の2代目校長で横山大観や下村観山を育てた明治の日本画壇の巨匠です。岡倉天心の旧居 旧前期日本美術院跡と書かれてありました。来た道を戻ります。

10-よみせ通り・へび道 
 谷中銀座を過ぎ、よみせ通りに出ました。この道は昔は藍染め川でした。今は暗渠化されて上野の不忍池に注いでいると地元の人が言っていました。川が流れていたであろう道に沿って歩を進めると三崎坂の交差点にでます。そのまま直進すると、へび道があります。名のとおりくねくねと曲がっており、かつての川の面影が想像できる所です。道を戻り、三崎坂へ。

11-三崎坂(さんさきざか)
 上野、忍岡、谷中の三つの丘に囲まれた坂、別名くびふり坂の三崎坂を上がってゆくとその途中、江戸情緒豊かな和紙の店が眼につきます。 お寺も多ですねぇ。 谷中小学校の建物はお寺そっくりの外観です。江戸の無血開城の功労者の山岡鉄舟や落語家の三遊亭円生が眠っている全生庵があります。

12-吉田屋酒店 
 三崎坂を上りきり、なおも下って行くと言問い通りに出ます。 そこに昔ながらの酒屋が保存されていました。 下町風俗資料館付設展示場と長い名称が付けられていました。 分銅秤、昔の帳場、日本髪の美人のポスターなど昭和の初めにタイムスリップしたような気分です。 
画像 
画像

13-谷中霊園とさくら通り 
 来た坂道を戻って谷中霊園とさくら通りに出ました。 まずは霊園に眠る最後の将軍、徳川慶喜の墓をお参りしました。 墓地に沿ったさくら通りは都内でも桜の名所です。お花見の人々は早くも満開の花の下でお弁当を広げ、一杯気分で宴会をしています。外人さんも一緒です。国際色豊かですねえ。

画像

 いささか疲れましたが、春風に吹かれ満足感で一杯です。さくら通りの花のアーチを通り抜けて階段を下りると、そこはJR日暮里駅でした。

画像

コメント

このブログの人気の投稿

都内の秋を散策しました

園芸で育ったハーブ類、 料理に役立っています

残っていた戦時中の防空電球