江戸に居たぜよ坂本龍馬

 NHKの大河ドラマ坂本龍馬伝で、また龍馬が脚光を浴びています。義経に対する判官贔屓もそうですが、悲劇に終わる人物をどうして日本人は好きなんでしょうね。 不況の現在、景気の回復に向かってみんな懸命の努力を続けています。激動の幕末の世相もそうでした。 苦しんだあと明るい未来がやってきます。 そうした時代の龍馬の生き様が人々の心に響くのでしょう。聞いた話ですが、龍馬ブームのあとは景気が急速に戻るのだそうですから今回もそうなるよう期待しています。

 坂本龍馬は19歳ごろ、剣術修行のため江戸にやってきました。 その時彼が住んでいたという土佐藩の下屋敷跡が立会川(京浜急行立会川駅)に在り、像も建っているというので、それいけ!と、見に行きました。いやはや物見高い江戸っ子の癖でねえ・・・ 野次馬はどうしてもやめらんねえよ。
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 3月19日(土)11時30分、京浜急行の立会川駅を降りると、すぐ左の北浜川児童公園に龍馬の像がありました。 目を細めて懐に右手を突っ込んでいるポーズは現存する彼の写真の通りですが、どうして実物よりハンサムに造られているのでしょうか? (ドラマの主役の福山雅治はもっとイケメンですが) ともかくもこの像は彼の生まれ故郷の高知市から2004年に寄贈されたものですから、土地贔屓でしょう。まあ、そのところは大目に見てあげましょう。ただ、この像はプラスチック製ですので、いささか重みに欠けますが・・・。

 龍馬像の向いのお店でパンフレットをもらいました。

画像 これを手にして土佐藩下屋敷あとを探してみました。地図を見ると下屋敷は1万6千800余坪もあってこの辺一帯が屋敷だったそうです。今はお店や住宅街になっていてどこがどこやら・・・。その面影はなく、国道15号に面した浜川中学校の脇に跡地との案内板があるだけです。

 さすが竜馬ブームです。商店街にはいろいろ趣向を凝らした」龍馬グッズが並んでいます。どこかのテレビ局でしょうか、お店を取材していました。  

画像 龍馬が剣術を修行した北辰一刀流の千葉定吉道場は当時の京橋桶町付近にあったといわれています。 しかし、当時の江戸郊外の立会川の下屋敷から毎日出かけて行くにはちょっと遠すぎるようです。そこで、修行中は当時鍛冶橋にあった土佐藩の上屋敷から道場に通ったのでしょう。

 彼は身分の上下が厳しい土佐藩の下士であり、しかも家督を継げない次男坊の身分ですから、上士の上屋敷には住めないという説もあります。 


 だが、太平の世を過ごしてきた当時の上士で剣術に身を入れる者はいたでしょうか? 彼らは現在でいえば東大を卒業しエリートで警察庁に就職するような身分ですから、実際に刀を振り回す役は龍馬みたいな下士だったと思います。だから警備をかねて屋敷の使用人たちの長屋に間借りしていたのかもしれません。司馬遼太郎の「龍馬が往く」では彼は上屋敷から通ったとなっています。

画像 龍馬も通ったであろう道を歩きながら、ふと彼はいつから靴をはき始めたのだろう? と考えてみました。

 商店街のこの靴屋さん(写真)で買ったものではない事は,はっきりしていますが・・・。  

 さて、龍馬は靴下を穿いたのでしょうか? 私は足袋だったと想像します。素足だったとは思いません。当時は靴擦れや水虫の治療薬はなかったわけですから。

 今後の大河ドラマで注目しましょう。
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間違えて、浜川中学校の正門に出てしまいました。土地の人にきいて国道15号にそって、中学校の裏に下屋敷あとの案内板、ようやく見つけました。

 一度立会川駅に戻り、龍馬像を通り越して、涙橋のわき勝島運河沿いの浜川砲台跡に着きました。

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 もっとも石垣だけです。 黒船が煙を吐いて航行し大砲が向けられていたであろう海の方角は運河をはさんでビルが立ち並んでいます。(海が見えないので)お詫びでしょうか、ビルの壁にはマンガの黒船と龍馬が描かれています。

 ここはかつて土佐藩の鮫川砲屋敷があった所で、黒船来航の折にこの屋敷内に砲台を築いたそうです。同藩は江戸詰めの武士を動員したので、龍馬も警備隊に加わっていたといわれています。

 黒船が来たぜよ!  

 彼は土佐の父親に 「異国船処々に来たり候えば、軍も近き内と奉存候・・・」 と手紙を書き送っています。

画像 勝島運河沿いはしながわ花海道と呼ばれているお花畑が作られています。今は菜の花が咲き乱れています。 龍馬の故郷の高知桂浜の桂浜花海道と同じ趣きにして作られました。  この日3月19日はまだ桜は咲いていませんでした。 あと一週間もすれば、ここの風景は一層華やかになるでしょう。
 
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 春のうららかな風、今日はちょっと強すぎます。髪が龍馬のようにぼさぼさになりました。私も彼の真似をして右手を懐(ポケット)に突っ込み、鮫洲方向に歩いてゆきました。  

 菜の花が尽きるところを左折、国道15号を渡り右に大井公園の脇、立会川小学校の裏手に、土佐藩主であった山内容堂候の墓所があります。

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 ここはかつては大井村の下総山(土佐山)と呼ばれており、 彼の遺言によって、この現地に葬られました。

 江戸の龍馬探訪はこれで終点です。

 京浜急行鮫洲駅が近くにありますが散歩日和、旧東海道をさらに歩き続け青物横丁に出ました。 14時40分


立会川龍馬番外編

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  かつおの龍馬餃子、ボリューム満点の砲台そば 龍馬にちなんだ食べ物が並んでいます。
  さて、どれをたべてよいやら・・・迷ってしまいますねエ。

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