言葉は雲、行動は雨―実際に見たアラブの格言
サウディアラビアのジッダで大洪水が起りました。丁度イスラム教徒には大切な行事のハッジ(巡礼)の月なので、世界中からメッカに信徒が集まっていました。 ジッダはその玄関口に当たります。 乾燥した砂漠の国に洪水だとマスコミは一斉に報じています。たしかに1日に100ミリを越す集中豪雨は異常ですが、サウディアラビアではこの時期は雨のシーズンで各地に洪水が起るのは珍しくありません。 20ミリの雨でも砂漠の中のワジ(涸河)では濁流となってしまいます。しかし、一年の大半がからからに乾いたこの地ではむしろ雨は Good Weather!で砂漠に生を与えるアッラーの恵みなのです。
言葉は雲、行動は雨
アラブにはこうした格言があります。空に雲があるだけではなんの足しにもなりません。雨が降ってこそ、その恩恵に与かれるのです。 口先ばかりで何もしない人を諌めたものでしょう。
私が永年くらしていたサウディアラビアの東部地方のアル・カフジでは11月ごろから雷が鳴り、雨がポツリと降ってきます。乾燥した大地が湿ってくると砂漠は生き生きとして、2月になると見渡す限り可憐な草花に覆われます。4月末には暑い夏がやってくるのです。
春の砂漠はまるで花柄のじゅうたんを敷き詰めたようだ
夏に入ると雨に潤った砂漠のワジ(涸河)は徐々に水が引いてゆき、涸れてしまいます。だから、11月からの雨のシーズンに入って不用意にここでテントを張っている遊牧民が鉄砲水で溺れてしまう、こんなニュースが地元紙でしばしば報じられていました。
静かな河を渡るな、ざわめきのある河を渡れ
この格言は河底の石で飛沫を上げている河は浅いので渡るには安全です。静かによどんでいる河は深みにはまる危険があります。
注:またこの格言には、黙っていてはわからない、口角泡を飛ばし大いに議論すれば納得できるという意味も含まれています。
5月のワジ、まだ水は引いていない。7月にはからからに渇いて一面カーキ色の砂漠と化す
確かに地球温暖化は進んでいるでしょう。今回のジッダの洪水の原因とされているのは、西から東に吹く亜熱帯ジェット気流が北アフリカから紅海にかけ大きく蛇行し北方の寒気を南下させたからです。紅海の暖かく湿った南風は陸地に入って上空の寒気とぶつかって上昇気流を発生させ積乱雲が次々に発達、記録的な大雨になったようです。
私がサウディアラビアに赴任した当初の1970年代は年間(雨季は11月―4月)に100ミリ足らずの雨量でした。この時期はまるで日本の梅雨を思わせる小雨が断続的に降る気候だったと記憶しています。1983年にはソフトボール大の雹が降り竜巻も起ってカフジの町に大きな被害が出ました。この頃から夕立のような強い雨も経験しました。
1990年代に入ると雨量も例年の倍近くなり年間300ミリを越える年もありました。土砂降りの雨で道路が冠水して車が通れなくなったり、ハイウェイの一部が水で流されて砂漠に戻ってしまいました。局地的ですが砂漠一面が小さな雹にうめつくされ真っ白になり、雪を見たことが無いアラブ人やフィリピン人は大喜びでした。
(数時間後には消えてしまいましたが)
砂漠の国ですから、道路の排水施設はお粗末です。想定外の大雨では半月の間道路にたまった水が引かないこともあります。 私の勤めていた石油会社では建設当時、日本の仕様にしたがって排水溝が作られました。しかし、雨が降るとすぐ冠水してしまいます。 どういうわけだ!と調べたところ、砂漠から飛んでくる砂塵で詰まってしまうのです。その後は当地の事情にあわせて改造したので会社の敷地ではそういう事はなくなりましたが、一歩カフジの町に出ると、あちこちに深い水溜りができていて往生したものです。バキュームカーが出動して水を吸い上げていました。これは1998年に私が帰任する時にも解消していませんでした。
余談ですが、雨にまつわる話・・・。
この石油基地の建設で砂漠に多くの事務所や倉庫が建てられました。完成後、しばらくして雨に見舞われ方々で雨漏りし始めました。 カンカンに怒った会社の責任者は施工業者にクレームをつけたのですが、業者は「わたし等には落ち度は無い」とどこ吹く風。その根拠は、 契約書には 「屋根から雨が漏らないこと」 とは書かれていない、というものでした。日本では考えられませんね。
ある日の朝、雨がザーザー降っていました。車で出勤する途中、街路樹にタンクローリーで水をまいている人を見かけました。雨なんだから無意味じゃないかーそう思いましたが、よくよく考えてみると彼の仕事の契約書では「毎日水を蒔くこと」が義務付けられているのでしょう。一日でもサボったりしたらクビですね。契約の言葉は雲、毎日の水撒き(行動)は雨 を実践しているわけです。
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