モンセラート(スペイン)の思い出ー黒いマリア
バルセロナからカタルーニャ公営鉄道で一時間、モンセラート(Aeri de Monserrat)に着く。そこで見上げる奇岩の数々、その中腹の教会には黒いマリア像がある。スペインの教会で見られる普通のマリア像は、うす紫のきらびやかな衣装を着て幼子イエスを抱いている。だが、ここのマリアは黒い地味な像だ。なぜこれが人々の深い信仰に結びつくのだろうか。黒いマリア像「La Morene」 は1881年カタロニア州の守護聖人となっている。
モンセラートとはごつごつした鋸山の意味で標高1235メートルの山である。列車を降り登山電車で切り立った断崖の中腹に建てられた修道院に向かう。
大聖堂(バジリカ)に安置されている黒いマリア像は、880年に聖なる洞窟(Santa Cove)で羊飼いたちが聖母を見たという伝説に基づき12世紀に作られたロマネスク彫像である。この洞窟には、ここからさらにロープウェイで上ってゆかなくてはならない。残念だが今日は時間がない。
大聖堂は16世紀に建設されたが1811年ナポレオン軍によって修道院と共に破壊され、その後、1900年頃になって再建された。
大聖堂正面
長い回廊を一列にならび、黒いマリア像に近づく。参拝客や観光客でいっぱいだ。誰もが十字を切っている。
なぜ、ここにある聖母マリアは黒い色なのか? 後日この疑問を解くために文献で調べて見た。
モンセラートの黒いマリア
旧約聖書にあるサロモン雅歌(歌の中の歌)の第一章ではイスラエルの乙女の肌は小麦色であったと記されている。
イエルザレムの娘たちよ
私はケダルの天幕のように
サルマハの幕屋のように
黒いけれど美しい
私の焦げた色に目をとめるな
私は陽に焼けた
イエルザレムの娘たちよ
私はケダルの天幕のように
サルマハの幕屋のように
黒いけれど美しい
私の焦げた色に目をとめるな
私は陽に焼けた
キリスト教が国教となった古代ローマ時代の「イコン」のイエスの顔もまた褐色である。
また、イスラム教の聖典クラーン(コーラン)と並ぶハディースというムハンマドの言行録の中にも、ムハンマドが天国の階段の中門でイエスに会った時の彼の印象が記されている。・・・彼は中肉中背で浅黒い肌をしていた・・・
このことから、小麦色の肌はセム族である当時のユダヤの民の一般的な風貌であったと考えられる。いま、私たちが見るマリアやイエスの顔はヨーロッパ人を模したものである。
実は、黒いマリア像はフランス、スペイン、イタリアなどヨーロッパ各地に見られる。世界中には約450体もあるという。
昔、この地方に多く住んでいたケルト人のドルイド教とキリスト教が融合し、彼らが信仰する豊かな実りを約束する黒い大地の色(豊穣の女神)が、あとから入ってきたマリア像に反映されたのであろう。またマリア信仰が続いたのは、後になって中世に蔓延した「黒死病」のペストの恐怖から救ってくれるものは、この黒い聖母マリアの愛だけだったのかもしれない。
これは教会の献堂を記念して明治36年(1903年)にフランスノルマンディ州デリヴランドの修道院から寄贈されたものである。
大聖堂のミサ
モンセラートの奇岩上の教会では、少年たちの聖歌のコーラス(Esocolania de Montserrat)がまた人気を集めている。透きとおるようなボーイソプラノが可憐でもある。聖堂のドーム一杯に響き渡る。この少年合唱団はヨーロッパ最古のものといわれ、我々にお馴染みのウィーン少年合唱団とともに最高の水準にある。
いろいろ見るところがあるが、帰りの電車の時間が迫ってきた。少年達の歌声の余韻を耳の奥に残して、私たちはモンセラートを後にした。
バルセロナに戻ると、モンセラートの奇岩を思わせる建物がそびえていた。サクラダファミリア教会だ。
そこでは127年にわたって今でも建設が進められており、スペイン観光の目玉でもある。設計者ガウディはこのモンセラートの奇岩をモチーフとしたといわれる。
(1999年4月スペイン旅日記より)
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