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10月, 2009の投稿を表示しています

女房が隣人と喧嘩している間に亭主は女房と仲直りー実際に見たアラブの格言

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これは世界中どこにでもあることですね、ことさらの説明をする必要はないでしょう。自分にむけられた非難が他に転嫁できるのですから、そういう時には積極的に奥さんの応援をしましょう。 次の話はアラビアで起ったことです。私の喧嘩相手のA氏がある人と喧嘩している時、私はA氏に肩入れをしました。すると・・・  サウジアラビア赴任中、ある日の会議で私はアラブ人のA部長の怠慢な仕事ぶりを槍玉に上げました。これは普段、誰もがそう思っていた事だったので他の部長達からも反論がなく、彼に対し改善を促す結論となりました。ところが、あとになって、友人からA部長が私のことをひどく恨んでいて私の悪口を言いふらしていることを聞きました。 当然、私と彼は不仲になって、その後の会議の席上ではそっぽをむいて口もききませんでした。   その後、政府の役人との会議があって、私もA部長も出席した時のことです。話がこじれてA部長がお役人からいわれのない非難を浴びました。二人は激しい口論となりました。私も会社側の代表ですから徹底的にA部長の弁護をしました。怒ったお役人はボールペンを机にたたきつけて出ていってしまいました。  「困ったことになった。これではこのプロジェクトの認可が下りない」   事態を収拾するために、普段の仲の悪さを棚上げした私とA部長は、あれこれ根回しをした末にその件はようやく円満解決しました。  その後、私は彼のオフィスに行く機会があったので、お茶を飲みながら打ち解けたところを見計らって、私を恨んでいるとのうわさを聞いたが、とたずねました。彼はそのことをもう忘れてくれ、もう済んだことだ、ただ、あなたが大勢の前で私の恥を非難して私の名誉を傷つけたからだ。今度からはそういう事は私に直接いってほしい・・と笑顔を見せて言いました。  それから我々二人はあの政府の役人の悪口を散々言い合って、さっぱりした気分で帰りました。  なるほど、 「女房が隣人と喧嘩をしている間に亭主は女房と仲直り」  のアラブの格言どおりですね。  別の格言に曰く、 「相手を憎んでも和解の余地を残しておけ」  と、ありますから私とすんなり和解したA部長は、役者が一枚上だったかもしれません。   反面、こんな格言もあります。 「親しくとも敵になる可能性は残しておけ」  結局、砂漠の中では自分しか頼りにならないのでしょうか。   

東京スカイツリー建設現場を訪ねて

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  東京タワーにかわるテレビ塔が東京都墨田区押上に建設中です。10月20日、関係者のご好意で建設現場を見学することができました。 東京スカイツリー、完成時には634メートルとなって東京タワーの約2倍の高さとなります。  第一展望台は350メートルでレストランなどで東京の景色を見ながら食事が楽しめます。450メートルの第二展望台はガラス張りの空中回廊で、天気の良い日は75キロ先まで一望できるのだそうです。    タワーを囲んで押上駅と業平橋駅にまたがる長さ約400メートル、3.7ヘクタールの区域に新しい街が誕生します。周囲の下町の情緒が残る庶民的な町並みと相俟って人々の目を楽しませ、東京のシンボルとなって行くのでしょう。  スカイツリーを訪れるには、いろいろな交通アクセスがあり便利です。今日はそのうちの都営浅草線で押上駅に降り立ちました。 B3の出口を出ると、目の前に巨大な構造物が出現します。  待ち合わせの時間にはまだ間があるので付近を散策方々、建設中のタワーの写真を撮りました。 西十間橋からのタワー  川面に映えるタワーは新旧入り混じった不思議な風景となりそうです。 もう少し緑がほしいな・・・。  浅草通りからの風景、    将来、東京スカイツリーに上がったあと、気軽に一杯飲りたい店がありました。  もっと、タワーに近づきます。わああ~圧倒される威容です。 完成すればもうここからは写真に入らなくなる撮影スポットです。 タワーの上部に蒔きつけてある蓑のような構造物はタワーの鉄骨上棟(作業場)です。 塔が高くなるにしたがって上に移動します。一つずつ外せるようになっています。   東武橋からのタワー  ここからのアングルは最高、やはり人が集まって写真を撮っていますね。 東京スカイツリーが完成してから、ここに来てもう一度撮って見たい所です。   東武鉄道業平橋駅付近   タワーが完成すれば、 この辺は開発されて人の波に埋まってしまうかも知れません。現在は住宅街の閑静なところです。  ここから地下鉄入り口を見つけ、押上駅 B3に・・・。    集合場所の押上駅に戻り、タワー建設関係者の案内で工事現場に向かいます。 プロモーションビデオとスカイツリーの建設概要の説明の後、見学に移ります。  本日までのタワーの高さは174メートル、冬までに200メートル強となり、2010年の夏

雑草かと思っていたら・・・我が家の園芸

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  我が家のささやかな屋上庭園。数年前にバラや蘇鉄の鉢に見慣れない草が生えてきました。雑草かと何のためらいも無く引き抜いて捨てていましたが、また翌年生えてきます。昨年は室内のインテリアぐらいにはなるだろうと鉢植えにしました。夏を過ぎ、部屋の中で伸び過ぎたそれを屋上に出して置きっぱなし、秋には処分して残骸を片隅にポイと捨てました。ところが・・・・  今年の春、始末をしなかったその草は成長を始めました。土もないのでそのうち枯れるだろう、刈り取るのも面倒とそのままにして置きましたが、夏のあいだにあたり一面に蔓延ってしまいました。 今では屋上のグラウンド・カバーとなって、断熱効果として役立っているのではないでしょうか。 冷たい扱いをするのも何だな・・・そう思ってその上に残土を撒き他の植物に与えるハイポネックスもお裾分けしてやりました。  何と! この植物には由緒ある名前が付いているのです。 学名は:プレクトランサス・ヌンムラリス  南アフリカ原産の多年草です。  さらに驚きました。この草の別名はスウェーデンアイビーです。 と、いうことは南半球から北半球までの有名なタレント草だった訳です。 知らなかったな。 9月、可憐な花をつけていますよ。 でも、切り花にはなりませんネ。 このままそっとしておいてあげましょう。

モンセラート(スペイン)の思い出ー黒いマリア

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  バルセロナからカタルーニャ公営鉄道で一時間、モンセラート(Aeri de Monserrat)に着く。そこで見上げる奇岩の数々、その中腹の教会には黒いマリア像がある。スペインの教会で見られる普通のマリア像は、うす紫のきらびやかな衣装を着て幼子イエスを抱いている。だが、ここのマリアは黒い地味な像だ。なぜこれが人々の深い信仰に結びつくのだろうか。黒いマリア像「La Morene」 は1881年カタロニア州の守護聖人となっている。  モンセラートとはごつごつした鋸山の意味で標高1235メートルの山である。列車を降り登山電車で切り立った断崖の中腹に建てられた修道院に向かう。  大聖堂(バジリカ)に安置されている黒いマリア像は、880年に聖なる洞窟(Santa Cove)で羊飼いたちが聖母を見たという伝説に基づき12世紀に作られたロマネスク彫像である。この洞窟には、ここからさらにロープウェイで上ってゆかなくてはならない。残念だが今日は時間がない。  大聖堂は16世紀に建設されたが1811年ナポレオン軍によって修道院と共に破壊され、その後、1900年頃になって再建された。       大聖堂正面  長い回廊を一列にならび、黒いマリア像に近づく。参拝客や観光客でいっぱいだ。誰もが十字を切っている。     なぜ、ここにある聖母マリアは黒い色なのか? 後日この疑問を解くために文献で調べて見た。 モンセラートの黒いマリア    旧約聖書にあるサロモン雅歌(歌の中の歌)の第一章ではイスラエルの乙女の肌は小麦色であったと記されている。 イエルザレムの娘たちよ 私はケダルの天幕のように サルマハの幕屋のように 黒いけれど美しい 私の焦げた色に目をとめるな 私は陽に焼けた               キリスト教が国教となった古代ローマ時代の「イコン」のイエスの顔もまた褐色である。                                                         また、イスラム教の聖典クラーン(コーラン)と並ぶハディースというムハンマドの言行録の中にも、ムハンマドが天国の階段の中門でイエスに会った時の彼の印象が記されている。・・・彼は中肉中背で浅黒い肌をしていた・・・  このことから、小麦色の肌はセム族である当時のユダヤの民の一般的な風貌であったと考えられる。