またレトロな建物が消えてゆくー京品ホテル

 JR品川駅前、明治―大正―昭和―平成と時代の世相を見守ってきた京品ホテルが営業を終えました。 突然のこととて、従業員たちは抗議の声を上げています。1871年(明治4年)に旅館として開業。その後、1930年(昭和5年)に現在のホテルの建物が建築されました。戦災にも耐え、現在に至るまでレトロな建物にファンも多く人気をあつめていました。この10月20日 経営者の京品実業(株)は経営難を理由に廃業し従業員の解雇とホテル売却を宣言しました。


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 会社の事業は多額の負債を抱え、先ほど破綻した米大手金融会社のリーマン・ブラザースの日本法人子会社のサンライズ・ファイナンスが債権者となっています。 この会社もまた、この9月に民事再生法の適用を申請したため債権処理を急がなくてはならない事情を抱えております。

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 しかし、ホテル単独の営業は黒字というのですから、些か惜しい気がします。建物の耐震化が出来ない事、高輪の都市計画に組み入れられたことから、売却されたあとは取り壊されてしまうでしょうが、どこかに昭和初期の建築物記念館として移築できないでしょうか。

 私は品川で生まれ、この京品ホテルの建物を見ながら年を重ねてきました。今はウィング高輪、品川プリンスホテルの近代的ビルに囲まれ、このレトロな建物はさびしい雰囲気ですが、昭和20年~30年代は、品川駅、京浜急行電鉄と京浜百貨店、三菱銀行や郵便局、1番、3番、7番の都電の停留所などと一緒に駅前に威容を誇っていました。

 品川駅前は戦前の出征兵士、戦後の復員の軍人たちのターミナルでしたから、いつも人の波でごった返していた記憶があります。父もここに復員し、母と共に迎えに行きました。

 戦後しばらくは京浜百貨店(今のウィング高輪East)の地下はアメリカ進駐軍のダンスホールになっており、品川駅の田町寄りの国電沿いには闇市がありモンペ姿の主婦や古びた戦闘帽をかぶった男たちで賑わっていました。

 長いあいだホテルの下で営業を続けていた中華料理店の[桃苑」で、戦後まもない子供の頃父と五目そばを食べたことがありました。 食料難の折、世の中にこんな美味いものがあったのか、とびっくりしたことがありました。

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 すっかり、自分勝手なノスタルジックな気持ちばかりを述べてしまいました。 まあ、「年寄りの昔自慢」と思って勘弁して下さい。

 時代の流れには逆らえませんが、営業を続けたいとのホテルの従業員さん達の意気を感じてなんとか存続できないものでしょうか。これがかなわなければ、なんとか行政の手で保存の道を探して欲しいものです。

付記: 解体された京品ホテル 2010年11月2日撮影

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 残念ながら、昭和のレトロ建物は消えてしまいました。 
 跡地は何になるのでしょうか。





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