爽快!アラビアの沙漠でロック・ライブだ!
山に登った時、海に向かった時、広い空間に向かって思い切り叫んでみたい、歌って見たい。そういう気持ちは誰でも一度はあったと思います。サウディ・アラビアの広漠とした沙漠の地平線を観客席に見立ててロックのライブをして見たい! ついにチャンスが訪れました。爽快な気分でした。
1960年代の初めことでしたか、私が勤めていた石油会社のアラビアの鉱業所に有名歌手のアイ・ジョージ氏が訪れました。 石油の採掘が始まったばかりで何の娯楽もない沙漠の中で働く日本人たちの無聊を慰めてくれるためです。彼は「自分の声だけで歌いたい」と係りの人がすすめたマイクをことわり、ギター1本で広漠たる沙漠にむかって熱唱しました。遠くまで響くその声に皆が感動したとのことです。
当時、東京本社で勤務していた私は、現地からのこの便りを聞き、自分もいつかは沙漠で彼と同じように歌って見ようと心にきめました。 私は学生時代にハワイアンバンドを組んでいて、ある野外のコンサートでアイ ジョージ氏の前座をつとめたことがあったからです。
1976年、私はアラビアの鉱業所に転勤となり、家族と共に暮らすこととなりました。 60年代の操業初期とくらべ、その頃はもう現地の生活環境は向上していましたが、まだ娯楽に乏しく日本から送られてくるビデオが慰めの一つでした。 紅白歌合戦などは2ヶ月遅れで届きました。 新しい歌はそこから覚えたものです。「ひげダンス」や「泳げ、たいやき君」などが現地の日本人の子供たちにはやった頃でした。
ある年の春の沙漠で駐在の日本人家族たちがバーベキュウをすることとなりました。私もギターをかかえて、家族とともに参加しました。
沙漠のワンマン・ロックライブ、観客は約30人しかいません。 出し物は当時のビートルスやカーペンターズの曲、 Jポップスは「シクラメンのかおり」アイ・ジョージ氏の「硝子のジョニー」などであったと記憶しています。何も無い沙漠の地平線にむかって思い切り絶唱してみたものの、声は砂に吸い込まれ、か細く消えてゆくだけでした。 プロのミュージシャンであるアイジョージ氏の歌唱力のすごさを改めて思い知らされました。
観客のまばらな拍手を聞きながらも、やっと思いをとげた感じがしました。
好奇心の強い羊たち、
バーベキュウの残りの野菜をねだりにやってくる。
なにごとかと、寄ってきた放牧の羊たちの鳴き声が
「ウメエエ~」
と聞こえたのは私の気のせいかもしれませんが、とにかく、群れにむかって沙漠のステージから深々と頭を下げて挨拶しました。
まあ、このギャグだけは皆にうけましたがネ・・・。
あれから、30年、退職してから友達とオヤジバンドを組んで六本木や赤坂でライブを行っています。 音響機器の発達した昨今、マイクを通すエコーのきいた声は本来の自分のものではありません。 もう一度、あの茫漠たる沙漠の地平線にむかって、挑戦してみたいものです。
1960年代の初めことでしたか、私が勤めていた石油会社のアラビアの鉱業所に有名歌手のアイ・ジョージ氏が訪れました。 石油の採掘が始まったばかりで何の娯楽もない沙漠の中で働く日本人たちの無聊を慰めてくれるためです。彼は「自分の声だけで歌いたい」と係りの人がすすめたマイクをことわり、ギター1本で広漠たる沙漠にむかって熱唱しました。遠くまで響くその声に皆が感動したとのことです。
当時、東京本社で勤務していた私は、現地からのこの便りを聞き、自分もいつかは沙漠で彼と同じように歌って見ようと心にきめました。 私は学生時代にハワイアンバンドを組んでいて、ある野外のコンサートでアイ ジョージ氏の前座をつとめたことがあったからです。
1976年、私はアラビアの鉱業所に転勤となり、家族と共に暮らすこととなりました。 60年代の操業初期とくらべ、その頃はもう現地の生活環境は向上していましたが、まだ娯楽に乏しく日本から送られてくるビデオが慰めの一つでした。 紅白歌合戦などは2ヶ月遅れで届きました。 新しい歌はそこから覚えたものです。「ひげダンス」や「泳げ、たいやき君」などが現地の日本人の子供たちにはやった頃でした。
ある年の春の沙漠で駐在の日本人家族たちがバーベキュウをすることとなりました。私もギターをかかえて、家族とともに参加しました。
沙漠のワンマン・ロックライブ、観客は約30人しかいません。 出し物は当時のビートルスやカーペンターズの曲、 Jポップスは「シクラメンのかおり」アイ・ジョージ氏の「硝子のジョニー」などであったと記憶しています。何も無い沙漠の地平線にむかって思い切り絶唱してみたものの、声は砂に吸い込まれ、か細く消えてゆくだけでした。 プロのミュージシャンであるアイジョージ氏の歌唱力のすごさを改めて思い知らされました。
観客のまばらな拍手を聞きながらも、やっと思いをとげた感じがしました。
好奇心の強い羊たち、
バーベキュウの残りの野菜をねだりにやってくる。
なにごとかと、寄ってきた放牧の羊たちの鳴き声が
「ウメエエ~」
と聞こえたのは私の気のせいかもしれませんが、とにかく、群れにむかって沙漠のステージから深々と頭を下げて挨拶しました。
まあ、このギャグだけは皆にうけましたがネ・・・。
あれから、30年、退職してから友達とオヤジバンドを組んで六本木や赤坂でライブを行っています。 音響機器の発達した昨今、マイクを通すエコーのきいた声は本来の自分のものではありません。 もう一度、あの茫漠たる沙漠の地平線にむかって、挑戦してみたいものです。
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