行き過ぎた文明―人間は単なる受信機になってしまうのか

  世の中を見渡すとあれもこれも便利になりましたね。19世紀フランスの作家ジュール・ベルヌの小説の海底2万マイルや月世界旅行、当時、夢物語であった奇想天外の話は今やほとんど実現しているのではないでしょうか。 しかし、人間の本性そのものはどうでしょうか、むしろ退化の一歩を辿っているように思います。

なにもかも機械が指示し、出来合いのものを人間に与えてしまうから現代の人間は自己判断も五感も失われてゆくようです。 目が悪くなる、 鼻が悪くなる、耳が悪くなる、暑さ寒さ、痛みを感じなくなる。味が分らなくなる。ちょいと、事例を挙げてみましょう。 

創造性の欠如

・デジタル時計で時が瞬時にわかってしまう。考えることをしないですむ。アナログの時計のように長針短針を見て時間を読み取ることができず、脳の活性が失われる。

・家庭用品は壊れたらもう自分では直せない。新しく買わざるを得ない。
 
・文章はパソコンで入力、漢字が書けない、計算も電卓で。だから暗算ができない。

・カーナビの使いすぎで方向音痴、自分の努力で目的地に着けない。

・ケータイがないと仲間と付き合ってもらえない。孤独感に襲われ一人で生活できない。

・ケータイがないと待ち合わせの場所で人に会えない。

・スイカを使うから運賃が幾らかわからない。それに、くど過ぎる車内アナウンス。案内なしで は行き先の駅に行き着かない。

・子供たちは焚き火の仕方を知らない。 ナイフが使えずえんぴつを削れない。

・インターネットで買い物。自分で手にとって良し悪しを品定めできない。

味覚の欠如

・チンして、はい出来上がり! 料理ができないからコンビニ弁当。味はお仕着せだから、自分が好きな味覚がどうなのかわからない。グルメ番組に毒され、他人の味が一番と思い込む。  

聴覚の欠如

・若者のヘッドホンのカシャカシャ音。宣伝、選挙などの大音量のスピーカー。上空のヘリ、車の音。騒音オバサン etc. 雑音の巷。 自分の生活の音を聞き分けられない。

嗅覚の欠如

・トイレに何種類ものにおい消し。デパチカの食料品売り場の混ぜ合わさった匂い。道端の排気ガスと下水の匂い。もう嗅ぎ分けることが麻痺。

感覚の欠如

・季節が感じられなくなった冷暖房施設の完備。暑すぎたり寒すぎる車内やデパート、オフィスの中。 

・暑いから(寒いから)と100メートル先のスーパーに車なしでは徒歩で買い物に行かない。

  まだまだあります。もううんざりです。こうなると、もう依存症。都合の悪いことはみな人に押し付ける他者責任が大手をふって歩いている時代です。自己責任という自分の本能を駆使して生活してゆくことがなくなってしまいそうです。

  いずれ世の中はコンピューターに支配されてしまう。人間は単なる受信機に過ぎなくなってしまうのでしょうか。

  コンピューターが人間を支配する近未来映画が何本も公開されましたが、どれもが人間の勝利に終わるハッピーエンドとなっています。 ウソだろ、やっぱりやられてしまうのが筋じゃないか。 見ていてそんな気がしました。

  しかし、手塚治虫氏の火の鳥ー未来編ではコンピューター同士の戦争のとばっちりで一人の人間を除いて生物が絶滅してしまう、このストーリーはありうるのかもしれません。

 幸いにして人間には機械にはできない感覚を持っています。なぜなら、Yes/No のプロセスしかないコンピュターに対し、人間にはAboutのファージー感覚があるからです。

   黙って、オレについて来い!

  作詞: 青島幸雄
  作曲: 萩原哲晶 
   歌:  植木 等  

  
 ぜにのないやつあ 俺んとこへこい
 俺もないけど 心配するな
 見ろよ、青い空、白い雲
 そのうち何とかなるだろう(ハア・・・) 

  東宝映画 「ホラ吹き太閤記」 主題歌より

植木等さんの歌声と名演技、将来、もし人類とコンピューターの戦いになったならば、この歌はフランスの国歌のように勝利にむけた人類の革命歌となるでしょう。

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