元旦に富士登山だ! 品川神社のミニチュア富士
2008年おめでとうございます。お屠蘇で祝ってお雑煮と重箱のおせち料理。どこかのテレビ局のお笑い番組のスタジオの笑い声を聞きながら届いた年賀状の仕分け。それが済むと分厚い新聞を広げ、広告や年賀で埋め尽くされた中からニュースを探し出し拾い読みします。今年も寝正月か、ア~ああ。あいかわらず、あくびだけは元気良く出ます。 しかしこのままでは、三が日でメタボの進行は目に見えています。と言っても、繁華街の人ごみの中にはあまり出たくありません。
そうだ!はたと思い付いたのが東京で出来る富士登山。所は東京都品川区にある「品川神社」にあるミニチュアの富士山(富士塚)です。 早速、初詣だ、とデジカメ片手に出かけることとしました。京浜急行の新馬場駅から2分、第一京浜国道に面したところに品川神社があります。この神社には火成岩に覆われた10メートルほどの山があり、富士に見立てられています。写真の鳥居の上にちょいと姿を見せているのがそれです。
この岩は富士山から運ばれてきたのでしょうか。
やはり元旦、大勢の人々がつめかけています。 大黒様の像がある神社入り口の階段の途中、左手にある鳥居が登山口です。一合目から頂上まで、小さな標識が立てられています。
列を作った初詣の人たちはミニ登山などあまり興味がなさそうです。しかし、私は初志貫徹、列から離れ、富士登山を試みました。
ここは5合目、まだ、かなたに見えるマンションより低いところです。
7合目、 険しい階段。頂上まではわずか30秒。
本当の富士登山はこれからがきついのですが、ここでは登山靴も杖もいらず、楽勝!
ここまでくると、ごつごつした火山岩の風景は何となく富士山に似ていますね。
山頂までの所要時間は約5分。絶景かな!といいたいのですが、ご来光どころか電車の高架線路やビルの群を見せつけられガッカリです。それでも、元旦に富士登山?をしたのです。万歳!
頂上から反対側にすこし下り、右手の鳥居の奥に神社の拝殿があります。今年の平和を祈願しました。
さて、参拝を終えてから、第一京浜国道を渡り、新馬場駅の反対側、旧東海道の品川宿を散策しました。
元旦の事とて車も少なく、門松を見ながら歩くのも気持ち良いですね。
途中、東海七福神の中の布袋や壽老人を祀った寺々を参拝しながら、八ツ山橋を経由してJR品川駅に出ました。
今年は健康の一日で始まりました。
・・・
品川神社の由来と見所:
品川神社は後鳥羽天皇の御世の文治3年(1187年)源頼朝が海上交通安全の守護神として安房国の洲崎大明神天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)を勧請し、品川大明神と称しました。
その後、江戸時代の寛永14年(1637年)徳川家光の命により、「品川稲荷社」となり、更に明治になって今の「品川神社」と改名されました。拝殿は昭和39年(1964年)に新築されたものです。
毎年6月の「北の天王祭」と呼ばれる例大祭の神輿には徳川家康奉納の「天下一嘗め御神面」がとりつけられています。
品川神社の富士塚は富士信仰の人々が富士山の遥拝場所として、あるいは実際の登山に代わる山として明治2年(1869年)品川宿に造られた築山です。 神仏分離政策で一時破壊されましたが明治5年に再築、大正11年(1922年)に第一京浜国道建設のため10数メートル移動し、現在地となっています。
毎年、7月1日に山開き行事が行われます。頂上からちょっと下ったところにある浅間神社に白装束で集まり、はだしで登山し遥拝するのだそうです。
そのほか、神社の境内には御嶽神社、神楽堂や拝殿の左手には一粒萬倍阿那稲荷社があります。
拝殿の右にある手水舎の奥には明治の政治家で自由民権運動に尽力した板垣退助のお墓があります。これも必見の一つです。
所在地: 東京都品川区北品川3-7-15
京浜急行電鉄 新馬場駅より歩いて2分
コメント
コメントを投稿