災難から守ってくれる蘇鉄ー我が家のジンクス
1991年、念願の家の建て替えをすることが出来ました。敷地に目一杯の家屋を建てるため、庭は跡形も無く潰されてしまいました。 毎年、秋の収穫をもたらしてくれた柿、甘い香りのきんもくせい、子供の頃よく登った桜などが処分されました。しかし、玄関の前に植わっていた蘇鉄、明治―大正―昭和-平成にわたって我が一族を災難から守ってくれた樹、この老樹を取り払ってしまうのは、どうしても心残りでした。そこで、私の住んでいる区が進めている緑化保存の担当部に問い合わせたところ、引き取ってもらえることになりました。現在、この蘇鉄は芝浦中央公園に移植され、訪れる人々を見守っています。
クレーンで吊り下げられた蘇鉄、 生い茂っていた葉も刈られて運ばれていきました。
それから18年の歳月を経て、今では公園で大きな緑の葉を茂らせています。
芝浦中央公園は東京都の汚水処理場の上に作られている屋上公園です。知る人ぞ知る、といった公園でいつも静かです。中にはテニスコートや愛犬を遊ばせるドッグランの場や、桜、藤、こぶし、さつき、バラなど色とりどりの花が楽しめる所です。
なぜ、この蘇鉄が人を見守っているのか、これは私の父や親戚の人々にとって不思議な因縁話があるからなのです。
この樹は私の母方の祖父の家の玄関の前に植わっていました。 明治時代、祖父が東京で居を構え、そこで事業を起こしたところです。 古い写真アルバムには若き日の祖父と祖母の姿、また昭和になって叔父たちや知人が出征する姿が残っています。また、幼い私を抱いた父の軍服姿もあったのを記憶しています。
不思議なことにその写真のうしろにはかならず、この大きな蘇鉄が写っているのです。
叔父の部隊に硫黄島派遣の命令が下りました。集結地に待機中、乗船すべき輸送船が撃沈され代わりの船もないままそこで終戦となりました。 父の場合もシンガポールから台湾に向う際、移動が取りやめとなったのですが、乗るはずであったその飛行機が台湾沖で撃墜されたので九死に一生を得た、とよく話していました。
思うに祖父も日露戦争で203高地の攻防戦で負傷しましたが無事帰還しています。これもこの蘇鉄が見守っていてくれたのかも知れません。
関東大震災、東京大空襲にも焼け残ったその家は昭和30年、取り壊されることとなり祖母、叔父の一家は転居しました。しかし、蘇鉄はまだ縁がありました。丁度、父の家(現在の住所)が改築中であったので、この樹を玄関前に移植しました。それからは正月の妹の晴れ姿、また、姉の結婚する時の家族写真にもこの蘇鉄は付きものでした。
1986年、私はサウディアラビアに転勤になりました。その際、家族と写真を撮りました。勿論、この蘇鉄が背景です。
その頃の中東はイランーイラク戦争の最中で、イランの艦艇によるミサイル攻撃でタンカー乗務員にも被害が出ていました。 また、ペルシャ湾(アラビア湾)には多数の浮遊機雷が流れ危険でしたが海務に従事していた私は、いやおうなしに海に出ざるを得ませんでした。毎朝の出勤前、ベッドの上に遺書を残したものです。
1990年、東京の本社勤務に戻った私は、父から受け継いだ古びた我が家を建て直すことにしました。冒頭で申したように庭の樹木は取り払うことになりましたが、祖父、叔父や父のみならず、さらに私をもしっかりと見守ってきた蘇鉄をどうしても残したかったのです。
区の職員がきて、クレーンを使って蘇鉄が芝浦の公園に移されることになりました。
その折、蘇鉄の根本に松ぼっくりほどの子株を3個ほど見つけました。これを植木鉢で育てることにしました。
1991年、湾岸戦争で攻撃を受けた現地の会社の施設復興にむけ、再び私はサウディアラビアの地を踏みました。
今度は地上戦もありましたから、不発弾や、地雷、ブービートラップと呼ばれる万年筆や時計、人形などに仕込まれ、故意に置かれた仕掛け爆弾の恐怖にも遭遇することになりました。現にこれを拾った子供が大怪我をしたニュースが現地紙の紙面を賑わしていました。
イラクのサダムフセイン(当時)大統領によるクウェイトの油田火災の黒煙は昼間もライトを点け車を運転しなければならないほど真っ暗に空を覆い、オイルミストも降り注いでいます。人々の健康にも影響するほどでした。
数年後、休暇で東京に帰った私は芝浦の地にしっかり根付いた蘇鉄に会いに行きました。現地から戻ってきたこと、また、これからの安全を祈願するのと同時に、我が家に残した3個の子株が大きく育っていることを報告するためでした。
そして1999年、私が役目を終えて無事に赴任地から帰ってきた事もこの蘇鉄は知っています。
我が家に伝わるジンクスはまだ続いているようです。
現在、2代目の三本の蘇鉄は更に大きな鉢に植え替えられ、我が家の屋上で葉を茂らせています。
祖父の家、父の家、そして芝浦中央公園と移り住んできた、100年以上も経た初代の老蘇鉄、 もしかして、災難から守ってくれるという私たちのジンクスも受け継いで、これからもずっと東京の空と人々を見守り続けることでしょう。
芝浦中央公園へのアクセス:
JR品川駅 港南口から、田町方面へ新幹線のホームにそってNTTドコモビル隣、徒歩約6分。
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