マッチ箱は昔のCMだった
カラ梅雨だというのに押入れからいろいろなガラクタを取り出して虫干ししていると、思わぬ珍品にぶつかります。古びた茶色のスクラップ・ブック、昔、私の親父が集めたマッチ箱のラベルのコレクションでした。 ほかはそっちのけにして、しばし見入ることになりました。
テレビも民間のラジオ放送も無い時代、当時の家庭で必需品のマッチは広告・宣伝の格好の媒体だったのでしょう。 ネオンやポスターと違って動く広告として家庭に持ち込まれ、家族全員のみならず、来客も手にとって見るからです。 お茶の間で見るCMはテレビと似ていますね。全部で1700種もあるこの昭和初期のマッチ・コレクション、今でも続いている有名企業、レストラン、ホテルなどを探していると時間が経つのを忘れてしまいました。
当時、家庭で使われていたマッチ。
東京ガス: 薪でパタパタの時代、マッチでシュッ・パッ・チョ!便利になりました。今はTVでお馴染みガス・パッ・チョ!それにしても、昭和の初期の台所はささやかなものですねえ。
左)松下電器産業:自転車用ランプは明るいナショナルの原点。光の流れはエコ・アイディアに。 (右)日本郵船: 国際的花形企業、海外に行くには横浜港から。ドラの音が聞こえてくるようです。ミナト・ヨコハマ、開港150年はあと2年!
(左)不二家: この子はもしかして、将来ペコちゃんのお父さん? (右)ビフテキのスエヒロ:上下を逆さまにして見てください。
昔の広告には遊び心がありますね。
昭和初期のCMギャルたち: 当時、洋装で銀座を闊歩する彼女たちはモガ(モダンガール)と呼ばれていました。 ファッションに敏感なのは昔も今も変りません。
宝塚歌劇: 母か叔母さんがファンだったのでしょうか、何枚もの公演のラベルがあります。
ベルバラの公演はこれから何年先のことでしょうか。
映画は庶民の娯楽、 チャップリンや坂東妻三郎はモテモテのスター。
歌舞伎座、日劇も全盛時代をむかえていました。
当時の日本で一番早い「特急」。それでも東京大阪間は6~7時間程かかっていました。
阪神電鉄と京浜急行電鉄: この頃、私鉄の幹線はどんどん伸びていったようです。
スクラップ・ブックをめくっていくと、1932年のロサンゼルス・オリンピックのラベルを見つけました。
これらのマッチは日本が軍国主義に突入する前、まだ自由の空気があった昭和の初期に集められたものだと思います。このあと、女性たちはモンペ姿、パーマも禁止、ファッションが日の目を見るのは太平洋戦争が終わった1945年(昭和20年)以降となるのです。
時代はどんどん変っていきます。 もし、当時の人々がタイム・スリップをして、平成の世の中に来たならば、新幹線、高層ビル、車のラッシュを初めとして現代の若者達のファッションを見て腰を抜かすかもしれませんね。 さて、100年後のCMはどうなっているのでしょうか? そういう思いでこのスクラップ・ブックを閉じました。
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