アラブの鷹匠
サウディアラビアの沙漠、からからの大地、一年の大半が50℃を越す酷暑の地です。 しかし、東部地方では毎年11月になると気温が下がり、沙漠にも雨が降ってきます。 それは大地を潤し,荒れ野に緑が芽生えてくるのです。 短いが、生き生きとした沙漠の春がやってきました。 そこにはいろいろな生物が生息しています。 昆虫、とかげ、ねずみ、鳥、うさぎ、きつね。
この時期になると、ここでは王族のみならず一般の人々の間では、これらの生物を狩る「鷹狩り」が盛んです。 遊牧民であるベドウィン族は古くから「鷹匠」として有名です。
マリ部族、サウディアラビアの遊牧民の中では、代々「鷹匠」をつかさどる部族です。
この地のアミール(知事)はよく鷹狩りを催しますが、実は、私の部下のマリ氏を招集するので、彼はその度、休暇を取らされます。 仕事が滞るので私は彼に文句をいいますが、しかたありませんネ。
ある日、マリ氏から電話がかかってきました。 自分の親戚がはるばるここカフジ(サウディアラビア東部地区)に羊を追ってやってきた。 明日の休日には鷹狩りをするから見物に来て欲しい。 というものでした。
翌日、会社の日本人スタッフのK氏たちやその家族と連れ立って、沙漠のキャンプ地を訪れました。
鷹狩りはもう20キロ先で始まっていて、もうすぐ帰ってくるからここで待っていて欲しい、と言われました。
アラビアの格言では「沙漠には時間がない。ただ、夜と昼があるだけだ」といいますが、日が高く上ってから、のこのこ出かけていっても間に合うわけがありませんネ。
「おいおい、一体獲物は何だ。うさぎや野バトならまだしも、とかげやねずみじゃないだろうな」
実は、ベドウィンのあいだでは、1メートルもの黄色の「大とかげ」や、われわれがピョンピョン・ネズミと呼んでペットで飼うこともする 、「カンガルーねずみ」も獲物と聞いていたからです。
これを食べさせられるのではないかと一同、不安にかられて待っていました。
テントで待つ事、小一時間、鷹を連れた一隊が戻ってきました。
「今日は獲物がなかった」
残念だった、そう言いながらも日本人一同はほっとしたものでした。
代わりに昼食はアラビアの伝統的料理の仔羊の丸焼き(カルーフ)を堪能しました。
・・・・・・・・・・・・・・・
わが国でも、古くから鷹狩りは盛んでした。 8世紀には天皇家の公式的な鷹狩制度があったようです。 戦国時代にも織田信長や豊臣秀吉などの武将が盛んに行っていました。 鷹狩をもっとも盛んに行ったのは、徳川家康でした。 軍事訓練や武士の健康保持のため奨励したものと思われます。 明治になって宮内庁に引き継がれました。 現在は日本放鷹協会が振興につとめ、信長時代から伝承されている諏訪流鷹匠は第17代の田篭善次郎氏です。
大分前のことですが、サウディアラビアの王族が来日された時、企業の関係者が日本の放鷹の本を進呈したそうです。 それを見て、王族の方は「日本の鷹は小さい」といわれたようです。 いささか、がっかりです。
私は日本の鷹は動物園でしか見たことがありませんが、アラブの鷹はデカイですねえ。 片手で持つと、その感触はずっしり重く、よろけてしまいそうです。 目隠しされてはいますが、その剽悍な顔つきと翼は戦闘機そのものですよ。 そういえば、「ホーク」という名前のアメリカのジェット戦闘機がありましたね。
・・・・・・・・・・・・・・・・
私の友人のアブドラアジズさんは、鷹狩りが大好きです。 故郷のサウディ北部の山岳地帯では休暇の折に楽しむのだそうです。 彼のオフィスを訪ねるたびに、まず、お茶を飲みながら鷹狩りの話が出ます。 身振り、手振り、熱中すると両手を広げ、鷹の飛ぶ様まで演じてくれます。 仕事の話は何時になったら始まるのだろう、とやきもきするほどです。
鷹は崖の中腹に巣を作ります。 雛が孵ったら、毎日そこに出かけていって、双眼鏡で観察するそうです。 親鳥が仔にえさを運んできます。 2~3羽の中で一番食べる雛に目をつけます。 その一番頑強で、はしっこい雛が育ってくると、それを捕らえて訓練するのだそうです。 しかし、雄だけで雌は獲らないとのことです。 なぜなら、繁殖のため残すのです。
なるほど、テントで食べた昼食のカルーフ(仔羊)も生後4ヶ月の雄です。 ベドウィンにとって、雌の羊は財産のうちです。 30頭の群れで雄は1匹で事足りるからです。
ともあれ、よく訓練された鷹は一羽でベンツが一台買える値段だとマリ氏は話していました。
この家族の中から、誰が次の鷹匠になるのでしょうか。
マリ部族、サウディアラビアの遊牧民の中では、代々「鷹匠」をつかさどる部族です。
この地のアミール(知事)はよく鷹狩りを催しますが、実は、私の部下のマリ氏を招集するので、彼はその度、休暇を取らされます。 仕事が滞るので私は彼に文句をいいますが、しかたありませんネ。
ある日、マリ氏から電話がかかってきました。 自分の親戚がはるばるここカフジ(サウディアラビア東部地区)に羊を追ってやってきた。 明日の休日には鷹狩りをするから見物に来て欲しい。 というものでした。
翌日、会社の日本人スタッフのK氏たちやその家族と連れ立って、沙漠のキャンプ地を訪れました。
鷹狩りはもう20キロ先で始まっていて、もうすぐ帰ってくるからここで待っていて欲しい、と言われました。
アラビアの格言では「沙漠には時間がない。ただ、夜と昼があるだけだ」といいますが、日が高く上ってから、のこのこ出かけていっても間に合うわけがありませんネ。
「おいおい、一体獲物は何だ。うさぎや野バトならまだしも、とかげやねずみじゃないだろうな」
実は、ベドウィンのあいだでは、1メートルもの黄色の「大とかげ」や、われわれがピョンピョン・ネズミと呼んでペットで飼うこともする 、「カンガルーねずみ」も獲物と聞いていたからです。
これを食べさせられるのではないかと一同、不安にかられて待っていました。
テントで待つ事、小一時間、鷹を連れた一隊が戻ってきました。
「今日は獲物がなかった」
残念だった、そう言いながらも日本人一同はほっとしたものでした。
代わりに昼食はアラビアの伝統的料理の仔羊の丸焼き(カルーフ)を堪能しました。
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わが国でも、古くから鷹狩りは盛んでした。 8世紀には天皇家の公式的な鷹狩制度があったようです。 戦国時代にも織田信長や豊臣秀吉などの武将が盛んに行っていました。 鷹狩をもっとも盛んに行ったのは、徳川家康でした。 軍事訓練や武士の健康保持のため奨励したものと思われます。 明治になって宮内庁に引き継がれました。 現在は日本放鷹協会が振興につとめ、信長時代から伝承されている諏訪流鷹匠は第17代の田篭善次郎氏です。
大分前のことですが、サウディアラビアの王族が来日された時、企業の関係者が日本の放鷹の本を進呈したそうです。 それを見て、王族の方は「日本の鷹は小さい」といわれたようです。 いささか、がっかりです。
私は日本の鷹は動物園でしか見たことがありませんが、アラブの鷹はデカイですねえ。 片手で持つと、その感触はずっしり重く、よろけてしまいそうです。 目隠しされてはいますが、その剽悍な顔つきと翼は戦闘機そのものですよ。 そういえば、「ホーク」という名前のアメリカのジェット戦闘機がありましたね。
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私の友人のアブドラアジズさんは、鷹狩りが大好きです。 故郷のサウディ北部の山岳地帯では休暇の折に楽しむのだそうです。 彼のオフィスを訪ねるたびに、まず、お茶を飲みながら鷹狩りの話が出ます。 身振り、手振り、熱中すると両手を広げ、鷹の飛ぶ様まで演じてくれます。 仕事の話は何時になったら始まるのだろう、とやきもきするほどです。
鷹は崖の中腹に巣を作ります。 雛が孵ったら、毎日そこに出かけていって、双眼鏡で観察するそうです。 親鳥が仔にえさを運んできます。 2~3羽の中で一番食べる雛に目をつけます。 その一番頑強で、はしっこい雛が育ってくると、それを捕らえて訓練するのだそうです。 しかし、雄だけで雌は獲らないとのことです。 なぜなら、繁殖のため残すのです。
なるほど、テントで食べた昼食のカルーフ(仔羊)も生後4ヶ月の雄です。 ベドウィンにとって、雌の羊は財産のうちです。 30頭の群れで雄は1匹で事足りるからです。
ともあれ、よく訓練された鷹は一羽でベンツが一台買える値段だとマリ氏は話していました。
この家族の中から、誰が次の鷹匠になるのでしょうか。
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