ハーシーズのチョコは私のお宝だった
Hello,G.I.! Give me chocolate ! 私が初めてしゃべった英会話かもしれない。
G.I.とは ”Government Issue” すなわち アメリカの兵士をさす略語である。 ちなみに、女性兵士は“Wack”これも、その当時誰かが教えてくれた。 もっとも、当時の女性兵士はツンとすましていて近寄りがたく、声などかけられなかったが・・・。
1945年の終戦当時、子供たちはジープの米兵に向って、口々にチョコレートーやキャンディをねだったものだ。 陽気なG.I.たちは、ガムを噛みながら、にこやかにわかった、わかった、という仕草をしながらキャンディやチョコレートを子供たちに配ってくれた。 私もその仲間に入って手を差し伸べた。
彼らはなぜ、口をもぐもぐさせているのだろう。 不思議に思ったが、チューインガムであることを知ったのは、もっと後のことだ。
米兵は小さな子から順番にチョコなどを渡してくれる。 私はその手からひったくるようにして、すぐその場から一目散に逃げ出したものだ。 さもないと、大きな子(多分、戦災孤児たちだろう)に脅されて取られてしまうからだ。
家の玄関でむらさき色の紙からチョコを出しかじりだした。 顔をあげると母が怖い顔をして私をにらみつけている。 そのうち、母の眼からポロポロと涙がこぼれてきた。 途端、チョコを持った手をねじり上げられた。
「乞食の真似をして! そんなことはやめなさい」
1945年の終戦当時、子供たちはジープの米兵に向って、口々にチョコレートーやキャンディをねだったものだ。 陽気なG.I.たちは、ガムを噛みながら、にこやかにわかった、わかった、という仕草をしながらキャンディやチョコレートを子供たちに配ってくれた。 私もその仲間に入って手を差し伸べた。
彼らはなぜ、口をもぐもぐさせているのだろう。 不思議に思ったが、チューインガムであることを知ったのは、もっと後のことだ。
米兵は小さな子から順番にチョコなどを渡してくれる。 私はその手からひったくるようにして、すぐその場から一目散に逃げ出したものだ。 さもないと、大きな子(多分、戦災孤児たちだろう)に脅されて取られてしまうからだ。
家の玄関でむらさき色の紙からチョコを出しかじりだした。 顔をあげると母が怖い顔をして私をにらみつけている。 そのうち、母の眼からポロポロと涙がこぼれてきた。 途端、チョコを持った手をねじり上げられた。
「乞食の真似をして! そんなことはやめなさい」
母は背を向け去っていった。 鼻をすすり上げているところを見ると,まだ、泣いているのだろう。 まだ6歳の子供心にも大きなショックだった。 それでもチョコを取り上げられなかったところから見ると、母の涙は私の卑しさをたしなめるだけでなく当時の食料難だった時代、ろくに子供におやつも与えられない彼女の苛立ちや悔しさもあったのであろう。 私もまた、齧りかけのチョコを手にしたまま、すすり泣くだけであった。
父が復員し、家の台所事情も好転してきた。 闇市からは米軍の戦時食の「レーション」という長方形の箱が手に入った。
ふたを開けると、中にはターキー(七面鳥)のシチューやコーンビーフの缶、ビスケットなどが入っていたと記憶している。
3本入り? のラッキーストライクの煙草とともに、かならずあずき色の包装紙に銀色のハーシーズの文字が浮かんでいる小さなチョコレートがあった。
母が、コーンビーフを大事そうに抱えて台所に消えてゆく。 たった一人前しかないのにこれを材料に家族全員の夕食を作るのであろう。 当時はこれでも大ご馳走であった。
父がうまそうに、ラッキーストライクの紫煙をくゆらす傍らで、その小さなチョコを姉と分け合って食べた。 懐かしい思い出の一コマである。
・・・・・・・・・・・・・
あれから、もう60年近く経った。
散歩がてら、近くのスーパーマーケットに立ち寄った。 チョコレートが並んでいる棚には懐かしいハーシーズのチョコを見つけた。 昔と変らぬあずき色デザインで、豪華な表装の有名メーカーの中では地味で、目立たない存在だった。 なつかしさのあまり、二枚買い求めた。
家に帰って、早速包装紙をとり口に入れる。 当時の甘さがいっぱいに広がる。 G.I.から貰ったあの時も一人で食べたっけ。 母に叱られてもその美味しさの誘惑には勝てず、また「Hey G.I!」と、Jeepの米兵に声をかけた。
母に見つからないように押入れの中で、こっそり食べた。 残りはおもちゃ箱の秘密の箱に入れた。 野球やメンコで遊ぶ時に持ち出し、皆に「これ、秘密だぜ」と得意顔っけ・・・。
腕白であった少年時代の思い出が、くるくると頭のなかをよぎる。 父が復員し、家の台所事情も好転してきた。 闇市からは米軍の戦時食の「レーション」という長方形の箱が手に入った。
ふたを開けると、中にはターキー(七面鳥)のシチューやコーンビーフの缶、ビスケットなどが入っていたと記憶している。
3本入り? のラッキーストライクの煙草とともに、かならずあずき色の包装紙に銀色のハーシーズの文字が浮かんでいる小さなチョコレートがあった。
母が、コーンビーフを大事そうに抱えて台所に消えてゆく。 たった一人前しかないのにこれを材料に家族全員の夕食を作るのであろう。 当時はこれでも大ご馳走であった。
父がうまそうに、ラッキーストライクの紫煙をくゆらす傍らで、その小さなチョコを姉と分け合って食べた。 懐かしい思い出の一コマである。
・・・・・・・・・・・・・
あれから、もう60年近く経った。
散歩がてら、近くのスーパーマーケットに立ち寄った。 チョコレートが並んでいる棚には懐かしいハーシーズのチョコを見つけた。 昔と変らぬあずき色デザインで、豪華な表装の有名メーカーの中では地味で、目立たない存在だった。 なつかしさのあまり、二枚買い求めた。
家に帰って、早速包装紙をとり口に入れる。 当時の甘さがいっぱいに広がる。 G.I.から貰ったあの時も一人で食べたっけ。 母に叱られてもその美味しさの誘惑には勝てず、また「Hey G.I!」と、Jeepの米兵に声をかけた。
母に見つからないように押入れの中で、こっそり食べた。 残りはおもちゃ箱の秘密の箱に入れた。 野球やメンコで遊ぶ時に持ち出し、皆に「これ、秘密だぜ」と得意顔っけ・・・。
ゴディバやエリカなどの高級チョコを食べつけている妻や子供たちは、見向きもしないだろうな。 私はそう思いながら、残りの「ハーシーズ・チョコレート」をそっと、棚に置いた。
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