どっこい、生きてるー古いTシャツ

  最近は温暖化の影響で暖かですね。12月に入っても昔のようなウザったい木綿の長袖の肌着を着なくなりました。 さりとて、ランニングシャツでは寒い。そこで、代わりに着るのは古くなったTシャツです。毎年10月の衣替えの際に古いTシャツを選び出し、しまわないでおきます。

 夏の間、気に入ったTシャツほど洗濯する回数が多いわけですから、首まわりが伸びてしまったり、色があせたりして来年の夏にはどうも・・・、と思うようになってしまいます。 それでも、まだ愛着がありますから捨てるに忍びないのです。だから、冬のあいだ下着がわりにするわけです。

 上に着たカジュアルシャツの襟もとからは Tシャツが覗いています。白い生地は中学生風でいただけませんが、赤や青などカラフルなものはネッカチーフの代用のようで、ちょいと粋な感じを受けます。 グレーやダークグリーンもGI風で勇ましく見えますね。完全にくたびれたTシャツは、首まわりをぐっと指で伸ばしてしまって、シャツのエリ首の中に押し込んでしまえば使えます。だが、それが襟もとからちょっとでも顔をのぞかせた時にはよれよれ、見苦しい印象を受けますからお薦めできません。余程寒くてハイネックを重ね着する時は別ですが・・・。
 
 夏の私のファッションは、TシャツとLIVISのストレート・ジーンズや短パンにスニ-カーが定番です。オヤジのくせに、と笑わないでください。シャツの裾は当世風に外に出したままです。

 ポロや、ラルフ・ローレンのようなブランドのシャツは流行なのでしょうか、同じ柄を着た人を何人も街で見かけます。電車の中で同じシャツを着ている人と隣あわせになった時、自分の個性が失せたように感じ気まずくなるものです。これは女性も同じでしょう。

 その点、Tシャツはイベントや競技場のサポーターの場合の大人数で盛り上げる場合を除いて、まず同じものを着た人に出会ったことはありません。 ですから、趣味のよいTシャツを着ることは、その人の個性的なファッション・センスをあらわしているのではないでしょうか。 Tシャツのロゴとイラストはその人の外出の際の紋章です。人がどう思うとも、気にいったデザインのシャツで外出するときは晴れ晴れした気持ちになるのです。いささか自己中心的ですがこれが私のTシャツに対するこだわりかもしれませんね。

 私はコレクターではありませんから、持っているTシャツは常時15枚程度です。せっかく買ったTシャツを一度も着ない例もあります。それはシャツにプリントされた文字が意味の通らない和製英語であったり、スペリングに間違いを見つけた場合です。それらは値段のタグがついたまま、十年以上も洋服タンスに眠ったままになります。間違いの広告塔にはなりたくありませんからね。

 或る時、電車で向かいに座っているお嬢さんのTシャツに、フランス語で「小さな片すみ」とプリントされているのを見つけました。 日本語では粋な言葉に響きますが、フランスでは「トイレ」を意味すると聞いています。私たちがニューヨークやパリで「便所」の漢字を染め抜いたシャツを着た人に出会ったら、どう思うでしょうか。

 ほかにも、かなりきわどい意味のものを見つけました。でも、これがその人の個性をあらわしているのだと考え、黙って見過ごしました。まあ、日本ではTシャツの文字の意味には、人はまったく関心を示さないから幸いですが・・・。

 今日もまた、着古したTシャツを肌着としています。このシャツはもう、プリントの文字も見えないほど消えうせシミのついたたものですが、・・・どっこい、まだ生きています。大晦日の大掃除にはウェスとして活用するからです。

 毎年、着古したTシャツで窓ガラスを磨きながら、これを着て妻とワイキキの浜を歩いたっけ、これは箱根にドライブ中こぼしたコーヒの染み抜きに大変だった、など、Tシャツとの数々の思い出を振り返って見るのです。

 「いい仕事してきたね」
 
 私はウェスになったTシャツに向って語りかけるのです。

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