手放せない耳かき棒

  小さい時、私は耳かきが大嫌いでした。私の母は子供の耳を掃除するのが趣味なのか、週に一度は、「どれ、来てご覧」と耳かき棒を片手に呼びます。

  まず、姉の方から、そして、私。 母の膝の上に顔を横にしてガリガリ始まります。姉は我慢して何も言いませんが、耳の奥のほうまでやられるので、その痛さといったら、「イタ~アイ」と泣き声が出てしまいます。だから、母の耳かき棒の入った引き出しを開ける気配がすると、グローブとボールをもって外に逃げ出したものです。 

  もういいだろう、と家に帰ると、母は耳かき棒を持ったままこわい顔をして待っています。子供たちの耳掃除が終わると、今度はうっとりとした顔で、自分の耳を掻きはじめます。

  中学生にもなれば、母はもう子供の耳掃除なんかはしません。ようやくその痛さから開放され、痒くなった時に自分でやることになります。 竹の耳かきで、痒いところだけ掻くその気持ちのよさ。母のうっとりとした顔は正にこのことだったのか、と気がつきました。

 大人になって私が中東で仕事をしていた時も、オフィスの机の中にはかならず日本で買ってきた2~3本の耳かき棒が入っていました。

 仕事中、かりかりと耳をほじっていると、部下のアラブ人が来て「一体、何しているんだ。それはなんだ?」と怪訝そうに質問します。

 どうだ、オマエさんもやってみるかい気持ちいいよ、と新しいのを一本進呈しました。彼はそれを手にとって、しげしげと見ていましたが、まったく信用されず、「医者に相談してからにする」と持って出て行きました。

 現地のスーパーでは綿棒は売っていても耳かき棒は見たことはありません。彼らは耳かきをする習慣はないのでしょうか。

 先月、日本経済新聞(5月18日)の文化欄に「耳かき物書き至福の時」という記事が載っていました。フリーライターの上野 玲氏が執筆したもので、世の中には同じような幸せを感じている人もいるんだな、と嬉しくなりました。面白かったので、ちょいとご紹介します。

 「米国人は耳かきを使わない」 耳鼻科医に聞くと、耳あかの種類が我々と違うらしい。欧米人は湿り気を帯びたものが多いのに、日本人のは乾いているものが多い。だから、欧米人は綿棒を使い、日本人は耳かきを手放せない」

 (沙漠の国のアラビアの人は耳の中まで乾いていると思いましたがが、彼らは欧米人に近いのか。ようやく、彼らが耳かきをすることに躊躇したわけが分かりました)

 「1911年、京都の稲荷山経塚から銅製のかんざしが出土した。下部が耳かきの形になっており。製作時期は平安末期から鎌倉初期とされる。遺物としては最も古いもの」

 「江戸時代の中期から後期にかけて、お客の耳をかく職人も出現、女性のかんざしにもデザインと実用性を兼ねて耳かきをつけるのが流行した」

 (なるほど、耳かきは日本の文化遺産なのですねえ。平安の貴族や、江戸の庶民たちが目を細めて、かりかり耳をかく風景が想像できます)

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 或る時、外出先で耳がやたらと痒くなり、耳かき棒を買おうとコンビニに入りました。売り場に面白い耳かき棒があるのが目につきました。 金属性で、先端に3重の溝が付いています。早速、買い求め試してみると 「オオオッ!」 きもちE~。360度使用可能ですからいっぺんで沢山とれます。

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  今ではすっかり私の愛用品となっています。 耳がかゆくなった時、すぐ使えるように、ベッド・ルーム、洗面所、居間、コンピューターデスクに置いてあります。こうなると、もう耳掻きオタクそのものですねえ。

 うっとりとして耳掃除を終え、3重の溝に付いたその成果を満足げに見やりながら、古い歯ブラシで溝を掃除し、水で洗ってしまい込みます。 すると、すっかり音の通りが良くなった耳の奥の奥まで、女房の非難の声が響きわたります。

 「イヤヨー!床に耳あかなんか落とさないで頂戴!」


A~きもち! E~かったあ~
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