俺とジーンズとスニーカー
今や、ジーンズは中高年の救世主。「ちょいモテ、オヤジのジーンズ」、「不良オヤジのファッション、ジーンズの着こなし」、などの広告が目に付きます。私はもう引退組だから、いまさら、もてようとは思いませんが、今でもジーンズ いや、古き良き言葉であったG-パンを愛用しています。それも一貫して「LEVIS」 以前、店に合うサイズがなかったので、浮気心を起こしてBIG JOHNを買ってみましたが、股上が深くどうもフィットしません。EDWINも私にはいまいち、それ以後は、店々を駆けずり回ってでもLEVISを探し歩きました。
ジーンズにはやはりスニーカーが付き物ですね。私はROTTOや LUMBERJACKなどを履いていましたが、今はNIKE AIR MAX、 すこぶる良い履き心地です。。
私が初めてG-パンをはいたのは、今からおよそ50年も前、それは米軍(進駐軍)のPXからの横流れ品だったようです。ごわごわした感触。ながい裾を母が惜しげもなく、裁ちばさみでザクリと切って裾上げしてくれました。それに白い運動靴が当時の私の姿でした。野球ばかりしていましたから、G-パンは色が落ちる前に膝がぬけてしまいました。
高校生になって、異性を意識し始めたせいでしょうか、私も身だしなみがよくなりました。でも、はやりの股引みたいな細いマンボ・ズボンとモカシンの靴、女学生はどう思ったでしょうね。
ロックが流行し始め、私もプレスリーのまねをして、リーゼントスタイルの髪、勿論、ブルージーンズでしたよ。 この頃からG-パンという言葉は死語になったようです。
大学時代は汗臭いトレーナーとジーンズ。部活の作業着でした。この頃もまだフツーの運動靴を履いていたと記憶しています。当時の流行はアイビー・ルック。ボタンダウンのついたワイシャツにストライブのネクタイ、紺のブレザーにフラノの細身ズボン、先のとがった靴。私もまあ、こんな、いでたちでしたね。女の子たちはサック・ドレスでした。
就職してからは、毎日がおきまりのどぶねずみ・ルックのビジネス・スーツ、休日にはジーンズと、流行しはじめたスニーカーなるものを履いて銀座などを歩きました。
海外に赴任中、背広は要りませんでした。現場勤務だったからです。ジーンズにT-シャツにスニーカーが私の正装です。現場の仕事上、ジーンズは毎日汚れてしまいます。だからすぐに駄目になって年に4~5本も買ったかと思います。当時はパンタロンが大流行でしたから遊び着には裾の広がったジーンズを愛用していました。
年を経てくると、はいているジーンズのウェストサイズが違ってくるので悲しくなります。74cmが若いころ、現在は恥ずかしながら86cmですから、LEVISの505-03、34W-34Wが私のサイズとなっています。
愛用のジーンズの膝のあたりが白くなってきました。全体の色もぼやけた空色になって、裾もほつれてきました。妻に、「もう、みっともないから、新しくしたら」と言われ、久々にジーンズショップに買いに行きました。
店は若い人たちでごった返しています。私は大声で「リーバイが欲しいんだが!」と言いました。店員は私のはいているLEVISを見ながら「良い色になりましたネ、もう捨てるんですか」と惜しそうに言います。そして棚にずらりと並べられたケミカルで脱色した新品のジーンズを持ってきました。
私は丁重に断って、いつもの濃紺のストレート・ジーンズを買いました。流行遅れなのでしょうか、怪訝な顔をする店員に「洗濯をするたびに色が変わってゆくから、それを見るのが楽しみ」と言い訳をして店を出ました。
帰り際、足元を見て、このスニーカーも変えなくてはならないな、このジーンズにはどれが合うのだろうか、と思い巡らし、次の買い物が楽しみになってきました。
ジーンズは米国のワビ・サビ文化である、古くなれば価値がでる、と誰かが言っていました。中高年ちょいモテおやじの皆さん、セレ・カジ(セレブ・カジュアル)のアルマーニのジャケットも粋ですが、 たまにはジーンズとスニーカー姿で、若者みたいにシャツの裾を風になびかせ、街を闊歩しませんか。 ナイキの帽子は後ろ向きにかぶってください。
あっ!そうそう、腰パン(ずっこけズボン)はやめときましょう。
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