冬のモロッコをゆくー世界遺産フェズに雪が降る


画像モロッコ ー.不思議な旋律のある国
 「As time goes by 」 映画カサブランカの主題曲である。長らくジャズのスタンダードナンバーとして耳にしてきた。「チュニジアの夜」これもモダンジャズのヒット曲。私の頭の中にあるマグレブのイメージは常に西欧の音楽を通してであった。初めてマグレブの地を踏んだ。モロッコ。そこには別の顔である古きイスラムがあった。町のモスクの尖塔からはアザーン(お祈り)の聖なる声が朗々と響き、尾を引いて夜明け前の空に消えていった。さあ、モロッコに着いたぞ! しかし、この寒さ、日本と同じじゃないか! 
 ここは地の果てアルジェリア・・・」昔、流行ったカスバの女という歌謡曲である。花の都パリからジェットでたった3時間、ひとっ飛びのこのマグレブ諸国だ。ここが地の果てならばパリに行くまで13時間もかかるニッポンをなんと言ったらよいのか?その日本とかいう地の果ての極東からはるばると26時間かけて ご一行様がモロッコにやってきた。 長い空の旅だった。

点と点を長い線で結ぶ旅


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 フェズからマラケシュまで500キロの行程、点から点を長い線で結んだ旅。2車線道路が延々と続く。幸いなるかな、むちゃくちゃに飛ばすドライバーがいない。道路事情もさることながら、警察の交通取り締まりが厳しいせいもあろう。退屈なバスの旅のあいだ、羊の群れ、美しい夕日を撮影するため、バスストップ、いろいろ気を遣ってくれている。
道路の脇には畑で取れたアスパラガスを売る農家の人たち。夕方マラケシュに着く。
=歩行数4,755 (Hotel el Andalus 1泊)


.旅のアルバム

 帰国してあれこれと思い出にふける。風景、町並み、世界遺産、人々、食事、これらがごっちゃになって頭の中に渦をまいている。そこで断片的ではあるが一つ一つをクリアにすることとした。

―ラバトー

 コルクの林を見ながらバスでラバトに着く。 私は今までカサブランカがモロッコの首都だと思い込んでいた。 ここ、ラバトに来てようやくモロッコの素顔に触れたような気がする。

 王宮の近衛兵、その制服がイスラムのモザイクで装飾された門に調和しており古き良き時代にタイムスリップしたようだ。 ほっとした気持ちになる。
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ハッサンの塔   
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 未完の塔、12世紀のもの。  その脇にずらりと並ぶ200本の基礎の円柱はローマの遺跡に似ている。

ウダイアのカスバ 
カスバの中にあるアンダルス庭園 オレンジや見たこともない背の高いポインセチアなどの木々の花が美しい。南スペインに来たような錯覚にとらわれる。





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 白と青の色鮮やかな壁のカスバの小路を通り抜ける。



 ―メクネスー

アラウィ朝が17~18世紀に首都としていた古都。 
ここのメディナ(旧市街)は世界遺産に登録されている。小高い丘にずらりとならんだ街並みがすばらしい。

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所:
ムーレイ・イスマイル霊廟 
およそ500人の女性との間に男子548人、女子340人、合わせて888人の子供を作った。1万2千頭馬を所有。ルイ14世から贈られた柱時計が今も時を刻む。.

マンスール門 
北アフリカで最も美しい門、大きすぎて近くでは写真をとるのは難しい。モザイクやイスラムの繊細な装飾に目を奪われる。

ラッラ・アウダ広場  

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マンスール門の前の広場には大道芸人に人だかりスーク(市場)には生活用品が所狭しとならべられていた。
カメレオンまで売っている。残念、もっと時間がほしかった。 

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―フェズー

 映画やテレビで見る限りモロッコは暑い乾いたアフリカとしか想像できなかった。気温は摂氏2度、 寒い!半信半疑で持ってきたレインコート、長袖のシャツ、パッチが役に立つとは。世界遺産のメディナの世界一複雑な迷路に入る。

 やがて雨が降ってきた 霙まじりとなる。ぬれながら迷路をさまよう。ホテルに戻ってからは、本格的な雪に変わった。

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見所:
ダール・エル・マフゼン王宮 
7つの扉、中央はスルタン専用イスラムの緑、フェズの青のシンボルカラーに彩られている。

メディナ          
ここぞ、世に知られた世界遺産、フェズブルーに彩られたブー・ジュルード門が入り口、入ってから後ろを振り向くと、門の色はイスラムのシンボルカラーである緑に一転する。

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 メディナの細い道, これでメイン・ストリート。脇道はやっと一人が通れる狭さ。くもの巣状に交差している。人とロバでごった返しているから迷子になったらもう出られない。あわててツアーの列に追いすがる。

 
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いたるところにモザイク イスラムの模様が美しい。みやげ物やの銀細工のアクセサリーは
これでもか、
と並べ立てられている。
 
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 ホテルに戻ると山脈のザド峠が通行止めとのニュース。
ケジュールを変更しバトに戻りカサブランカ経由
マラケシュにむかうこととなった。峠を超えてサハラ砂漠の砂丘は取りやめることになった。
一部の参加者からはお金を払っているのに、どうしてくれる、との声もあった。

 しかし、旅は楽しむもの、難行苦行するものではない。現にスケジュールを強行した日本の旅行社をふくむ数百台の車が雪のため35時間も立ち往生、寒さに震えながら一夜を過ごしたとのこと。我々の現地ガイドさんも別プランをいろいろと考えてくれている。不平不満をおさえて、冷静な判断を下した添乗員のN氏の手腕は見事だ。

聞けば彼は夏にはスイスの登山のガイドをしているそうだ。山に精通した人は危険な崖は登らない。


 
マラケシュ
 ラバトーカラブランカを経由してマラケシュまで500キロの行程、点から点を長い線で結んだ旅。2車線道路が延々と続く。幸いなるかな、むちゃくちゃに飛ばすドライバーがいない。警察の交通取り締まりが厳しいせいもあろう。退屈なバスの旅のあいだ、羊の群れ、美しい夕日を撮影するため、バスはストップ、いろいろ気を遣ってくれている。
道路の脇にはアスパラガスを売る農家の人たち。夕方、モロッコ第2の大都市に到着する。

郊外には世界の金持ちや有名人の別荘が建ち並ぶ。街よりはるか後方に、4000メートル級の雪を抱いたハイ・アトラス山脈を臨む。山脈に分断された国土、アトラスを越えるためにティシュカ峠は交通の要所だ。

見所:
メナラ離宮 

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 200メートル四方の池、灌漑用水か、魚を養殖するのか、スルタンのボート遊びや、水泳か、侃々諤々。正解はここを訪れた人のみぞ知る。

遠方には雪をいだいたハイ・アトラス山脈、手前のなつめやしの林とのアンバランスな構図が面白い。

菓子売りからモロッコ風のアーモンドやゴマの入った菓子。 安い!ただし値切れば、の話。

 
クトゥビアの塔

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 マラケシュのランドマーク・タワー。ムワッヒド朝のヤアクブ・エル・マンスールによって建設、当初の建物はメッカの方向と一致しておらず取り壊され、その跡のみ残っている。

 なにしろ大きく高い建物だから、全景の写真は遠くからでないと撮れない。
建物のそばには乞食(いや失礼、これも立派な職業)がイスラムの当然の権利で手をのばしてくる。

画像ジャマ・エル・フナ広場

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 喧騒の中、ベルベル人の踊りや蛇使い、さまざまな大道芸人たちを人の輪が囲む。蛇が中々出てこないが、これは商売のテクニック。人はじっと待っている。
 奇妙な衣装の水売りの爺さんたち。夜に最高潮に達する。屋台でケバブを焼く煙が食欲をそそる。1杯3ディルハム(約40円)の絞りたてのオレンジジュースが美味。

バビア宮殿    

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 あれっ? スペインのアルハンブラ宮殿にきてしまったかと、錯覚を起こす。アラベスク模様のゼッリージュ(タイル)の装飾が見事。この中庭を中心に大宰相のバ・アフメドの4人の妃の部屋がある。彼の一番のお気に入りの后がバビア妃、その部屋は特に念入りなアトラスシーダーの美しい装飾で飾られている。ほかにもハレムは24人。

シェズ・アリ: 
   

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マラケシュを訪れたら、必見のショウとディナー。まずは出迎えのベルベル騎馬兵の一隊と、


部族ごとの歓迎のの輪、それに、壮大な施設に驚かされる。タジン、クスクスなどモロッコ料理もうまい。

屋外のショウ、騎馬兵の実戦さながらの銃の音、馬の曲乗り、婚礼パレード、
45分間があっという間に過ぎた。

ちなみにこの時の気温は摂氏3度。着膨れしていてよかった。それにしても寒い!

ホテルに戻るとようやくハイ・アトラス山脈のティシュカ峠の除雪が終わったとのニュース。
よし!明日はアトラス越えだ!





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