電車の中で化粧する女性たち
昨年の夏、京浜東北線で横浜から帰る途中、川崎駅から若い女性が乗ってきました。
彼女は私の向かい側に座りました。見たところどこにでもいるフツーの娘さんです。ドアが閉まるや否や、彼女はさっそく顔の工事を開始、まず、作法どおり手鏡をだして、ファンデーションで壁塗り。
私の隣には中高年のオバサンが二人、びっくりした様子で見入っています。口をパクパクさせているところを見ると、「アッ、アッ」とでも言っているのでしょうか。無理もありません、オバサンたちがこの娘さんの年頃には、こっそりとお母さんの口紅をつけるくらいのお化粧しかしなかったのでしょうから。ましてや、人前でこんなことをするなんて夢にも思わないでしょう。
次にアイシャドーそれからマスカラetc.、扇風機のように顔を左右に振って鏡を見ながら口紅を塗り、手抜き工事がないか念入りに建築確認をしています。
工事の進捗状況ははかどり、厚く壁塗りされた顔はどこかのけばったらしいタレントに似てきました。おばさんたちの顔は宇宙人ケバイアンがでたあーと言いたげに段々と不愉快な表情に変わってきました。
工事の最終仕上げ、彼女は足元に置いた紙袋から黄色いペットの犬、 いや、金髪のかつらを取り出し、それを、頭にぞろりと植え付けました。そして、「なにみてんのよお!」と言いたげにこちらを上目づかいで睨んでいます。私は何か悪いことでもしたかと思わず目をそらしてしまいました。 唖然、呆然、憮然、慄然のオバサンたちを尻目に、当人は当然といった振る舞いです。
次の駅で私は電車を降りました。階段を上がる途中、先ほどの娘さんと同じ年頃の素顔の女学生たちが談笑しながら降りてきます。私は彼女たちの明るい表情に青春の美しさを感じ、ほっとした気持ちで改札口を出ました。
気になりますね、電車の中でこんなことをされたら。 本人は、なにも迷惑とかは、かけていないジャン!というでしょうが、家から一歩出たならば、そこはもう「一般社会」というグラウンドなのです。そこではルールが存在します。野球でもサッカーでもそれに則って試合が進められ守らなければ退場です。 電車に乗ることは、すでに「一般社会で生きる」という試合が始まっているに等しいのです。そこには常識というルールがあるはずです。
私は年頃の娘さんたちがどんな化粧をしようが、それが流行ならとやかく言いませんが、とにかく家を出る前にちゃんと済ませてください。タレントや歌舞伎役者が舞台の上でそんなことしますか? テレビのコマーシャルで、コスメティックとかトリートメント(何語でしょうかね、これは?)のいわば、楽屋裏でおこなう作業が堂々とお茶の間に持ち込まれているので、どこでやってもよいかと勘違いしているのでしょうか。
毎日、ケバイ化粧をしてもその下の自分の顔を忘れないでください。夜、メイクを落とし鏡の前に座ったとき、鏡の中に自分の知らない顔が映っていませんか?その顔がニタリと笑ったならば、それはホラー映画そのものですよ。
気になりますね、電車の中でこんなことをされたら。 本人は、なにも迷惑とかは、かけていないジャン!というでしょうが、家から一歩出たならば、そこはもう「一般社会」というグラウンドなのです。そこではルールが存在します。野球でもサッカーでもそれに則って試合が進められ守らなければ退場です。 電車に乗ることは、すでに「一般社会で生きる」という試合が始まっているに等しいのです。そこには常識というルールがあるはずです。
私は年頃の娘さんたちがどんな化粧をしようが、それが流行ならとやかく言いませんが、とにかく家を出る前にちゃんと済ませてください。タレントや歌舞伎役者が舞台の上でそんなことしますか? テレビのコマーシャルで、コスメティックとかトリートメント(何語でしょうかね、これは?)のいわば、楽屋裏でおこなう作業が堂々とお茶の間に持ち込まれているので、どこでやってもよいかと勘違いしているのでしょうか。
毎日、ケバイ化粧をしてもその下の自分の顔を忘れないでください。夜、メイクを落とし鏡の前に座ったとき、鏡の中に自分の知らない顔が映っていませんか?その顔がニタリと笑ったならば、それはホラー映画そのものですよ。
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