ところ変われど迷惑電話はつきまじ!アラビアの電話
サウディアラビアの沙漠の中、360度見渡す限りの地平線です。ぎらつく頭の上の太陽、気温は50度を越えているでしょう。汗をかいてもすぐ蒸発してしまい、皮膚に塩の結晶が残ります。その中での仕事中、ケータイがなりました。なんと、東京の妻からの電話です。丁度この地で昼時、東京は午後6時になります。
「今どこにいるの?」
「沙漠の中さ。暑いどころか、やけどしそう。東京に帰ってビールが飲みたいよ、」
「東京も今、34度よ。いやになっちゃうわ」
地球はすっかり狭くなりました。10,000キロも離れても、いつでも家族との会話ができます。 短い間でも、家族との会話はストレスの解消となります。しかし、数分後には、間違い電話が・・・・・。 すっかりストレスがもどってしまいます。
もうリタイアしてから23年も経ちますが、東京の我が家の固定電話にはマンションの勧誘、商品の売り込み、それに悪質なサギ電話まで・・・ もう、電話の受話器をとるのは嫌になりました。アラビアの電話とかわらないなあ。 こんなことですからアラビアの電話事情は今でも変わっていないのではないでしょうか。
当時はこんな有様でした。
イスラムの地にこうして電話は敷かれた
さて、アラビアのある国で電話が初めて敷設されたときの話です。イスラム世界では、新しいものが出現するとそれがコーランの教えに違反していないか、論議の的となります。遠く離れても聞こえる電話の声は悪魔の声にちがいないと騒ぎたてられました。ところが知恵者がいて、悪魔だったら聖なるコーランは聞こえないはずだ、と保守的なイスラムの聖職者に電話でコーランを流しました。 逆転一発、OKがでました。
私がサウディアラビアに仕事で赴任していたころの1970年代は国内の電話は役所や企業か大金持ちに限られ、一般の人々は電話局でしか掛けられませんでした。勿論、国際電話をかけるためには、局で何時間も待って本社に連絡していました。70年の後半になると、一般の家庭にも普及していきました。 1990年代ではもうどこでも電話があり、ケータイも普及してきました。 今ではスマホが大手を振って歩いているでしょう。
しかし、世界のどこでも同じとは思いますが、迷惑な電話がよく鳴りましたねえ!
間違い電話が何と多いことよ・・・
電話が一般にいきわたった1990年代、家にもオフィスにもひんぱんに電話がかかるようになりした。しかし、その大半が間違い電話です。受話器を取り上げると、
「ミーン」
なんだ、これは? もしもしの意味かな。そう思って ミーンと言い返しました。
するとまた、ミーン。 こちらもミーン。うるさくなって切ってしまいました。
すると、また掛かってきます。いささか、腹を立てて
「ミンミンうるさい、こちらは蝉じゃねえぞ!」
と、日本語で怒鳴りつけて電話を切りました。また、リーン、リーン。受話器を取り上げて大きな咳払いをしてやると、先方がガチャリ! ほっとした瞬間でした。
あとで知りましたがミーンとは「誰だ」という意味のアラビア語で、実はこの国では間違いが多いのではじめに相手の名前をたずねるのが礼儀、なのだそうです。
かけた相手先が間違いとわかったら、あやまりの言葉をいって、電話を切るのが礼儀でしょう。昨今のマンションや金融取引の勧誘でしつこく切らないのも腹が立ちますが、中東ではこんな、しつこい電話で辟易したこともありました。
ある日、私のオフィスに女性から電話がかかってきました。のっけから、キンキン声でアラビア語をまくしたてています。何を言っているのか判らないので、「一寸待て」とアラブ人スタッフに代わってもらいました。
彼が耳にあてた受話器からもキンキン声がもれてきます。彼も負けじと言い返しています。20分もやりとりしていましたか、先方がガチャリ!と切りました。彼はため息をついて、それからクスクス笑い始めました。
何のことだ、怪訝に思って聞くと、
「夫婦げんかのとばっちりですよ。カミさんが亭主をだせ、といっています。ここはxx会社の電話であんたは番号を間違えているといっても、カミさんはあんたが私の亭主を隠している。そばにいるんだろうと、なかなか承知しないのです」
「納得したのかね?」
「ええ、当分オマエの顔を見たくないから、友人の家に行ってくる・・・といって出て行った、と言ってやりましたよ」
しばらくして、隣の部屋から、どっと笑い声がわきおこりました。あまり娯楽のない当地では格好の話題となったのでしょうね。それにしても、その哀れな亭主はどこの誰だったのでしょうかねえ。
いたずら電話もあるよ!
どこの国でもいたずら電話の被害に悩まされている人が多いと思います。この国では、女性が電話にでると卑猥なことをいう奴もいます。しかし、男社会で女性の顔どころか、話す機会もないこのイスラム社会で、国際電話の女性のオペレーターと話すだけでもわくわくしてしまいます。
ある晩のことでした。真夜中だったので会社からの呼び出しか、日本の家族に異変でも起こったのかと、あわてて受話器を取り上げると
「ミーン」
女の子の声です。私は日本人だが、と言うといろいろしゃべり始め、質問ぜめがはじまります。いくつ?肌の色は? 髪の毛の色は?日本の食べ物は?私も面白がって、片言のアラビア語で受け答えしていました。女の子はそばにいる同年輩であろう仲間にむかって、「いま、日本人と話しているのよ」と言っています。
笑い声が混じります。しまいには「私を好き!」といって。とおねだりされ、アラビア語で アナ、アヒビ! 英語でI love you!と精一杯の声色をつかってささやきますと、「私にも言って!」と別の子が次々でてくるわ・・・・。止め処もありません。もういいよ、バイバイと電話を切りますとまたリーンと呼び出しベル。ほとほと、まいりました。
こんな時に東京から緊急の電話があったらどうしようかと、気にしながらも接続線を引っこ抜きました。
自宅に電話をもっているセレブな男の話
1970年の後半、ようやく電話が一般にも普及し始めた頃の話です。
私の部下のアラブ人が浮かない顔をしているので、どうしたのか訊ねてみました。すると、彼は最近、家に電話を敷いたのだが、と口ごもっています。それはお目出度い事だ、しかし、なぜ? なおも理由を聞くと、近所の人々が珍しがって掛けさせてくれというのだそうです。いいじゃないか、それくらいは、といいますと、実は・・・と、ぼそぼそとそのわけを話し始めました。
うちの息子がロンドンに留学しているので連絡をしたいと近所の人がやってきました。アラブの習いで気安くどうぞといったら最後、そのうちに、おふくろさんも兄弟も、あげくは叔父さん叔母さん従兄弟たち?までぞろぞろやって来て、入れ替わり立ち代り長時間、延々としゃべるのだそうです。その間、彼の家庭は応対に忙しく自分たちのことは何もできないと、ぼやいているのです。
まあ、さびしいのだから一回ぐらいは大目にみたらといいますと、それが毎日のことなのでそうです。部族の間柄なので、むげに断ってけちな男と評判をたてられたくないのが彼の悩みです。そのうちに、この親切な男の評判をきいて、誰か良く知らない人まで・・・。
しばらくして、彼が私のオフィスに肩を落としてやってきました。
お金を貸してほしい、というのです。それも大金。どうしてだ、私にもこんなお金はないよ、とその理由をたずねたところ、電話代を払うのだといいます。彼の悩みは倍増してしまったようです。電話をもっている男というにはこの有名税は高すぎます。
そこで、知恵をさずけました。
「滞納している電話代をわざわざ800キロ離れたリアド(サウディアラビアの首都)の本局からここまで取り立てに来るわけはない、そのうち忘れてしまうだろうよ。 電話は局がケーブルを切ってしまうだろうがね」
「・・・・・・・」
「電話機はそのままだから、隣人には「どうぞ」と貸してやれ。繋がらないと怒ったら、俺のせいじゃない電話局が悪いといってやれ」
「でも、電話はほしい」
「ほとぼりがさめたら、長男の名義で新しく敷いたら」
彼に、にこやかな表情がもどったのは、3ヶ月後のことでした。
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