江戸のゲートウェイ VS 令和のゲートウェイ
JR田町駅から品川方面にむかって国道15号線を歩いてゆくと江戸時代の高輪大木戸跡があります。令和の時代になってその一寸先にJR山手線の30番目にあたる高輪ゲートウェイ駅が今年三月、新たに開設されました。古き時代のゲートウェイ、新しき時代のゲートウェイを訪ねてみました。 高輪大木戸跡は江戸時代の言わばゲートウェイです。宝永7年(1710年)に江戸の治安維持のため作られました。石垣で囲まれ柵状の木戸は明六ツに開門され、暮六ツに閉門(現在の時間では06:00~18:00)されました。 現在残っているものは、札ノ辻付近に1724年に移設された海側の石垣だけです。今は埋めたてられ海岸線は遠くなっていいますが、当時は海岸沿いの風光明媚なところで旧東海道の京への登り下り、お伊勢参りなどの旅人たちやその送迎人で大層な賑わいを見せた場所です。大木戸は明治時代に取り壊されてました。その後、昭和3年になって国の史跡に指定されました。 更に歩を進めると近代的なガラス張りの新駅が見えてきます。ここが令和の高輪ゲートウェイです。昔の大木戸には番卒サンが棒を抱えて立っていたでしょうが、ここでは IT ロボットが昼間に警護と案内を担うことになっています。 残念なことに訪れた10月にはすでに試験運用が終わっていて案内ロボットのパネルだけが展示されていました。 駅は光豊かなガラス張りの壁、見上げる吹き抜けの和紙の模様のような日本古来の文化を感じさせられます。 高輪ゲートウェイ駅は江戸時代の大木戸と同じく賑わいを再現させるようにと駅周辺では「グローバルゲートウェイ品川」として再開発を進めています。もっとも公募した駅名の1位は「高輪」であり「高輪ゲートウェイ」は130位だったのです。しかし、ここを国際交流の足場となる都市開発計画を推進するために、願いを込めて1位の高輪と玄関口を意味するゲートウェイを組み合わせて命名したといわれています。 現在駅の附近の開発工事は着々と進んでいます。数年後には多数のビルで埋め尽くされるでしょう。