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陶板の名画の数々、大塚国際美術館を訪ねてー徳島県鳴門市

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  大塚国際美術館は世界で最初の陶板名画美術館である。大塚製薬(株)75周年を記念して設立された。館内には世界の約190の美術館が所蔵する名画1000点余りを陶板で原寸大に複製したものが展示されている。約2000年以上にわたり原画そのものの色彩と姿が残るとされているのは驚きだ。。私はこれらの原画の一部をヨーロッパの美術館で鑑賞したが、まったくといって良いほど忠実に再現されている。ここでは写真撮影のみならず手で触っても良いので、堅苦しい美術館のイメージはなく気楽に鑑賞する事ができた。  古代をはじめ、ルネサンス時代のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、、バロックのレンブラント、近代のゴヤ、ミレー、ゴッホ、セザンヌ、ピカソなど数々の名画を観てまわるには1日はかかるかもしれない。今回の旅はクリスマスも近いのでルネッサンス時代のキリストにかかわる名画を主に鑑賞することとした。(括弧内は原画を所蔵している美術館)  レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知とフラ・アンジェリコの受胎告知 (ウフィッチイ美術館ーフィレンツェ)   (プラド美術館ーマドリッド)     ラファエッロ・サンジオの大公の聖母とシニョレッリ・ルーカの聖家族 (ビッティ美術館ーフィレンツエ)  (ウフィッティ美術館ーフィレンチェ)  当美術館には世界の様々な画家による作品が複製されて展示されている。目移りしてしまいそうだが、やはりおなじみの巨匠の画家の前では足が止まってしまう。  だいぶ前のことだがミラノを訪れた際、修復前のレオナルドダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を鑑賞した。再訪した2011年にも修復されたこの作品を観る機会を得た。大塚国際美術館では展示室の左右にこの二つがあるので、どう修復されたかその違いが分かるようになっている。 恐らく修復前の原寸大の「最後の晩餐」はここでしか観られないのではないか。 陶板だが世界遺産にも登録されている作品に手で触ったのは初めてである。  レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐 (修復前)   (サンタ・マリア・グラツイエ教会)    (修復後)  ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂、ミケランジェロの大壁画で埋め尽くされている。まるでサン・ピエトロその場所を訪れたかの感がある。これが複製再現されているとは思えないほどだ。  たった、3時間ほどの鑑賞ではあったが、満ち足りた気分で帰

奥の細道の終着地は江戸ではなく岐阜の大垣だった

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 松尾芭蕉が江戸から奥州各地を回りこの旅を終えたのは出発した江戸ではなく実は岐阜の大垣だった。ここが「奥の細道」の終着地だったといういろいろな史跡が残っている。なぜ、芭蕉は奥の細道の旅をこの地で終えたのか、この度、大垣を訪れた機にこれを調べて見ることにした。松尾芭蕉は元禄2年(1689年)弟子の河合曾良とともに江戸の深川を出発し日光街道を北上していった。白河関ー松島ー平泉ー出羽三山ー鶴岡などを経て酒田から南下して金沢、敦賀を周り大垣でこの旅を終えた。全行程約2400キロを走破したことになる。  なぜ芭蕉は奥の細道の旅の終着地を江戸としなかったのか。理由はいたって簡単だった。芭蕉はこの旅に先立っ てこの計画を知人に手紙にしたためていたからだ。 それには、「これから美濃の国へ行く」と書かれている。  芭蕉が忍者の里、伊賀で生まれたことから、実は彼は幕府の隠密で奥の細道の旅は伊達、前田など諸大名の領地の動静を俳句に事よせて探るためだった・・・とのなんちゃって話も言われているようだ。  たしかに旅のルートはそれに沿ってはいるがそれは小説作家に任せて置こう。 芭蕉は旅で遭遇した大自然を詠み、それを知己の俳人が多い大垣に手土産として持って行ったのだろう。のざらし紀行の貞享元年(1684年)、また元禄元年(1688年)にも訪れている大垣をあらかじめ終着地と決めていたのだ。  芭蕉が各地で詠んだ句は多数あるが、なかでも誰もが知っている名句は   「夏草や 兵どもが 夢のあと」          平泉 「松島や、ああ松島や 松島や」           松島 仙台 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」            出羽 立石寺 「五月雨を集めて早し最上川」          大和田 山形 「荒波や 佐渡によこたふ 天の川」          出雲岬 新潟    そして奥の細道の最後に詠んだ句は 「蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ」           大垣    今回訪れた大垣市には 奥の細道むすびの地記念館 がある。平成24年に市制30周年を記念して芭蕉と親交のあった俳人谷木因邸跡地に建てられた。ここで芭蕉の奥の細道の行程やエピソードなどを200インチの3D大画面で知ることができた。  芭蕉がこの地で詠んだ句 「蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ」を刻んだ蛤塚が建てられている船町川湊は